恋愛革命7
馬鹿と言う歪んだ差別偏見に彩られた言葉をストレートに言う奴は、熱く正直者で人間味があるじゃないかと、サラリーマンは言った。
サラリーマンが発言する。
「しかし馬鹿という概念の画一化は現実問題、やはり生きて行く上での正気を支えている英知だと俺は思う。例えば馬鹿と呼ばれて喜ぶ奴は明らかに狂った奴なのだから」
ホスト亭主が答える。
「それは確かにそうだと思います。だから自分はその言葉を言う時に、少しでもこう何と言うか、ちょっと待てよが入って来れば、その罵りによって人が死ぬような事は避けられると思うのです。はい」
サラリーマンが眼を剥く。
「おい、ちょっと待ってくれよ。人は怒りに任せて罵りを口に出すわけだろう。怒っている時ちょっと待てよというのは、怒りを客観的に見れる切れる事の無い冷静な者じゃないか。そんなの無理だ。人には感情というものがあるのだから」
ホスト亭主が言う。
「それは正にそうだと思います。喧嘩などで相手をぶちのめす時、ばり雑言は相手を倒す武器となるからです。でも考えてみて下さい。その自動装置とも言える、差別偏見の構造罵り意識が、恨みや憎悪を再生産して、逆差別としての復讐を生み、その自動装置は深化して行き、自分をロボットのように制御しているわけですよ。そんな風に考えると、違和感がありませんか?」
サラリーマンが断言する。
「違和感なんか無いね。怒りやストレスを発散するのに、その自動装置たる罵り雑言は必須項目じゃないか。それをストレートに出せるからこそ、人はストレスから解放され、生きて行けるのだから。そうだろう?」
ホスト亭主が指摘する。
「でもストレートに怒り罵りを発散して暴行に至れば、逆にやられてしまい、死んでしまう可能性もあるわけです。その悪循環とも言える、狂った差別偏見の構造意識を断ち切り、ふと我に返り、己の死を回避し、冷静になる事は必要不可分な事柄だと僕は思います」
サラリーマンが頷き言う。
「それはそうだが、でも俺は馬鹿と言う時、怒りに任せて馬鹿と言ってしまうぞ。それって愚かしいかもしれないが、人間くさいと言うか、熱く人間味があるじゃないか?」
ホスト亭主が答える。
「捉らえ型の問題だと思います。冷静にちょっと待てよと、自分に待ったをかけた人の方が人間味があるのかもしれないし」
サラリーマンが開き直る。
「そんなの瑣末な事じゃないか。馬鹿は馬鹿なのだから」