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時空の迷い子   作者: 琴花
2章
20/21

淀んだ瞳

 赤い月の世界に来てから知らない言葉や地名、種族がいくつも伝えられ、そろそろ知恵熱が出そうだ。

 一度整理しよう。


 ハバロストワ大陸の北方に位置するロマラツァーリ国、その最北端にはアナーディリ村があるが、突如現れた幻魔に滅ぼされてしまった。

 幻魔は海を隔てた北のツィノカ大陸に棲むといわれる生物で存在自体その名のとおり幻とされていたが、人々を襲い村を壊滅させるという最悪の方法でそれは明らかになった。


 生き残りの兄妹は村に接するシャンボールの森の猟師小屋に身を寄せ合い暮らしていたが、森の中にあるウル湖の毒水を飲んでしまった私が転がり込んでしまった。

 兄の青年いわく、私は人間にはない赤目と不可思議な力を持つので、遠く幻魔を祖にもつ人外の存在である人魔である可能性が考えられるという。



 客観的に見て冷や汗をかいた。

 憎むべき村の仇と共にいた私は、三者睨み合いの末、人にはありえない不可思議な力を用いて場を乱し、逃げ出すときは飛ぶように地を翔けた。一命を取り留めたあとも知らぬ存ぜぬを繰り返す。怪しいことこの上ない。


 いくら毒水を飲んで死に瀕したとしてもよくぞ介抱し、目覚めてからも放り出さずに小屋に置いてくれたものだ。

いくら助かるかもしれない命を救いたいという妹の思いに応えるため、そして仇につながるかもしれない私を囲うためとはいえ危険な橋を渡り過ぎだ。


 けれど、それだけ彼らは必死なのだろう。私と変わらない年頃で誰かを殺したいほど憎んだりようやく二桁に届いた程度の幼い少女がその身を危険にさらしても命を救いたいという思いは日本で平和に暮らしていた私には正直理解できない。


 生死が常に傍にある世界。

 目覚めたばかりで危機意識が欠けた私に虎はなんといっていたか。


 ――野垂れ死んだりしない。図太く……


「――生き延びてみせる」

「突然なんだ」


 先ほどの会話と脈絡のない言葉に青年は目を見開いた。


「この地で目が覚めてから今までそんなに日数は経っていないのによく生きていられたなってくらい危険な目に遭ったけど、私が何者か知るために生きたい。だから、変わらずここに置いてほしい……自分でもどうかなと思うくらい怪しさ抜群だけど」


 私は彼に目を向け挑戦的に話し、最後は少し笑った。

 茶色の瞳が私を見据え、つられたように口端を緩めた。


「本当に変なやつだ。言われなくともあの男とのつながりが僅かでもある限り共にいてもらう。ただし……」


 青年の瞳が冷たい鋭さを帯びた。


「奴の仲間なら生への願いは潰えると思え。記憶の有無も種族も関係ない」


 殺意とともに矢を向けられた時を思い出し全身が強張る。

 彼が憎しみに捕らわれながらもその瞳に確固たる理性が宿っているのは、唯一の生き残りの肉親である妹の存在故だろう。

 私を試すために利用しながらも、彼女の前では剣呑な雰囲気は僅かなりとも見せない。


 私は口を引き結ぶ。

 金髪の男と傍にいた私、そして私たちに矢を向けた青年、三竦みの場から逃げ出せたのは虎が遣わしてくれた精霊が力を貸してくれたからだろう。

小屋で目覚めてから姿が見えないので、生き残りの兄妹と会えたことで任務は終わりとばかりに主である虎のもとに戻ったのか。


 今の私は威勢ばかりの病み上がりの小娘だ。

 客観的に見れば見るほど冷や汗が出る。

 本当に運だけでここまで来られたようなものだ。


 私はひとつ息をついた。

 相手は今私が精霊の力を頼り不可思議な力を扱えないと知らない。

 それならどこまでも威勢を張るしかない。

 例え平行線でも言葉を重ねるだけだ。


「それなら逃げ出すだけ。私って生への執着心はすごいんだから」


 なにせ生きるか死ぬかの修羅場に背を向け逃げ出した前歴がある。

 自嘲と虚勢混じりの苦笑いの後、今度は青年が小さく息をついた。


「堂々巡りだな」

「後のことはわからないけど、私はあなたと敵対したくない。少なくとも、今は同等の関係でありたい」

「……なら、人の手を借りずとも歩けるようにはならないとな」


 彼は敵対の言葉に眉を寄せながらも軽口をたたいてくれたので、私は思わず口元が緩んだ。


「お前は変なやつだな」

「誉め言葉として受け取っておくわ」


 冷たい風が吹いた。

 空を仰ぐと灰色の雲がちぎれるように浮かんでいた。


「本当に変だ。お前も、……この気候の変化も」

「……季節のちぐはぐ」 


「初夏に差し掛かっていたのに、突然冷たい風が吹き荒れ雪が降りだした。積もるほどではないが今も寒風に晒され森は成長を止めている。……お前が来るひと月前の話だ」


 青年は森を通して遠くを見やる。


「風が吹くのはいつも北の方角。そして数日の後に村が襲われた」

「ツィノカ大陸で何か起こったということ?」

「分からない。ただひとつ言えるのは、不確かな存在だった幻魔が実在して、人々を襲い村を壊滅させたということだ」

「その幻魔があの金髪の男の人……?」


 青年は重々しく頷いた。

 私は唇を噛みしめ、ひとつの可能性を口にした。


「その人って本当に幻魔なの? 見た目だけでいうなら人魔の可能性も……」


 ツィノカ大陸で起こったかもしれない異変。

 そして、滅ぼされた村と手を下した男。


 確かに、あの美貌の男が森で青年を殺そうとした木々を操る力は人にはない異能だ。

 だけどそれが幻魔に結び付くかといえば多少なりとも疑問が残る。


 それこそ、私が用いた不可思議な力を見て青年は私を人魔かもしれないと言ったのだ。

 この世界のことについてまだまだ分からないことだらけだけど、可能性の芽は捨てきれない。

 そう思ったのに。


「それはない」


 青年はあっさりと言い切った。


「どうして?」

「俺が森で奴に言ったのを覚えてるか。人の皮をかぶった獣だと」


 確かに言っていた気がする。けれど、てっきり比喩だと思った。

 青年は首を振る。


「言葉のとおりだ。奴はひとじゃない。あれの本性は……」


 言葉を続けようとしたのだろう、開いた口は数秒の間に固く閉ざされた。

 押し黙ったまま唇を噛みしめ、眉間には深く皺が寄っている。

 私は問う言葉を失った。


 ——村の惨状を思い出したのかもしれない


 私は自分の知識欲のために相手の心情を顧みず迂闊なことを言ってしまった。

 ゆるりと青年が私を見る。

 その茶色の瞳は仇の金髪の男に向けた殺意や敵意ではなく、もちろん妹に向けた愛情や私が日本で友人に向けられた親愛などではなく、僅かに淀んで見えた。


 彼にとって金髪の男は憎むべき村の仇だ。

 なのに、私は森で出会っただけのどことなく得体のしれない恐ろしい男の人という認識だけで、この場で何度も口にした。

 少年の保護者であるサヤの兄だという男の情報を少しでも多く知りたかった。


 目の前の青年も男について口にしたが、見たところ私とそう変わらない年齢だ。

 冷静に見える彼も、かの男が話題に上るたび、どれほどの感情が心に渦巻き、それを抑え込んだのだろう。


 そして今、私を見るようでそうでない瞳は抑える力が弱まった心の隙間から滲み出るかのごとく、暗い灯に揺れていた。

 彼も、人の姿をした男について話すだけなら憎しみや怒りを感じても冷静に答えた。

 だが、男の本性とやらに話がいくと、それらを凌駕する感情にあっさりと支配されてしまった。


 ……彼の握り締めた拳は僅かに震えてるようにみえた。


 森で対面したとき、彼は男に向けて弓を引き絞り、狙い定めた矢じりは僅かもぶれることがなかった。

 今更ながら自分本位の浅はかすぎる言動に嫌気がさした。


 樹里としての人生に強制的に幕をおろした少年を捜すことと、その身体の内にいる私という存在の正体を知るという二つの大きな目標は、日本での常識が通じない赤い月の世界で私が理性を保ちつつ生き永らえるための大きな心の拠り所だ。


 だからといって他人の感情を踏みにじって良いわけではない。

 それも、瀕死であった私を助けてくれた恩人だ。


 もし、生きるか死ぬかの極限の状態であれば彼らを……愛らしい少女も含めて踏み台にしたかもしれない。

 死と隣り合わせの世界では生き残るために冷徹な判断を下さなければならないのだろう。

 事実、許されはしたとはいえ、一度は青年を見捨てた。


 けれど、今はそのときではない。

 どころか、完全に面倒を見てもらっている立場だ。


 いまだ自分で衣食住の面倒が見られず、見放されたら一巻の終わりだ。

 生き延びるという意思だけでどうにかなるほどこの世界は甘くない。

 だからこそ、緑の虎は大言壮語を吐いた私を嘲笑したのだろう。

 けれでも精霊を遣わし試そうとしてくれただけ恵まれていた。そして今も。

 

 私は自嘲した。

 母親に愛され数少なくとも優しい友人に恵まれ、虚弱ではあったが生活の面では何不自由なく暮らし、平和そのものの日本の片田舎で過ごしていた日々がずいぶん遠い。  


「ごめんなさい」


 何に関する謝罪なのかわからない。罪悪感を埋めるための偽善の言葉ですら感じる。

 青年の瞳に映る私の瞳も彼と同じくどことなく淀んで見えた。

 

 

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