恋愛革命6
馬鹿と罵る時、その馬鹿の意味など考えて、馬鹿と言う奴はいないぞと、サラリーマンは言った。
サラリーマンが発言する。
「差別偏見の構造意識と一概に馬鹿にするが、それがあるからこそ、皆通り魔等から身を護る安心安全を享受しているのであり、そのセーフティー装置とも言える画一的感覚は必要かくべからずのものではないか。確かにその感覚は偏狭かもしれないが、狂気に走らない、言わば正常の証ではないか。違うのか?」
ホスト亭主が答える。
「格差、競争社会の原理に則れば、そういうライフラインに触れた意味合いも確かにあるのは間違いない事実だと思います。しかし何故キモいのかを、我に立ち返って自問自答する人は少ないと思うのです。それは各自の美意識に還元する事柄ならば、画一的な美意識など、美意識とは呼べず、単なる洗脳に毒された蔑みの念でしかないと、自分は思います。それはある意味知性の欠如であり、無知と謗られても反論は出来ない事柄だと思います」
サラリーマンが反論を重ねる。
「おい、待ってくれよ。馬鹿と罵る時、その馬鹿の意味なんか考えて馬鹿と罵る奴はいないぞ。馬鹿は馬鹿ではないか?」
ホスト亭主が無機質に答える。
「それが知性の欠如に繋がっていると自分は思います。人間の知性はコンピューターの出現により毒されてしまったと僕は思います。コンピューターはけして万能ではないのに、その記号的膠着万能性を盲信して、完璧だと思っているきらいは確かにあると自分は思います。でも人間は完璧な存在ではけしてありません。その人間が社会システムの中に組み込んだ馬鹿という言葉の完璧性を疑う姿勢は常に必要なものだと、自分は思います。うがった話し、それが本当の探究心溢れる知の道だと自分は思うわけです」
サラリーマンが反発する。
「俺はそんなの認めないね。馬鹿と罵られる奴には、それなりの要因があるじゃないか。仕事で取り返しのつかないミスを冒したら、誰だってそれを馬鹿と罵るではないか。他に選ぶべき蔑称の無い時、馬鹿と言うのは、逆に言えば、知性の限界だろう。あんたの言う通り人間は万能ではないのだから。そう思わないか?」
ホスト亭主が言う。
「自分は論理学の陥穽に陥るのは避けたいのです。言葉には言魂があり、罵りは残忍な暴力にスイッチするものだと、自分は感覚的に感じている次第なのです」
サラリーマンが顔をしかめる。
「馬鹿という言魂が人を鬱病にして、殺すと言うのか?!」
ホスト亭主が答える。
「そういう側面もあると自分は思います。ただ自分はオカルトやホラー的な言説はここでは避け、言葉の持つ魂は相手の心に及ぼす影響は大きいと思う次第であるわけです」
サラリーマンが攻撃的に言った。
「十分迷信しているじゃないか。正にオカルトそのものの意見だよ!」
ホスト亭主が言う。
「これは迷信ではなく、僕は正攻法な論理学の由、範疇だと思います。美しい言葉は人に感動を与え、罵りは人に怒りを与えるのが良い証拠だと思います」
サラリーマンが意地になり告げる。
「俺はそんなの認めない。虐められる奴にはそれなりの理由があるのさ。過失相殺したって、一方的な加害者と言うのは、この世には絶対存在しないね。俺はそう思う」
ホスト亭主が言った。
「それは本当の意味での迷信なのかもしれませんね?」






