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【短編版】元最強探索者、ダンジョン攻略をやめて遭難者の救助をする

掲載日:2026/07/11

こちらの作品の連載を始めました。

「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。

https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。

 午後四時十二分。


 奥多摩第一ダンジョン救助管理所に、その日三件目の救難信号が入った。


「第六階層、青晶湖東岸。要救助者は二名です」


 管制員の声に、黒瀬慎吾は机に置いたカップ麺から顔を上げた。


「父親四十七歳、娘十五歳。父親が右脚を負傷して動けないとのこと。娘さんからの通信は途中で途絶えました」


「青晶湖か」


 黒瀬は冷めた缶コーヒーを置き、壁の時計を見た。


 午後四時を過ぎている。


 一般探索者の退場時刻は午後六時。普段なら、低層にいる観光客が地上へ戻り始める時間だった。


 だが、今日は事情が違う。


 管理所の壁には、二つの赤いランプが点灯していた。


 一件目は第四階層で発生した集団食中毒。


 救助員六名と医療班が搬送へ向かった。


 二件目は第九階層の崩落事故。


 残っていた救助員五名も、全員そちらへ出ている。


 管理所に残っている現場要員は、黒瀬一人だった。


「魔力霧の状況は?」


「二十分前から濃度が上がっています。地下水路の増水予報も出ました。

山梨第二ダンジョンから応援が向かっていますが、到着には一時間以上かかります」


「一時間以上か。ちょっと待てないな」


 黒瀬は椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。


「じゃあ、行ってくるよ」


「待ってください」


 管制員が慌てて振り返った。


「単独救助は禁止です」


「うん。知ってる」


「でしたら、応援を待ってください。青晶湖東岸は、増水が始まったら退路がなくなります」


「だから、今行かないとね」


 黒瀬はいつもの調子で笑った。


 管制員の表情は硬いままだ。


「黒瀬さんまで動けなくなったら、救助対象が増えるだけです」


「それは困るなあ」


「真面目に言っています」


「俺も真面目だよ」


 黒瀬は壁際のロッカーを開けた。


「一時間待ったら、その二人は水の中かもしれない。だったら、動ける人が行った方がいい」


 止血剤、固定具、保温シート、牽引ロープ、魔力灯、誘導杭を小型リュックへ詰める。


 非常食の棚からチョコレートを三本取った。


「遠足に行くんじゃないんですよ」


「疲れたときは甘いものが一番だからね」


 大きめのロッカーの奥には、黒い長剣が立てかけられていた。


 二十年前。


 日本にダンジョン探索者という職業が生まれたばかりの頃、黒瀬は探索者になった。


 国内初の第四十階層到達。


 災害級魔物の単独討伐。


 世界探索者ランキング三位。


 一時期は、日本最強の探索者と呼ばれていた。


 だが、黒瀬は長剣を取らなかった。


 腰に差したのは、刃渡り二十センチほどの救助用ナイフだけだ。


「戦わないんですか」


 管制員が尋ねた。


「今日は探索じゃないからね」


 黒瀬はロッカーを閉めた。


「迎えに行くだけだよ」


 ◇


 奥多摩第一ダンジョンが出現して、二十三年になる。


 かつては、未知の魔物があふれ出す危険地帯として恐れられていた。


 今では低層の多くが整備され、年間百万人以上が訪れる観光地になっている。


 第一階層には土産物店があり、第三階層ではおとなしい角兎に餌を与えられる。


 第六階層の青晶湖は、特に人気が高い。


 天井と湖底を覆う青い結晶が光を放ち、地下にいるとは思えない幻想的な景色を作り出す。


 ダンジョンへ入らなくても、人は生きていける。


 それでも人は、地上では見られない景色を求めて中へ入る。


 家族と同じ景色を見たい。


 日常から少しだけ離れたい。


 昨日までの自分より、遠くまで歩いてみたい。


 黒瀬には、その気持ちがよく分かった。


 危険な場所へ、わざわざ入っていく。


 知らない人には、馬鹿な行為に見えるかもしれない。


 それでも、行った者にしか見られない景色がある。


 その景色を見て、生き方が少し変わることもある。


 だから黒瀬は、遭難者に「来なければよかった」とは言わない。


 失敗したことより、まず生きていたことを喜ぶ。


 反省するのは、そのあとでいい。


「救助管理所、こちら黒瀬。第五階層を通過」


『了解しました。魔力霧が急速に濃くなっています』


「こっちでも見えてるよ。真っ白だ」


『視界はどの程度ですか』


「三メートルくらいかな。美人がいても見逃すね」


『黒瀬さん』


「はいはい。真面目にやります」


 黒瀬は端末の地図を閉じた。


 魔力霧の中では、電子地図の位置情報が少しずつずれる。


 初めてここへ入った人間は、端末の矢印が正しいと思い込んでしまう。


 黒瀬は壁面の苔に触れた。


 水の匂いを嗅ぎ、足元の傾斜を確かめる。


 遠くを見ようとはしない。


 次に踏む場所だけを見る。


 右の壁に赤い苔。


 その先に折れた石柱。


 水滴の音が二つ重なる場所で左へ曲がる。


 二十年間、黒瀬はダンジョンを歩いてきた。


 最初の十年は、誰よりも深く進むために。


 今は、誰かを連れて帰るために。


「第六階層へ入った。青晶湖の水位は?」


『平常時より十四センチ上昇しています。上昇速度も速まっています』


「帰りは南側の管理路を使うよ」


『そこは一般閉鎖区域です』


「うん。でも、水が来るのは正規ルートより遅い」


『通行状態は確認されていません』


「十七年前に通ったときは、ちゃんとつながってたよ」


『十七年前の情報を当てにしないでください』


「大丈夫。駄目だったら戻るから」


 青晶湖へ出ると、霧の向こうに青い光がにじんでいた。


 湖面の下に沈んだ無数の結晶が、星空のように瞬いている。


 黒瀬は足を止めた。


「やっぱり、きれいだなあ」


『黒瀬さん?』


「いや。こっちの話」


 こんな状況でなければ、しばらく座って眺めていたかった。


 遭難した二人も、この景色を見に来たのだろう。


「救助隊でーす! 聞こえたら返事をしてください!」


 黒瀬の明るい声が湖岸へ響いた。


 返事はない。


 濡れた地面に、二人分の足跡が残っている。


 大きな靴跡と、小さな靴跡。


 途中から、大きな方の足跡が乱れていた。


「救助隊でーす!」


「……こっちです!」


 霧の奥から、少女の声が返ってきた。


「おっ、いたいた!」


 黒瀬は声の方向へ進んだ。


 大きな岩の陰に、父娘がいた。


 父親は倒木にもたれ、右膝を押さえている。ズボンが裂け、血が黒くにじんでいた。


 娘は、自分の上着を父親の脚へ巻きつけていた。


 黒瀬の姿を見た瞬間、少女の顔がくしゃりと歪んだ。


「よかった」


 黒瀬は二人の前へしゃがみ込んだ。


「二人とも、よく頑張ったね」


 少女の目から涙がこぼれた。


「お父さんを助けてください」


「もちろん。そのために来たんだ」


 黒瀬は父親の傷を確認した。


 細い結晶片が、膝の外側へ刺さっている。


 骨折はしていない。


 結晶を抜かなければ、大量出血の危険も低かった。


「これ、抜かなかったのは君?」


 黒瀬が尋ねると、少女はうなずいた。


「抜いたら血が出ると思って」


「大正解。すごいじゃないか」


「でも、通報が途中で切れて……」


「場所は分かった。十分だよ」


 黒瀬はリュックからチョコレートを一本取り出し、少女へ渡した。


「食べられる?」


「今ですか?」


「今だから。君も疲れてる」


 少女は戸惑いながら包装を開けた。


 黒瀬は父親の脚へ固定具を巻き始めた。


「痛かったら言ってください」


「すみません」


「謝らなくて大丈夫」


「私が、娘の言うことを聞いていれば」


「その話は地上に帰ってから、ゆっくりしましょう」


 黒瀬は父親の顔を見て笑った。


「ここは寒いから、長話には向かない」


 少女が胸元から小さな透明容器を取り出した。


 中には、青白い花びらが一枚入っている。


「星晶花?」


「はい」


 七年に一度だけ、青晶湖東岸に咲く花だった。


「お母さんが好きだったんです」


 少女が言った。


「三年前に亡くなったんですけど、昔から、三人で見に行こうって話してて」


 父親が目を伏せた。


「妻が生きている間は、仕事を理由に来られませんでした。

来月、娘は妻の実家へ移ります。だから、今日が最後かもしれないと思って」


「なるほど」


「霧が出始めたとき、娘は戻ろうと言ったんです。それなのに、私は、あと少しだからと」


「花は見られました?」


 父親が意外そうに黒瀬を見る。


「……はい」


「きれいでした?」


 今度は少女がうなずいた。


「すごく」


「それはよかった」


 黒瀬は固定具を締め終えた。


「じゃあ、次は三人で地上の景色を見よう」


 父親の顔が歪んだ。


「責めないんですか」


「もう十分、自分で責めてるでしょう?」


 黒瀬は父親の腕を自分の肩へ回した。


「今はその力を、歩く方に使いましょう」


「一人で来たんですか?」


 少女が尋ねた。


「今日はみんな忙しくてね」


「私たちのせいで……」


「違うよ」


 黒瀬はすぐに答えた。


「助けを呼んでくれたから、俺が来られた。ありがとう」


 少女は驚いたように黒瀬を見た。


「さあ、出発しよう」


 黒瀬は父親の身体を支えた。


「ゆっくりでいい。止まってもいい。でも、地上まで一緒に帰ろう」


 ◇


 帰路へ入って五分後。


 青晶湖の底から、地鳴りのような音が響いた。


 湖面に細かな波が立ち、青い光が砕ける。


『黒瀬さん! 東岸水路が決壊しました!』


 通信機から管制員の声が飛んできた。


『水位が急上昇しています。予測より二十分早いです!』


「そうか。急いだ方がよさそうだね」


 背後から、大量の水が流れ込む音が近づいてくる。


 父親の足が止まった。


「黒瀬さん。私を置いていってください」


「うん?」


「この速度では間に合わない。娘だけを連れていってください」


「それはできないなあ」


「私の判断が間違っていたんです。娘まで巻き込むわけには」


「娘さんを一人で帰す方が、つらいと思いますよ」


「でも、このままでは全員が」


「大丈夫」


 黒瀬は霧の中で右手の岩壁を探った。


 細い亀裂がある。


 十七年前、探索中に偶然発見した横穴だった。


 当時は南側の管理路まで抜けていた。


「別の道がある」


「地図にはありません」


「地図にない道って、ちょっとわくわくするでしょう?」


 少女が不安そうに首を振った。


「しません」


「そうか。今はそうだよね」


 黒瀬は笑って、横穴をのぞき込んだ。


「紗季ちゃん、先に入って。奥に小さな誘導灯が見えるまで、まっすぐ進む」


「お父さんは?」


「俺がちゃんと連れていくよ」


 少女が横穴へ入った。


 黒瀬は父親の身体に牽引ロープを巻き、自分が後ろから押す。


 負傷した脚が岩へ触れ、父親がうめいた。


「痛いですよね」


「大丈夫です」


「大丈夫じゃなくていいですよ。痛いときは痛いって言ってください」


 冷たい水が足元へ届いた。


 たちまち脛の高さまで上がる。


「もう無理です!」


 父親が岩壁をつかんだ。


「俺のせいで、娘まで死んでしまう!」


「お父さん!」


 横穴の先から少女が叫んだ。


「私が花を見たいって言ったから!」


 二人の声が、狭い岩場の中でぶつかり合った。


 黒瀬は父親の肩を軽く叩いた。


「お父さん」


 父親が顔を上げる。


「娘さん、まだ話したいことがいっぱいあるみたいですよ」


「……はい」


「だったら、ここで終わるのはもったいない」


 水は膝まで上がっていた。


「謝るのも、怒るのも、泣くのも、地上の方がいい。温かい飲み物もありますからね」


 黒瀬はロープを握り直した。


「あと少し。よく頑張ってますよ」


 父親が歯を食いしばり、再び前へ進み始めた。


 そのとき、湖側から獣の咆哮が響いた。


 白い霧の奥に、赤い目が浮かぶ。


 三頭の青晶狼だった。


 増水に追われ、高所へ逃げてきたらしい。


「黒瀬さん!」


「うん。来たねえ」


 黒瀬の口調は変わらなかった。


「二人とも、そのまま前へ進んで」


「でも、あなたは」


「あとから行くよ」


 黒瀬は父親のロープを少女へ渡した。


「紗季ちゃん、お父さんを引いてくれる?」


「無理です!」


「大丈夫。もう半分は横穴に入ってる。君ならできるよ」


「黒瀬さんはどうするんですか」


「ちょっと道を閉めてくる」


 青晶狼が水を蹴った。


 黒瀬は救助用ナイフを抜く。


 二十年前からダンジョンへ潜ってきた黒瀬にとって、青晶狼は強敵ではない。


 三頭すべてを倒すこともできる。


 だが、血の匂いを流せば、さらに魔物が集まる。


 今必要なのは、勝つことではない。


 全員で帰ることだ。


 黒瀬は岩壁を見上げた。


 入口の上に、巨大な青晶柱が張り出している。


「ごめんね。ちょっと通れなくするよ」


 誰にともなく言い、結晶の根元へナイフを突き立てる。


 一度。


 二度。


 三度。


 青晶狼が飛びかかってきた。


 黒瀬は半歩だけ身体をずらし、狼の鼻先をナイフの柄で叩いた。


 狼が水の中へ落ちる。


 その間に最後の一撃を入れた。


 青晶柱が大きく傾いた。


「よし」


 黒瀬は横穴へ飛び込んだ。


 直後、巨大な結晶が崩れ落ち、入口を塞いだ。


 狼の爪が黒瀬の背中をかすめる。


 救助服が裂け、熱い痛みが走った。


「黒瀬さん!」


 少女の声が聞こえた。


「大丈夫、大丈夫!」


 黒瀬は暗い横穴を進み、父親の背中を押した。


「みんな、よく頑張ってるよ!」


 背後では、水と魔物が結晶の壁へぶつかっている。


 だが、その音は次第に遠ざかっていった。


 やがて先頭を行く少女が声を上げた。


「光が見えます!」


「うん。それが出口だ」


「本当に?」


「本当、本当」


 少女が泣きながら笑った。


 父親も、力の抜けたような息を吐いた。


 黒瀬は二人の背中を押した。


「もう少しだ。地上まで帰ろう」


 ◇


 三人がダンジョンの入口へ戻ったのは、午後六時二分だった。


 待機していた救急隊員が父親を担架へ乗せる。


 少女は父親の手を握ったまま離れなかった。


「黒瀬さん!」


 管制員が走ってくる。


「背中から血が出ています!」


「本当?」


「自分で分からないんですか!」


「ちょっと痛いとは思ってた」


「すぐに医療班へ行ってください!」


「分かった、分かった」


 黒瀬は困ったように笑った。


 父親が担架の上から頭を下げる。


「黒瀬さん。本当に、ありがとうございました」


「こちらこそ」


「え?」


「最後まで歩いてくれて、ありがとうございました」


 黒瀬は少女を見る。


「紗季ちゃんも、よく頑張ったね。止血も通報も完璧だった」


 少女は小さな容器を胸元で握りしめた。


「黒瀬さんは、どうして救助員になったんですか」


 周囲にいた職員たちが、一瞬だけ静かになった。


 かつて日本最強と呼ばれた探索者が、なぜ攻略の第一線を離れたのか。


 何人もの記者が尋ね、黒瀬が詳しく語らなかった質問だった。


 黒瀬はダンジョンの入口を振り返った。


 暗い穴の奥に、青い光がかすかに揺れている。


「昔は、一番奥まで行ける人が、一番すごいと思ってたんだ」


「違うんですか?」


「奥へ行くのもすごいよ」


 黒瀬は笑った。


「でも、帰ってくるのも、同じくらいすごい」


 少女は黙って黒瀬を見上げていた。


「だから、帰るのを手伝う仕事もいいかなって思ったんだ」


 救急車へ乗せられる前、父親が娘へ何かを言った。


 娘は泣きながら父親の胸を叩き、そのあとで手を握った。


 何を話したのか、黒瀬には聞こえなかった。


 聞く必要もない。


 二人とも生きている。


 これから何度でも、話の続きをすることができる。


 黒瀬は管理所へ戻った。


 机の上には、飲みかけの缶コーヒーが残っている。


「まだ飲むんですか?」


 管制員があきれた顔で言った。


「もったいないからね」


「先に治療です」


「一口だけ」


「駄目です」


 黒瀬が残念そうにカップ麺を見た、そのとき。


 壁に新しい赤いランプが点灯した。


 管理所内に救難警報が響く。


 黒瀬は缶コーヒーから目を離し、壁の表示を見た。


「今度はどこ?」


 管制員が端末を確認する。


「第三階層です。単独の一般探索者が戻る途中に足を負傷したようです」


「第三階層か。近いね」


 黒瀬は破れた救助服の上から、新しい上着を羽織った。


「黒瀬さんは治療です!」


「応援が戻るまで、場所だけ確認してくるよ」


「駄目です!」


「大丈夫」


 黒瀬はいつものように笑った。


「助けを呼べたなら、あとは迎えに行くだけだから」


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― 新着の感想 ―
ジャンルは違うかもだけど漫画の「岳」を思い出した
ヒーローだなぁ。 掛け金高い保険会社・警備会社には居てほしいけど、公僕には居てほしくない。 過疎地住人ならともかく観光登山の遭難に税金は払いたくないなぁ
素敵なお話をありがとうございます。とても心に残りました。 叶うことなら次話ないし連載をご一考ください。待ってます。
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