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騒乱トリップ

 水戸邦彦は、絶望していた。


 もう何キロも歩いていたが、途切れる気配はまったくなかった。

 ジャングルが。

 初夏の森を歩いたら、さぞ、うららかな陽光に楽しめたのだろうな。

 ――と、日本の森を歩いているような気持ちに浸ろうとしたのだが、顎門の開始とともに、生活リズムは逆転し、そもそも、森林浴したことがない邦彦は、暗鬱とするしかない。

 所詮、絶望は自虐でごまかされないのだ。

 獣道もない、熱帯植物の茂みを掻き分け、邦彦は彷徨っていた。

 鳥が突然飛び立ったかと思うと、遠くから判別のつかない獣の声のようなものが響く。

 邦彦は頬の汗を拭った。

 気温も湿度も高い。彼の格好は、幸か不幸か、顎門の制服である紺のレオタードだったが。


 このジャングルで縛が解かれてから、ほぼ十時間が経過しようとしていた。


 コトの発端は半日前に遡る。

 私立玖珠音堕学園高等部、近隣では、名門と囁かれる学園の敷地の隅、用務員室の隣に併設された用務員倉庫で毎夜行われる特別クラス、顎門で、その女講師森ルヰが嬉々として、こう言ったのだ。

「埋蔵金、興味ないですかー!」

 埋蔵金、その単語に、顎門の面々は狂喜乱舞した。

 興奮冷めやらぬ中、邦彦だけは無表情だった。

 埋蔵金、その言葉だけを聞けば浪漫も感じるのだが、発掘する試みの多くが失敗に終わっていることは歴史が証明していた。

『おやぁー、メガネ君は興味ないかな~』

 覚めた邦彦の顔色に、ルヰは顔を近づけた。

 邦彦の席とされる場所は、瓶底眼鏡をかけているという影響をまともに受けている。

 そして、邦彦は、ルヰの面立ちをごく至近距離で観察し、外見は二〇代前半に見えるのだが、と思った。

 邦彦は彼女が見かけよりは年上であることを確信していたのである。

 というのは、『新入社員が一番美味しいんでーす!』という彼女の口癖自体が、彼女が新入社員の立場にないことを何よりも証明していたし、年不相応に彼女の知識と能力が、顎門という特別クラスに叶っていたからだ。

 スキルの高い彼女に、ある種畏敬の念を抱いていた邦彦は、埋蔵金は幻だ、という意味合いのことをきっぱりと主張しきれなかった。

 すると、ルヰは、

『あら、それは顎門の情報屋、【薔薇の貴公子】君に対する侮蔑じゃないかしら?』

 と言い、

『そうだぞ、ニィック。僕を侮辱してるか?』

 と、邦彦の隣に正座した【薔薇の貴公子】こと、柊悟が、調子良く彼女に同調したのだ。

『ちなみに【薔薇の貴公子】が長かったら、一声、ローズマリー・プリンスと呼んで下さっていいですよ。【幻惑の究極ミステリアス】という呼びにくいニィックが、メガネ君という愛称を賜ったように』

 邦彦は【薔薇の貴公子】という彼のコードネームより、ローズなんたら、とかいう呼び名の方が長い、というツッコミを入れた後に、悟の情報自体の信憑性を疑うわけではないのだが、と口ごもった。

 彼らのやりとりから、邦彦はふたりの間に、埋蔵金発掘につき何らかの取引の存在を嗅ぎ取っていたのだ。

 だが、ルヰは口ごもる邦彦が聞こえないように、自分の提案を優先させた。

『じゃあ、決定! みんな、シーフりに行くよー!』

 その一声で、邦彦の運命は定まった。

『メガネ君は、簀巻きで強制連行の刑でー』

 そして、邦彦はぐるぐる巻きにされ、気づけば、このジャングルに放り出されていた。


「ふふふ……」

 半日前の平和を思いだし、邦彦は笑った。

 彼の目の前にいるのは、ライオンの頭部に、胴体は山羊、背中に羽を生やしている怪物だ。

 キマイラ。伝説上の生物である。

 キマイラは、茂みから姿を現したのだった。

 どきどきする心臓に、邦彦は現実逃避を試みた。が、現実逃避から戻っても、キマイラは消えない。

 今度は、瓶底眼鏡の間に指をいれて、必死に目をこすった。

 が、キマイラは幻ではない。

 先刻と同様、獲物を狙う獰猛な瞳を邦彦にロック・オンしている。

 禍々しい顎からは、炎がちらほらと垣間見え、その奥には、鋭い牙があった。

「よし、現実と認める! 認めてやる! だから俺は勘弁してくれ!」

 強がりだかなんだか意味不明なことを叫び、邦彦は後ずさったのだが、すぐに退路は茂みに遮られた。

 キマイラは獲物を追い詰めたことにも油断する素振りを見せず、威嚇することに余念がない。

 これから訪れる悲劇を想像だけで、邦彦は気を失いそうだ。

「眠っちゃダメーッ!」

 脳天を貫く衝撃に、邦彦はもんどりうって倒れた。

 頭上からなにか、が落ちてきたのだ。

 キマイラよりも先んじて受けた、予想外に邦彦はあっけなく昇天した。

 ところが、頭上から落ちてきた相手は、それを許さない。

 肩をつかみ、がくがくと邦彦を激しく揺さぶる。

「眠っちゃダメだって! 眠るともう二度と目を覚まさない、ってばっちゃんが言ってたっ!」

「それは冬山登山で遭難し救助を待っているが、肝心の救助が場合だーっ! いまは春、春っ!」

 ツッコミの入れがいある相手の発言に、邦彦は息を吹き返した。

 やや丸顔気味の顔に比し、大きめで黒目がちの瞳が彼をのぞいている。

 彼を揺さぶっていたのは、ひとりの少女だ。

 邦彦と同様レオタード姿の彼女は、顎門のメンバーである、皆藤愛。

 彼女は途中まで邦彦と同行していたのだが、

「あ、チョウチョ」

 と、ひらひらと舞う蝶々に興味を惹かれ、どこかに行方をくらましていたのだった。

「じゃあなんで、今にも逝きそうな顔を?」

 息は吹き返したものの、恐怖で引きつらせた表情の邦彦に、愛はそう尋ねた。

 一応は気づかいを見せる愛に、お前のせいだ、と、邦彦は言えずに、

「後ろ、後ろ!」

 と、声を張りあげて注意を促す。

「お。さすがに食材をみると目の色が変わるね、美味しそうでしょ。一緒に食べようかな、と思って」

「…………」

 しばし黙した邦彦は、まじまじと愛を見つめ、その次に彼女が背負った、口を縛られたアリゲーターに目を移した。

「あー」

 道理で。

「夢か」

 キマイラは理解できない夢、を表すという。

 夢オチはまだ試してなかったな、と邦彦は思った。

 そう思えば、眠気も感じてきた。

 熱帯雨林を思わせるこの地で目覚めてから、ちょうど十時間を経過しつつあることを腕時計が教えていた。

 腕時計が壊れていなければ、移動時間として算出できるのは、わずか一、二時間。そんな短時間の内に、学園からジャングルに移動できるわけがなかった。夢でなければ。

 結論を導いた邦彦は、目を閉じた。

 夢から目覚めるには、夢の中で眠る、それ以外の合理的な方法を思いつかなかったのだ。

「どういう意味? 夢って? 私の心遣いをないものにする気?」

 だが、愛は許さなかった。強烈に首を絞め、

「……い、いや、や、めて――」

 と、邦彦があまりの苦しさに目を見開く。

 ――ぉおぉおおおおおん!

 そして、同時にあげられた空気を振動させる咆哮に、邦彦は戦慄した。 

 それまでキマイラは空気を読んでくれていたのではなく、愛の背後にまで接近していたのだ。

 口をパクパクとさせる邦彦に、

「そんなにお腹、空いてるのかー」

 という、耳が悪いんじゃないか、と思うくらい脳天気な愛。

 どれだけアリゲーターを食わせたいんだ、と思ったが、

「後ろーっ! むしろ後ろのキマイラさんがお食事の時間だーっ!」

 という、邦彦の必死の警告が、ようやく届いたのか、愛が振り返る。

「逃げるぞ!」

 邦彦は、愛の手をつかみ、退却を促した。

 だが、彼の両脚は恐怖に震え、ものの役に立たない。

 ちーん、と、どこかで金鉢を叩く音が響き 邦彦は覚悟を決めた。

「俺が囮になる」

 と、格好良い台詞を吐き、愛の肩を押したのだ。

 だが、愛は逃げだそうとしない。

 きゅぴーん、と輝く愛の瞳に、邦彦は嫌な予感がした。

「美味しそーっ!」

 やっぱり。

 愛の背に括られたアリゲーターを見たときに七割方予測がついていたのだが。

「いや、ここは俺らが食われるかどうか、という瀬戸際で」

「だって、背中に生えてんの、鳥だよ!?」

「いや、その前に見どころはたくさんあるだろ」

「胴体から山羊が!! まさしく、棚からぼた餅っ! いや、ここは一粒で二度美味しいというべき?」

「真剣に悩むな、そ・こ・をーっ! ついているだろ、一番前に! これみよがしのご尊顔がーっ!」

「見どころなんていわれると、かえって目移りしちゃうタイプなんだよね、私。例えば、焼肉とラーメンと丼ものと、どっちがいい、って聞かれると思い切り悩んだ末、全部食べちゃう、みたいな」

「そんなツッコミどころ満載の発言されてもいまはツッコミきれんわーっ!」

「もうなんなの、一体!」

 と何故か逆ギレした愛は、

「ライオンっ!?」

 と、驚愕の表情を浮かべたのだが、それは、邦彦のものとは似て非なるものだった。

「――は、食べたことがないーっ!」

 天よ裂けろ地よ割れろ、といったように愛が絶叫する。

 絶対、涙することにも飽いたのだろう、背を小刻みに震わせ、「ふふふ~」と気味の悪い笑みを漏らし始める。さらに、孫の手に舌を這わせまでする。

「天誅」

 と合掌した愛が、手にしていた孫の手を構え直した。

「そして。ご馳走様」

 食う気だ。絶対コイツは食う気だ。

 かちかち、と歯の根が合わないのが、キマイラのせいなのか、愛のせいなのか、もはや邦彦には判断がつかない。

「食う気か?」

「使わせてもらうね、煩悩無双百八式を」

「煩悩無双百八式?」

「なにか聞きたい? そんなに?」

「いまはいいから! それよりキマイラさんを」

「えええええええええええ」

「聞いてほしいのか……」

「それまで食材が待っていてくれれば、の話だけど」

「だから、説明は要らんというのに!」

「一に食欲、二に食欲、三に食欲、四に食欲、五に食欲――というように人間の欲は百八あって煩悩とかいわちゃって除夜の鐘で払われたりするんだけど、貧しい者に施しを与えたばっちゃんの優しさは私に受け継がれている!」

「いいといってるのに勝手に始めやがったーっ! 煩悩の全てが食欲だし、説明自体が意味不明だーっ!」

「Q・E・D。かく示された」

「と思ったら、唐突に終わりやがった――というか、何故涙ぐむ?」

「ばっちゃんのこと思い出したら急に」

「来てるのか? お前のおばあちゃんが? そこに」

「ばっちゃんはご存命だよっ!」

「まぎらわしいわ!」

「そのばっちゃん直伝の、煩悩無双百八式のひとつに、使いどころを迷っていた技があったんだけど、それがいまこのときか、って」

「…………ほー、そうか。まあ、なんでもいいから。とっととやってくれ」

 邦彦は捨て鉢だ。

「なんでもいい、というのは食材に失敬だよ。命をシーフることは、この世で一番尊い行為なんだから……」

 そう言った愛が意識を“孫の手”に集中しだした。

 背後に迫りながらも、邦彦と愛の長いやりとりを待っていたキマイラも彼女から発せられる、異様な意識の高まりに襲いかかるのを躊躇しているようだ。

 邦彦は、期待したくないが期待できるかもしれない、と思った。

「ん! いくよーっ! 煩悩無双百八式のひとつ、日輪!」

 と、愛が絶叫する。

 次の瞬間、邦彦は、愛の行動に絶句していた。

 彼女の行動が、それまでの前置きはなんだったのか、と思うほどの脱力感を生じさせるものだったからだ。

 そして、邦彦は愛の祖母を、愛に煩悩無双百八式とやらを教えこんだ祖母を、激しく憎悪すると同時に、彼女を哀れんだ。

 キマイラを前に、彼女のした行動、それは手にした孫の手を、身体の前で、ぐーるぐーると弧を描くものだった。

「【カイトー】、これから、俺はお前の名を呼ぶときには憐憫を滲ませる」

「解説しよう!」

「いや、そんなに自分を卑下するな。いい、もういいのだ」

「煩悩無双百八式のひとつ、日輪とは、サーカスでよく見られる、火の輪くぐりから名づけられたのっ!」

「………………【カイトー】」

 邦彦はその場に跪いた。

 もはや、愛だけを逃がそうとしていた気概は、とうに失われていた。

 愛は孫の手をぐーるぐーると回していたが、無論、キマイラに怖気づく様子はない。

 最初から期待していなかった、と邦彦は自分に言い訳してみる。

 ぐあ、と大きく開かれた顎の迫力に、邦彦は、最期のときを悟った。

 そのときである。

 ――はははははは

 と、木々の間を縫って甲高い嘲笑が周囲に響いたのだ。

 その笑い声はあまりにも現実味に欠け、最期を覚悟していた邦彦は、幻聴か、と思った。

 すると、邦彦の横手、数メートル先で、鬱蒼と茂っていた草木がぺらり、とめくれた。

 それまで目にしていた風景が、シートに描かれていた絵で、その絵がはぎとられた、とたとえたらよいだろうか。

 およそ縦横三メートル四方に切り取られた空間、奥行きもそれくらいで、ちょうど立方体というべき空間の中にいるのは、ロッキングチェアに身体をくつろがせた、アロハシャツにサングラスという場違いな服装をした男だ。

 男は、設えられた丸テーブルの上からトロピカルジュースらしき液体の入ったグラスを手に取ると、「ははははは」と笑った。

 邦彦は衝撃を受けていた。

 空間がはぎとられたこともそうだが、彼が見知った男だったからだ。

 柊悟。

 この地に足を踏み入れる発端となった人物のひとり。

 邦彦は安堵よりも、必死だった姿を嘲笑されたことに、殺意、を抱いた。

 悟の登場に、愛は気づかない。キマイラに相対し、ぐーるぐーると孫の手を回すのに忙しい。

「ニィック。爆笑させてもらったよ」

 ロッキングチェアから腰をあげた悟は、拳を固める邦彦の前を通り過ぎ、唸りをあげるキマイラの脇に立った。

「コイツは、顎門がもつバイオテクノロジー技術が生みだした生物――ではなく、ロボットだよ」

 と言いながら、キマイラの頭を平然と撫でる。

「生物ではなく、ロボットという言い直しに意味はあるのか?」

 邦彦は憮然と訊いた。

「人に危害は加えない、ということさ」

「それなら、咥えられているお前の腕も痛くない、と?」

 さぁっ、と顔色を青くした悟が、滝のように冷や汗を流す。

「僕の情報に嘘はない、けど、情報提供者の述べた情報が必ずしも正しい、とは限らないからね」

 と、平静を取り繕いながら言葉を続ける悟に、

「だから、日輪が通用しないのか」

 と、愛が納得した。彼女は、孫の手を回すのをやめている。

「しかし、そのキマイラさんがロボットとは……」

 邦彦は半信半疑だ。

 だが、キマイラがなんであれ、何らかの制御がされているのは確実だ。

 逆説的だが、いまだそれは悟の腕に噛みついていたが、最悪の結果は齎されていないからだ。

 それは、邦彦の目には生きているようにしか見えない。悟は言い直したが、バイオテクノロジーの産物と断言してくれた方がまだマシだったろう。

「ホントだよ。僕が操作してるんだから」

「――は?」

「僕が操作してるんだから」

「何故二回言う?」

「大事なことだから、さ」

「何故、そこで哀愁が漂う?」

「噛みつかれているから、とでも言っておこうかな」

「…………」

「そんな不審げに僕を見るのはやめろよ、ニィック。さっきも言ったとおり、僕の情報に嘘はない、けど、情報提供者の述べた情報が必ずしも正しい、とは限らないのさ」

「要するに、サトルが噛みつかれてるのは、わざとではない、ということか?」

「誤動作くらいに、考えてみればいいんじゃない?」

「俺は痛くないから、どうでもいいが」

「ちなみに、カイトーの背にあるのは、風船さ」

 という悟の言葉に、え、と驚く愛。

「これが……風船?」

 愛が背に括りつけられていたアリゲーターを下ろす。

 サバ折りの体勢で身体を真っ二つに折られていたアリゲーターは、地面に下ろされると、およそ三メートルはあろうか、という体躯を伸ばした。

 邦彦の目にはアリゲーターも、到底、風船には見えない。

 が、邦彦はアリゲーターが風船というよりは、ソレに怖じけずに向かっていった愛の方が恐ろしい、と思った。

「じゃあ、食べれない……の? お腹すいたー!」

 愛はその場に跪くと、だーっと悲しみの涙を流し始めた。

 キマイラが悟の腕から顎を離した。

 そして、何かに恐れたかのように、だ、と駆け去っていく。

 なにがあったのか、は、このときの邦彦に対しての愚問に他ならないだろう。

 監視のエキスパートを自負する彼は、監視されても気配をいち早く気づくことができるのだ。

 悟のキマイラに関する情報は疑わしい。だから、キマイラの逃走が悟の操作によるものかどうか、というのはいまは問題にすべきものではない。

 問題とすべきは、キマイラが新たに出現した気配から、逃走したように思えることだ。


「ここは、顎門の研究施設さ」

 悟は邦彦と愛を先導しながら、そう説明した。

 愛は依然、生気がない。生気のない目で、ふたりの後をついてきている。

 よほど、アリゲーター、かつ、キマイラを食べ損ねたのが、ショックだったのだろう。

「何故それを知っている?」

 と邦彦は悟に質問した。

「僕は情報屋だよ。それくらいの情報はあるさ」

「じゃあさっきの寛ぎ空間も?」

「ああ。せっかくこれだけの設備があるのに、あそこだけ場違いの空気を放っていちゃ、無粋だろ?」

「情報屋だから知っていた、のか?」

「ああ」

 だとすれば、悟はかなり上質の情報を入手していたことになる。

「喉乾いたー」

 と、愛がぼやく。

「あー、あんなメカに悲鳴をあげた鶏にかまけて声をあげなけりゃ、まだまだ大丈夫だったのにー」

「…………」

 邦彦は奥歯を噛んだ。

 別に救助を頼んだわけではない、と強がる選択股もあったが、あのときは完全にビビっていた。

 ふとキマイラに怯えた邦彦を嘲笑した悟を思い出され、彼に挑むような視線を向けると、彼の姿は、忽然と消えていた。

「なにがいい? 水もあるけど果汁百パのジュースもあるし、栄養ドリンクもあるよ」

 という声に悟の姿を探すと、彼は愛と共に、一本の大木を前にしていた。

「一本百万円ってなんじゃこりゃーッ!」

 と、悟の隣の愛が仰天する。

「高いっしょ?」

 と悟がにやにや笑いで返す。

 浮かんだ悟への憎悪が、彼らに近づくことを邦彦に躊躇させていた。

「おごり、おごる、おごられ?」

 と妙な活用を披露した愛に、悟が得意そうな顔をする。

「顎門メンバー用の裏技をご覧にいれましょう」

 大木の表皮は、シートのように剥がされていた。

 その内側には、日頃目にする自動販売機が丸ごと埋めこまれたようになっており、陳列された飲料と選択ボタンがある。

 悟が、選択ボタンを操作しながら、裏技、を披露する。

「このボタンを一秒内に三回、こっちを……次にこっちを押して」

 その操作をひとつも見逃すまい、と愛は、悟の指先を凝視していた。

 出てきた飲料に、ふたりが喉を潤し始めた頃、邦彦は、ようやく、悟に尋ねた。

「それも、知ってたのか?」

 目だけで、勿論、という悟。

 邦彦も喉が渇いていたが、素直にその欲求を示さない。

「ぷは~っ! 生き返るなー」

 悟が快哉の声をあげる。

 ふたりがごくごくと飲む姿に刺激されたのか、邦彦も辛抱できなくなってきた。

 だが、素直に頼むには彼の自尊心が邪魔をする。

「~~~~っ! サトルっ! 俺にも教えてくれ」

 結局、邦彦は己の欲望に折れるのだが、ふたりの姿は、またしても忽然と消えていた。

 彼らは別の場所に移っていた。

 悟のときと同様、鬱蒼とした茂みが、非常識に剥がされている。

 新たに出現した空間には、カウンターがあり、そのカウンターの奥には、コンビニの制服姿の女性が微笑んでいた。 

「こちらのお弁当、温めますか?」

 と彼女が問いかければ、

「ん!」

 と、愛がご満悦な表情で首肯する。

 おにぎりを受け取った彼女が、地表に張りでた根に腰をかけた。

「なんでお弁当じゃないのに、お弁当っていうのかな?」

 とおにぎりにかぶりついた愛に構わず、

「おにぎりをレンジで温めるほうがおかしい」

 と、今度は邦彦も率先して会話に加わる。

「一個二百万」

 と邦彦の羨ましそうな視線に感づいた悟が、釘を刺すようにいう。

「ちなみにあのお姉さんの時給は、三千円だ」

「やっぱり……知ってたのか?」

 悟が目だけで、無論、と言った。

「その情報、正しいのか?」

「三千円だよ、時給」

 と悟が、おにぎりに齧りつく。

「そのなまなましい数字は確かかもしれんが、二百万とは……」

「僕にそんな金があったのか、そんな顔だね」

「…………」

「僕に二百万相当の情報をくれれば、教えてあげてもいいよ」

「二百万相当の……情報?」

 邦彦は歯噛みした。彼は空腹だった。

 最後に食事してから、既に半日以上は経過している。

 しかし、邦彦には悟を満足させる情報に思い至らない。


 三人が歩き始めてから、一五分ほど経過しただろうか。

 邦彦は空腹と喉の渇きに苛まれながらも、顎門の研究施設だというこの場所の広大さに辟易していた。

「まだか?」

 彼らは、熱帯雨林を抜ける出口を目指していた。

 戻ろう、と言いだしのは悟だ。

「もう目と鼻の先にまできてるよ」

「えー、埋蔵金シーフりに行こーよーっ!」

 と、愛は当初の目的に、こだわり続ける。

 疲労困憊の邦彦とは対照的に、愛は元気そうだ。

「もう諦めろ」

 邦彦は愛をなだめた。

 空腹と喉の渇きが激しく、この地を一刻も早く出たかった。それもあったが、キマイラを追い払った視線の気配じみたものが、依然、つきまとっていることも心配だった。

 太陽は沈み、周囲も暗くなり始めていた。

 だから、邦彦は、くわっと目を見開いた。

 監視する気配の正体が姿をみせたわけではない。

 彼の動作は、彼のかけた瓶底眼鏡の機能を作動させるために必要なもの。

 その動作に応え、速やかに、視界が緑色の光に満たされる。

 瓶底眼鏡に仕組まれた機能のひとつ、暗視機能。

 言うまでもなく、その眼鏡は顎門の特別仕様のもので一般に市販されているものではない。

 今更、彼の瓶底眼鏡を持ち出すまでもなく、顎門は、一般人では予測のつかないほどの、オーバーテクノロジー的な技術を保持している。

 だから、顎門のメンバーである愛も、研究施設の突拍子のなさについては一言も口にしなかったのだ。

 それから数分歩いたところだろうか、樹木の影から複数の人影が現れる。

 尾行のエキスパートを自負する邦彦の感覚は正しかったのだ。

 彼らの手には、もれなく、石を削った矢尻をつけた棒、つまり槍が握られている。

 猿を思わせる、というよりはむしろ猿そのもの、といった外見の彼らは、槍を構えつつ、邦彦らを包囲した。

「なんだ、お前ら?」

 邦彦は用心深く、彼らを見すえた。

 彼らは、人間に進化する前の段階の存在、類人猿であるらしい。

 一定の思考能力があるのだろう、彼らは槍を構えたまま、邦彦らと一定の距離を保っている。

「埋蔵金の守護者とか?」

 という愛に緊張の響きはない。

 むしろ、守護者がいるということは、近くに埋蔵金があるのでは、という期待に満ちている。

 なるほどそれも一理ある、邦彦は思った。 

「財宝があるところには必ず、それを守る者がいるっていうのは鉄板でしょ?」

「サトル、そうなのか?」

「守護者、という意味では正しいかもね」

 悟は、まるで無警戒に、彼らに近づくと、

「山本さん、お疲れ」

 と労いの言葉らしきものをかけた。

 すると、声をかけられた類人猿がぎこちない笑みを浮かべる。

「山本さん? 知り合いか?」

 呆気にとられた邦彦は、そういうので精一杯だ。

「これが山田さんの赤ちゃん? 可愛いね」

 唖然とする邦彦を横目に、悟が、山田さんの胸に抱いた、子猿に手を振る。

「ちなみに、メカの誤作動に対処する彼らの時給も三千円だ」

 という悟の発言に、邦彦は一定の理解を得たのだが、

「あのコンビニじゃ何も買えないねー」

 と愛は、三千円という部分に同情の響きをこめ、

「顎門のスタッフは無料だよ」

 という悟の答えに、邦彦は、

「無料かよ! あれだけ勿体つけやがって!」

 と、絶叫した。

 邦彦は、悟の意地悪に用心はしていたつもりだったのだが、またしてもしてやられたようだ。

 類人猿と別れ、再び歩きだした邦彦の胸中には、悟への不満が燻っている。

 それでも、邦彦は悟なら知ってるであろうことを尋ねずにはいられなかった。

「顎門が、こんな研究施設を創った目的、なんなんだ?」

「世界征服のため、だよ」

「真顔ということは、嘘、だな」

「アタリ」

 と悟があっさりと認める。

 邦彦が呆れながら、

「情報屋が嘘をついていいのか?」

 と尋ねると、

「アタリが出たから、もうひとつ、嘘、いいかい?」

 と悪戯っぽく答えるので、邦彦は嘆息した。

「嘘だと告白した嘘に意味はない」

 悟が肩をすくめた。

「僕は情報の提供なしに情報は供与しない」

「情報には情報を」

「だね」

「それが嘘か」

「嘘じゃないことをニックだって知ってるじゃないか。その点、嘘をつく機会を提供してくれるニィックには感謝してるよ」

「では、顎門がこの研究施設を創った目的を教えてくれ」

「命題がそのまま答えになっている、と思わないかい?」

「…………」

 悟も知らないのだ、と邦彦は判断した。

 もしも彼が知っているなら、それなりの合図をするはずだった。

「ニィック。そこから三歩先、危ないよ」

 悟はそう言って立ち止まった。

「三歩?」

 と聞き直している内に、邦彦の足元は消えていた。


 どれだけの高さを落ちたのか。また、どれだけの時間気を失っていたのか。

「………………」

 体で痛むところはない。

 顔面から落ちたのだろう。そう落ちるよう、彼のかけた瓶底眼鏡には自動スタビライザー機能が組みこまれているし、衝撃を吸収するエア・バッグも装備されている。

 周囲は真っ暗だ。

 頭上に真円の穴があるのが辛うじて認められるが、その事実が、邦彦の質問に答えてくれるわけでもない。

 この穴の底が円筒状の空間の底であれば、両手に抱えられるくらいに縮んだ円の半径から大体の高さも求められるのだろうが、計算する気力も失せていた。

 ただ時間のほうは、彼の腕時計が教えてくれた。

 一時間、だ。

 穴に落ちて、もうひとつ邦彦が知ったことがある。

 些細なことだが、これまでの一連の出来事が、夢ではない、ということ。

 目を覚ましても夢の続きの夢なんて、悪夢以外のなにものでもない。そんな悪夢など見たくもなかった。

 そして、邦彦は、くわっと目を見開いた。

 たちまち、視界が緑色に満たされる。

 暗視機能を動作させたまま、邦彦は、直径三メートルほどの円周に視界を巡らせた。

 自販機どころか、コンビニすら準備している顎門運営サイドが何も考えずに、無意味なものを作るとは思えなかった。

 つまり、この穴には何らかの目的があり、脱出するための手段もある、と考えたのである。

 だが、それらを見つけるよりも先に、邦彦は、穴の底にいるのが自分ひとりではないことに気づいた。

「愛?」

 邦彦は愛に近寄って呼吸の有無を確かめ、かすかな寝息をたてていることを確認した。

 愛も邦彦のように落下したのだろうか。

 邦彦は愛の隣に寝転ぶと、落下した穴が空を切り抜いたように見えた。

 切りとられた空には星が瞬いている。

 それはそれで不可思議なことではある。というのは、それまで彷徨い歩いていた森林には、厚い枝葉で覆われた樹冠があり、空を見渡せなかったはずだから。

 邦彦は垂直に手をあげた。

 そして、穴の真上にだけ、枝葉がない理由を悟る。

「洒落た演出、か」

 穴の底から空を見あげると、ちょうど空が手でつかめるような感覚になるのだ。

「宙をシーフる」

「星をシーフる」

 と隣の愛がささやく。

 彼女も目を覚ましたらしい。

 手を開いたり、握ったりしていた彼女が、邦彦の横顔を眺める気配が伝わる。

「あの空も、星も贋物だけど」

「…………贋物?」

「あー、そう言えば――ぷ、ぶふ!」

 愛は吹きだした。けたけた、と笑いだす。

「何故急に笑いだす?」

「す、簀巻きにされてたから」

 贋物だと言いだした理由を、愛は所々で思い出し笑いを挟みながら、説明した。

 それによると、この地は、顎門の地下数百メートルのところにあるらしい。

 つまり、移動時間が短かったのは、そういった訳だったのだ。そうであれば、地下にこれだけの世界を創造した顎門の技術力と資本力に舌を巻かざるをえない。

 けたけたと笑い続ける愛に、邦彦は苦笑した。

 贋物、という言葉を持ちださなければ、もう少しロマンチックな気分に浸れていたのに、と思ったのだ。

 だが、そういったものと愛は無縁だ。

 邦彦も望んでいるわけではない。だからこそ邦彦としても気楽に付き合えるのだが。

「山羊と鳥、食べれなかったなー」

 笑いを収めた愛が、ぽつりとつぶやいた。

「まだ食い足りないのか? 俺はもうこれで半日以上は食いそこなっているわけだが」

「逃げろ、って言った?」

「…………」

「あれだけの食材を独り占めにする気だったの?」

 普通そういう話の流れになるか、と思ったが、邦彦は口に出さない。

「アリゲーター、食えなかったな」

「風船って――、思い返すと、お腹がすいてくる」

「どれだけ食う気だ……」

「ここはいいよ。うん、いい!」

「は? 何故?」

「わかりやすくて」

「俺にはお前の言っていることが、さっぱりわからんが」

 愛は返事を返さない。邦彦も黙ったままでいた。

 しばらく、そうやってふたりは無言で空を見あげていた。

 彼らの行方不明を告げるアナウンスがあるまで。

 ちなみに、アナウンスとは次のようなものだ。

 ――ピンポンパンポン、迷子のお知らせです。【幻惑の究極ミステリアス】君、及び【カイトー】さん、講師の森ルヰさんが入り口ゲート付近にてお待ちです。至急、戻ってきてください。あと三分ほどで出発します。ピンポンパンポン。

 邦彦は、がばと体を起こした。

「戻れ? 戻れといったのか? どうやって? ハッ! そうだ。カイトー、お前はどうやってここに?」

「上から?」

 寝そべったまま、愛は自信なげに頭上を指した。

「俺が聞いてるのは、どうやって、という……」

「うーん。思い出せないんだよねー。うお! 頭におっきな、たんこぶが!」

 ようやく痛みを実感したらしい愛が、頭を抱えて呻く。

 話の内容が矛盾しているような気がしたが、愛らしい思考回路といえば、そうなのだろう。

 たんこぶから察するに、愛は、邦彦と同様の方法で落下したらしい。だが、邦彦と異なり、彼女にはセーフティネットがない。

 よく無事でいたものだ、と邦彦は思った。自分も。

 邦彦が気絶していたのは、直径三メートルの円内、運が悪ければ、彼の上に落下してきたかもしれないのだ。

 しかし――、どうやって脱出したものか。

 邦彦は周囲を見渡し、脱出の足がかりを探したのだが、道具類は望むべくもなく、三分内に穴の入口まで昇る体力はなかった。

 だが、彼の懸念は突然、解決する。

 彼と愛が腰を落としていた地面が、小刻みに震え始めたかと思うと、彼女が邦彦の体の上に覆いかぶさってきた。

 彼らのいた円筒状の空間自体が傾斜したのだ。

 そして、邦彦と愛は、急スピードで空へと撃ちだされたのである。

 

 撃ちだされた邦彦と愛を待っていたのは、張られたネットだった。

 愛は持ち前の運動神経でうまく対処したようだが、邦彦の場合、皮肉にも瓶底眼鏡の機能が働いた。

 無機質な廊下を案内板に従い、アナウンスで告げられた入り口ゲートに到着すれば、エレベーターホールを思わせる空間に、顎門の面々は揃っているようだ。

 疲労と空腹をありありと見せる彼らの中に、悟の姿を見つけた邦彦は、彼に近づいた。

「無茶苦茶だ」

 青ざめた顔のまま、邦彦は悟にぼやいた。

「飛ばされたんだぞ。ロボットのキマイラとか、悟のいた空間はハイテクなのに、人間大砲って、どれだけローテクなんだ?」

「ローテク? むしろ技術の粋を集めたものだと僕は思うけどね」

「あれのどこが?」

「穴の掘られる場所は場所は特定できない、ということさ」

「どういうことだ?」

 訝しげな表情をする邦彦に、悟がキスを求める表情をする。

 情報には情報を。

 悟が情報の提供を求める、合図である。

「悟、お前……」

 なに者だ? という疑問を邦彦は喉で握りつぶした。

 悟は顎門の仲間、という認識はあった。

 が、顎門が開講して一ヶ月、悟のことを信用できるか、といえば、疑問だ。

 彼が情報屋だから、多くの情報を知っている、と単純に言い切ることはできなかったのである。

 悟は、平素のにやにやした表情に戻ると、邦彦の耳に口寄せた。

「良いデータがシーフれた、そう言ってたよ」

「俺たちは体のいい被験者、そういうことか?」

「なんの?」

「埋蔵金は餌か?」

「うーん。ある意味そう誤解するように仕向けたのかもしれないけど……」

「仕向けた?」

 不審顔の邦彦に、悟は忍び笑いを漏らし始めた。

「先に謝っとこうかな、ククク……」

 邦彦は、それが謝る態度か? と思った。

 やがて、エレベーターの前に、顎門の面々を集めたルヰが、

「みんな~、お疲れ~。全員揃ったみたいだから、帰ろっかー」

 と言う。

 悟が目を移し、質問は宙ぶらりんになったが、邦彦も彼に倣った。

 そこに、先生? と手を挙げるひとりの少女。

 切れ長の理知的な瞳に、意思を感じさせる、凛とした面立ち。

 彼女は、ともすれば無軌道になりがちな顎門を律してきた、代表者ともいえる存在だった。  

「埋蔵金の話はどうなったのでしょう?」

 という小麦の質問に、悟が、ほら、というように、邦彦の横顔を盗みみる。

「無事シーフちゃいましたー、ブイ!」

 と、ルヰが嬉しそうに、ピースサインをつくる。

 ルヰの反応は、面々に波紋を投げた。

 え、という顔の小麦と、ざわざわと顎門の面々が騒ぎだす。

 その埋蔵金はどこに?

 いつの間に?

 そういった彼らの抱いた疑問が、邦彦には手にとるようにわかる。

 というのは、邦彦も同様だからだ。

「じゃあ、帰ろっかー」

 とエレベーターに向き直ったルヰに、小麦が待ったをかける。

「先生、私たちにもその、さしでがましいかもしれませんが、ここで入手した埋蔵金を見せていただくことはできないですか? 私たちも、埋蔵金を探すために苦労したわけですし、その権利は十分にあるはず、と思うのですが」

 ルヰは、躊躇せず、

「もちろん、いいですよー」

 と、両手を彼らの前に差しだす。

「マイ、象、さん、でーす!」

 彼女の両手に包まれたのは、拳よりもやや大きめの、象だ。

 その象を見た、顎門面々は灰になった。

 さすがの小麦も、これには面食らったようで、珍しく空虚な瞳で、「マイ象さん?」とつぶやく。

「ルヰはひとり暮らし始めたんだけど~、やっぱり寂しくてさ~」

 そう始めたルヰだが、顎門の面々は、白んだままである。

 知るか、そう心の内で訴えることができたのは、研究施設で人並み以上に苦労した邦彦、能天気な愛、それから――。

「だからと言って、下着なんかシーフりに来たら、許さないんだからね!」

 だから、誰も行かない、と。

「そんなとき、ルヰは、ある情報を耳にしてしまったの。それは、この顎門の研究施設に、ペットにふさわしいちっちゃい象さんがいると!」

 ルヰの声は、静まり返ったエレベーターホールに響き渡った。

「じゃあ、私たちはなんのために?」

 と、小麦の声が響くまで。

「ルヰがひとりで行くの、心もとなかったからでーす!」

 そのあっけらかんとした答えに、小麦は絶句した。

 よろよろとふらついた身体を、彼女の取り巻きのひとりが支える。

「どうしたの、【美学】さん?」

 とルヰは、小麦の変調に気がつかない様子だ。

 あれだけ穴を掘った俺の苦労はーっ!

 と、突然、あがった声に、邦彦は、喉の奥に刺さっていた骨が取れたような気持ちを味わった。

 邦彦と愛が落ちた穴。

 あれは、埋蔵金という言葉を真に受けた彼の仕業だったのだ。


 こうして、ルヰに付きあわされた、“研究施設見学”は幕を閉じた。


 その翌夕、邦彦は顎門に出席していた。

 出席率は低い。

 昨晩の疲労が残っているのか、或いは、顎門を見限ったのか。

 明晩にならなければ、邦彦に判断はつかない。

 愛は出席している。

 連日の如く、敷かれた畳の上で熟睡しているが。

 ルヰはまだこない。が、地下の研究施設で入手した、マイ象さん、を抱えて登場することは容易く想像できた。

「サトル、お前も一枚噛んでたのか?」

 と隣で胡座を組んだ悟に、邦彦は声をひそめた。

 声量を落とさなければ、彼らは暴徒と化しただろうから。

 マイ象さん、と、埋蔵金とルヰが言い間違えなければ、顎門の面々は誰も、ルヰに付き添わなかっただろう。

 その言い間違いが、故意にしろ過失にしろ、悟に責任の一端があるのは、もはや明白だった。

「メリットはあったし、ね」

「あの寛ぎ空間のことか? あの寛ぎ空間のことを言ってんのかー!」

「ニィックだから告白するけど、あの自動販売機の裏技も、さ」

「あのコンビニも、か?」

「情報もそうだけど、全ては等価交換だよ」

「ふん! 俺らを売りやがって!」

 白熱する邦彦に、悟は肩をすくめた。

「俺“ら”――って、…………それが顎門、だろ?」

 つまり、悟は、顎門の各人が他者は利用する者、蹴落とすことが当然、というふうに捉えているのだ。

 心侘しい奴だ、と邦彦は思った。

 確かに、邦彦も悟と連れ立つことが多いのは、二人のスキルが補完の関係にあるからである。

 だから、悟が、自分の情報が目的、と思われても仕方のないことであろう。それを裏づけるように、今回の件で邦彦は悟から散々嘲笑を受けている。

 それでも、邦彦は悟が本心からそう思っている、とは思っていなかった。

 邦彦は自虐的な性格ではないが、彼の嘲笑も、そんなに悪意のあるものには感じていなかったのである。

 いつものにやにやした笑いに、どう答えるか、と一抹の陰りを悟の表情の中に見つけた邦彦は、拳を固めると冗談ぽく、

「お前は何を言ってるんだーっ!?」

 悟の頬を殴りつけた。

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