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時空の迷い子   作者: 琴花
1章
7/21

守護者

 虫の鳴き声が聞こえる。

 この広場で子供と出逢ってから小一時間は過ぎただろうか。

 白い空間にいるので景色は変わらないけど、そろそろ深夜と呼べる時間が近づいている。


 私は中腰になって子供が身体に被った土埃を払ってやる。

 整った顔立ちの少年だが、来ている衣服は汚れ擦り切れていた。


 少年は誰かが迎えに来ると言っていた。

 けれどこんな薄汚れた格好で夜中に放置しているなんてろくな人ではない気がする。

 それともそうせざるを得ない理由でもあったのだろうか。


「ねえ、君……」


 そっと顔を窺うとわずかに拗ねた表情が返ってきた。


「名付け親なんだから名前で呼んでよ」

「私をイチキと呼ばないなら考えるわ」

「なに?イチキ」


 身体から力が抜けそうになる。


「君も強情ね……」

「その肉体は樹里と呼ばれる人間のものだけど、今僕と話してる意識は違う存在なんだから。嘘はつけないよ」


 先ほども似たような話をされた。

 つまり状況は何一つ変わっていないということだ。

 これ以上名前のことで話し合っても堂々巡りだろう。なら一歩踏み出すしかない。


「それで、君の目的は何?」


 見た目通りの年齢でも子供と思って接してはいけない。

 普通の子供とは最初から思っていないが、会話を重ねてより思考が読めなくなる。

 果たして少年は当たり前の事実を告げるように無邪気に笑った。


「一緒に故郷に帰ることだよ」


 私にとっての故郷とは歩いて数分の家。

 もしくは幼いころ暮らしていた都会のマンション。

 

「樹里じゃなくイチキの故郷だよ。肉体じゃなく魂のふるさと」 


 棚に挙げた内容が精神論を伴って返ってきた。


「本来在るべき場所に還るだけ。お姉さんは今の状況を歪んでいると思わない?」


 今度は名前を使わず問われた。

 イチキという言葉は響かない。他人の名前なのだから当然だ。

 だが樹里という名前もどこか空々しく響く。

 私は樹里だと宣言するたびに、まるで自身にそうだと言い聞かせているように感じがして虚しくなる。


 他人と視界が共有できない違和感。

 写真に写った記憶にない幼いころの自分。

 十年前に自覚した私という存在。


「私が歪んでいるというの……?」


 少年は否定しなかった。


「難しく考えなくていいよ。ただこの世界で過ごしてきて生きにくいと思ったことはない?」


 私は声を詰まらせた。

 幼いころから度々体調を崩していた。

 アスファルトの地面を歩いただけで眩暈、車のエンジン音が聞こえただけで頭痛、人混みに触れただけで気分が悪くなった。


 都市公害とも思える体調不良は現在の田舎に引っ越して年が経つごとにやわらいだが、ごく健康な人として過ごすまでには至っていない。

 今日も昼間に倒れたばかりだ。


 それが生きにくいということならその通りだ。

 しかし、歪んでいるとかあまりにも突拍子がなさすぎではないか。

 ふと少年が手を伸ばし、小さな指で私の眉間をさすった。


「皺が寄ってるよ」


 言われてもっと皺が寄った気がする。


「だから難しく考えなくていいんだって。とりあえずあちらの世界に行ってみよう? それからどうするか決めればいいんだ。ずっとここに居てちょっと冷えてきたしね」


 まるで少し遠出をしようという感覚だ。

 確かにこのままでは埒が明かないし、初夏とはいえ日が沈んで長い。

 私は肩の力を抜いて手を振り払った。


「付き合うって言ったものね。君のいうことは半分も分からないけど少しは理解できる……ちょっとだけ納得してるところもある。けど、あちらの世界にどうやって行くの? 行って帰ってこられるの?」

「行くのは難しくないよ。少し待っていれば渡れる。望めば帰ることもできるよ」


 虫が良すぎる話に脳裏に警告音が鳴る。

 私は慎重に言葉をつむいだ。


「君は私の存在を欲しただけで、私の理解を求めているわけじゃないと言った。この際名前のことは置くとしても、異世界とか精霊とか突拍子もないことを言ったのは、私を混乱させて、深く考える時間を与えず、自分の思い通りに事を運びたかったからではないの?」

「それの何がいけないの?」


 あまりに無邪気な答え。

 自己中心的なのは子供らしくはあるが、諌める大人がいなけれぱどこまでも貪欲になりそうで恐ろしい。


「ほら、また皺が寄った」


 少年は自分の眉間を指差す。

 今度は私に触れないところが憎らしい。

 そして居住まいを正して息をついた。

 どこか怠惰な雰囲気だったのが霧散し、一瞬に周囲の空気が絞まって感じた。


「これ以上言葉遊びも疲れるだけだから行くよ」


 決定事項とばかりに言い切って後ろを振り仰いだ。


「――サヤ」


 月明かりでわずかに浮かび上がった木の影。

 光の玉がざわめいたと思うと、白い花が仄かな光を放ち、幾千もの細かな金色の粒子を作り出した。

 光を追い追われるように木の周囲を駆け巡り、やがて緩やかに凝縮し人の形を作った。


 そして土を踏む音がした。

 少年とも私とも違う第三者の介入を示唆させる音。


 名前からして女性だと思った。

 しかし、現れた人影を見て息を呑む。


 着ている服は少年のものと似ていて、デザインより強度重視といった感じだ。

 首もとまで覆う外套と、その下から覗く丈夫そうな麻らしき布の服。間に皮の胴衣を纏い、腰の辺りに紐を結んでいる。

 砂のような濁った金色の髪はやや短く、琥珀色の瞳は名を呼んだ少年に注がれていた。


 精悍な顔つき、節くれだった大きな手。

 身体の線が出ない服装だがどう見ても男性だった。 


 年は二十歳を少し越えたくらいだろうか。

 日本では成人を迎えたが中身はまだ子供だと認識されやすい年齢だが、彼が纏う雰囲気は、いくつもの生と死を乗り越え今を生きるどこか老齢めいたものがあった。

 硬く、近寄りがたい威圧感。

 冷たい眼差しの青年が膝を落とし、子供に問うた。


「無事か?」

「もちろん」

「なら良い」


 短いやりとり。

 鋭い眼差しは子供に向いたとき少し和らぎ、子供も青年を見る瞳は強く揺るぎない。

 子供に勝るとも劣らない圧倒的な存在感。

 膝をつき、労わるように細い肩に置かれた手。

 注がれる真摯な瞳。

 私と話した数十分が欠片であるように感じた。


 私は少年を孤独だと思い込み自身と重ねた。

 けれどそうではなかった。


 子供には言い訳めいた言葉を交わさずとも案じてくれるひとがいる。

 それを裏切りと感じるのは嫉妬とも呼べない未熟な心だ。

 まだ幼い子供にとって信頼できる大人がいるのは良いことなのに、寂しく思ってしまうなんて……。


 私が保護者面をしたかっただけ……?


 思わず頭を振ると、青年は今気づいたように私を見た。

 子供を背に隠すように立ち上がり目を眇める。

 最初感じた冷たく鋭い視線に晒され身体が震えた。


 保護者が現れたらどれだけ年上でも怒ろうと思っていた。

 こんな年端もいかない子供を夜中に長時間放置してどういうつもりか、情操教育はどうなっているのか。

 私もまだ子供といえる年代だけど、少年の健全な成長をあからさまに怠った大人に歯向かうつもりでいた。

 出来なかった。


「イチキだよ」


 無邪気な声が青年の後ろから聞こえる。

 濃い色の衣を着た腕をつかんで側面から幼い顔が覗く。


「――予言か」 


 砂色の髪の青年は私から視線をそらさず呟く。

 何もかも見通したような彼の顔を見て少年は笑った。


「そうだよ。予言を現実のものにするためにも僕たちの世界に帰ろう」


 頷いた後に言った言葉は青年への返事の延長か、それとも私への通告か……透き通った瞳は自分の望みが叶えられると信じて疑っていない。

 力では子供を守護する青年に敵わない。

 言葉を交わしても堂々巡りだ。

 ――そして、私の心も傾いていることを否定できない。


「行こう。本当の自分を見つけよう」


 いまだ白い光が零れる木の隣で、守護者にまもられた子供が天使のように微笑んで私に手を伸ばした。


「私は……」


 頭の中が真っ白で何も浮かばない。

 引き寄せられるように一歩進み、ゆっくりと腕を持ち上げる。


「樹里!」


 雷に打たれたように全身に震えが走った。

 まるで操られたように踏み出していた身体をねじり、声の主を捜す。


「お母さん……」


 白い空間の外側、広場の入り口。

 ぽつんと建つ街灯の心もとない光の下、記憶のない時を含めて今までの人生の大半を共に過ごした母親が立っていた。

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