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時空の迷い子   作者: 琴花
序章
1/21

廃墟にて

 黒い灰土の上に白い雪がまだらに染まる。

 崩れ落ちたベランダ、吹き飛ばされた屋根、原形を留めた建物はひとつもないことから、この集落が自然淘汰された結果ではないと判る。

 草木はおろか小動物も寄り付かない廃墟に生命の光は感じられない。

 日が差しても薄ら寒く、道に迷った旅人ですら体を休めることなく早々に立ち去る死した土地だ。


 静寂のみが支配する灰色の土地に突如として砂埃が舞い上がった。

 廃墟の村外れから徐々に近づくその中心に人影があった。


 まだ幼い子供だ。

 少年の一歩は彼の身長の五倍ほどで、砂埃は土を蹴った時に立ち上るものであった。

 勿論普通の子供にできる芸当ではなく、少年は精霊の使役して為していた。


 廃墟となった村の中心に近付くにつれ少年は速度を落とし、建物の影に立ち止まると崩れた壁に背を預け大きく息を吐いた。

 身体にかかった灰や砂を払い落して呼吸を整え、座り込みたい衝動を抑える。

 腰を下ろしたら次に立ち上がるまで相当の時間が必要だからだ。


 少年は疲弊していた。

 小さな身体に相応の魔力では精霊を使役するのにかなりの労力を要する。

 鼓動は速く虚脱感と眠気に襲われ、腕の一本を動かすのも億劫だった。

 少年は意志の力でともすれば途切れそうになる意識を繋ぎ止め、再び戻った静寂に身を寄せた。


 しばらくすると新たな動きがあった。

 少年が訪れたのと同じ方角から人影が近づいてきた。


 背の高い男だった。

 少年と同じく精霊を使役して移動していたが、やがて立ち止まった身体に砂の一粒も降り積もっていなかった。


 男は眉を顰めると、風に掻き消えた少年の足跡を辿るように廃墟の中心部に向かって歩き出した。

 生活の灯が途絶えて久しい建物を瓦礫の山にするのは男には造作ないことだが、石や木片の山から埋もれた小さな身体を掘り出す手間を考えて、ゆっくりとしかし注意深く鋭い目つきで少年の姿を捜す。

 一方の少年は、男が彼を見つけ出せずに通り過ぎるのを願ったが、期待はしていなかった。

 深呼吸するといつでも飛びだせるように身構える。


 男の足音が近づく。

 灰土を踏みしめる音が次第に大きくなり、少年が潜む屋根のない建物の隙間からはっきりと男の姿が見て取れた。

 男は用心深く周囲を目配りながら歩を進め、少年と壁一枚隔てるまでに至った。

 少年は息を殺し自らの鼓動の速さを意識したが、男が足を止めると勢いよく飛び出した。


 男は瞬時に身構えると、少年の投げつけた短剣を剣の鞘でたたき落とし、勢いのまま剣を抜き少年に詰めよった。


「いい加減に諦めろ」

「それはこっちの台詞だよ」


 少年が操った風でまき上がった雪と灰混じりの砂粒が男の顔を打ち付ける。

 突然の砂嵐に男が顔を覆った瞬間に少年は身を翻しその場を離れた。

 少しでも遠くへ。

 あの男から、命を刈り取る死神の鎌から逃れるために。


 廃墟が背に遠くなり、やせ細った木々が次第に目につくようになっても、少年は振り返らず風に乗った。

 小さな身体でも隠せない黒っぽい木がまだらに生える森を抜ける。

 丈の低い草が揺れ、細雪が頬を打つ。


 どれだけ進んでも男の気配が追ってくる。

 息遣いが聞こえるようだ。

背後から途方もない魔力を感じる。


 大気のうなりに慌てて少年が身をそらすと、頬に鋭い痛みを感じたのと同時に隣の木が真っ二つに切り裂かれた。

 あと一歩遅ければ自分の胴体も木と同じ運命をたどっていたと思うと、少年の背筋に冷たい汗が伝った。


 少年は息も切れ切れに逃走したが、限界を感じていた。

 次第に少年を取り巻く風が弱まる。速度が落ちて、普通に走っているのと変わらなくなる。

 巨木を目にとめると少年は意を決して立ち止まった。

 木の葉一枚付いていない枯れ木に手をつき喘ぎ、崩れ落ちそうな身体を叱咤する。


 これ以上逃げ続けるのは不可能だった。

 寸分置かず男が少年の前に舞い降りる。

 息も切らさず、抜き身の剣を少年に向ける。


「ようやく観念したか」

「全然」


 頬に赤い線が走った状態で少年は不敵に笑った。

 圧倒的不利な状態でも、少年の心に諦めの感情は浮かんでこなかった。

 少しでも時間を稼ぎ仲間の到着を待つ。それまでこの木は盾位にはなるだろう。


 しかし、男は向かってこなかった。

 剣を構えたままで少年に振り下ろすこともせず、魔法を使うこともなく彼を睨み据えている。

 少年は訝しんだ。

 男の力なら木に少年ごと突き刺すこともできるし、巨木ごと真っ二つにすることもできる。

 だが、二の足を踏んでいる。


 ――躊躇っている?


 少年は瞬いた。

 そんなはずはない。

 男に慈悲の心は期待できない。

 他人ならまだしも、少年を見逃すなど考えられない。


 男に視線を定めたまま疑問に思っていると風を切る音が聞こえた。

 鳥ではない。もっと大きな生物が翼を羽ばたかせている。


 少年の後方から火の玉が降ってきた。

 枯れ木など易々と燃やせるほど大きな炎の塊は少年の横をすり抜け眉をひそめた男に向かった。

 轟音とともに熱風が吹きすさぶ。

 雪が蒸発し黒い地表が姿を現わす。


 少年は振り返るとほっと息をついた。

 吐き出した炎に照らされ朱金に輝く竜が空に浮いていた。

 少年の前方に舞い降りた竜は光に包まれると、次の瞬間にはひとりの青年が少年を守るように立っていた。


「無事か」

「勿論」


 短く言葉を交わすと二人は焦げた大地に向き直った。

 直撃していれば命はなかった炎を難なくかわした男は闖入者を一瞥した。


「退け」

「誰が」

「ならば共に果てるがいい」


 途端激しい剣戟が鳴り響いた。

 似たような体型だが男のほうがやや長身で力強い一撃を振るい、対する青年は引き締まった筋肉をバネとして手数の多さで相手を翻弄した。

 お互い腕は確かだが、少年を庇う分だけ青年が受身にまわる。


 やがて青年が押されだした。奮戦するが手傷が増えていく。

 身の危険を感じながらも竜であった青年は疑問に思った。

 子供を守る分不利なのはわかっていたが、思ったより状況が長引いている。

 男なら剣を振るいながらも魔法で二人を攻撃できるはずだ。

 時間が経てばはぐれた仲間が追いついて状況が覆される可能性もわかっているはず。


 何を考えている?

 自分を呼ぶ声に青年は我に返った。

 いつの間にか少年から離されていた。

 舌打ちしながら彼のもとに戻ろうとする瞳に巨木が映った。

 少年の背にある枯れ木。

 認識した瞬間、風景の一部としてあったものが意味を持った。


「その木に手をつけろ!」


 青年の叫びに少年は瞬くが、言われたとおり小さな掌が幹に触れる。

 意図にいち早く気付いた男は阻止しようと少年に向かうが、青年の放った火球に阻まれて立ち止まる。

 その隙に青年は少年のもとに駆け寄り自らも木の幹に手をついた。

 鮮やかな緋色の瞳が少年を捉える。


「俺を信じるか?」


 少年は笑った。何を今更というように。

 青年は満足げに笑みを返すと精神を集中した。

 やがて彼の身体から魔力が光を帯びて溢れ出し、腕を伝って枯れ木をめぐった。

 

 何をするのか興味深そうに見ていた少年は目を見開いた。

 青年の魔力に呼応するように木が仄白い光に包まれたかと思うと小さな蕾が現れ、瞬く間に丸みを帯び白い可憐な花を咲かせた。

 白い光に包まれ次々と花が咲き誇る。


 もはや枯れ木ではなかった。

 白い花を満開に咲かせた巨木は自らも光を放ち、少年は触れた掌から青年の魔力と木の霊力が熱い奔流となって身体を流れるのを感じた。


「させるかっ」


 いち早く我を取り戻した男は奇跡の光景に見入る少年に狙いを定め刃を振るった。

 少年は気付くも応戦できない。

 疲れ果てていたし、何より今手を離してはいけないと思った。

 青年は意識を集中していて気付かない。


 ――死なない。絶対に死ねない。


 頭上に迫る刃を睨み付ける少年のすぐ横を突風が吹いた。

 明らかに男を狙った風の刃は彼の剣を弾き飛ばし、その身体を吹き飛ばした。


「絶体絶命の危機にこそ英雄は現れるってな」

「誰が英雄ですか。馬鹿言ってないで真面目にしてください」


 軽口を言う者とそれを収める者、新たな人物の出現に少年の瞳は輝き、男の表情は険しさを増した。


「次から次へと……鬱陶しい」

「お冠だな。それだけ俺たちは最高の瞬間に現れたってわけだ」

「みたいですね」


 少年には男と対峙する二人の光景が薄絹に覆われたようにぼんやりと霞んで見えたが、やがて光が強くなり視界は白一色に染められた。


 目を開けているのか、それとも閉じているのか。

 わからない。

 ただ、少年の世界は真っ白で、遠くで誰かの声が聞こえた。



 ☆  ☆  ☆                



 気が付くと夜になっていた。

 ここはどこだろうかと少年は首を傾げる。


 離れた場所に金属柱が打ち据えられており、上方から光が発せられていた。

 星は小さく少ない。

 仲間の姿を捜すがひとの気配はなかった。


 少年は腰を下ろし、太い木の幹に背を預けた。

 張り詰めていた気が緩んで、忘れていた疲労に全身が鉛のように重かった。

 今襲われたらひとたまりもないと思い少年は薄く笑った。


 静かだ。

 ここは殺気も感じなければ怒号も聞こえない。

 ただ、夜の静寂に包まれている。


 光に包まれて何が起こったのか……少年は自分の状況を鑑みる。

 見知らぬ場所、気が付くと自分ひとりで仲間は行方知れず。

 自身の力ではどうすることもできない。


 危機的状況は変わらない。

 しかし、不安は感じなかった。

 むしろ薄闇の静けさが心地良い。

 白い花が咲き誇った木にもたれて、少年は夜空を見上げる。


 ふと違和感を覚えた。

 見たところ初めて来た場所だから、見慣れない建物や珍しい植物があったとしても何ら不思議はない。

 しかし、夜空に浮かぶ月は世界共通だ。

 そう、少年が惹かれてやまない――。

 けれど……。


 ここはどこだ……?

 少年は改めて思考を凝らす。

 身体は重く自由が利かないが、頭は冴え渡っている。


 風が吹いて花びらが舞う。小さな白は音もなく少年の手のひらに収まる。


「銀色の月……」


 満ちた輝きの下咲き誇る白い花の木。


「そうか……」


 少年は呟いた。


「そう、か……」


 もう一度。

 深々と息を吐き出す。


 やっと予言の始まりが訪れたんだ。



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