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侵略外来種生物:勇者

作者: 紅茶
掲載日:2026/04/26

「ああっ、なんてことだ……ごめんよ、痛かっただろうに」

 レヴィ・アシュフォードは、灰色の砂にまみれながら悲痛な声を上げた。

 王立学術院の環境魔導学部に籍を置く彼は今、丸眼鏡をずり落ちさせ、新品のコートの裾が汚れるのも構わずに地面へ這いつくばっている。

 彼が必死に撫でているのは、倒木の陰でガタガタと震える、若木のような姿をした魔物だった。

 頭頂部に一枚だけ緑の葉を残した、深緑のトレントの幼生。大地の魔素を吸い上げ、大気中に循環させる『森のポンプ』である。だが、その根の半分は、ひどい火傷を負って黒く炭化していた。

「ひどい……生態系のキーストーンにこんな傷を負わせるなんて。少し我慢してね、今すぐ薬を塗るから」

 レヴィは半泣きになりながら救急箱を開け、軟膏を根に塗り込む。

 周囲には、幹の芯まで白く変色し、立ち枯れた木々が墓標のように連なっている。

 三日前。時の王に選ばれた『勇者』の一行が、この『迷いの森』を通過した。彼らが掲げる聖剣の光は、魔を退ける奇跡としてもてはやされているが、実態は土壌バクテリアから魔素まで根こそぎ消滅させる、最悪の広域除草剤だ。

 このトレントの幼生は、その『浄化』の光から必死に逃げ延びた数少ない生き残りだった。

「よし、もう大丈夫。一緒に私の研究室へ――」

「そこを退け、学士」

 背後から響いた冷たく硬い声に、レヴィはビクッと肩を震わせた。

 振り返ると、白銀の鎧を纏った三人の大男が立っていた。胸元に輝く聖教会の紋章。勇者が通り過ぎた後、生き残った魔物を掃討する『浄化部隊』の聖堂騎士たちだ。

 先頭の隊長は、レヴィの腕の中で震えるトレントを見て、忌々しげに剣を抜いた。

「勇者様が討ち漏らした『汚れ』が、まだ残っていたか。……下がれ。我らが灰にする」

「ま、待ってください!」

 レヴィは慌てて立ち上がり、幼生を背中で庇うように両手を広げた。

「この子は森の血流を担う要なんです! 殺せば、この土地は二度と再生しなくなってしまいます! どうか、どうか見逃して――」

「異端の言葉に耳を貸す義務はない」

 隊長は聞く耳を持たなかった。白銀の刀身が、ジリジリと熱を帯びた『浄化の光』を放ち始める。

「魔を庇うのであれば、貴様も同罪だ。共に灰となれ!」

 怒声と共に、三人の騎士が一斉に踏み込んでくる。

「ひぃっ!?」

 レヴィは情けない悲鳴を上げ、幼生を抱きしめたまま後退りした。本物の殺意を前に、学者の細い足はもつれ、無様にドスンと尻餅をついてしまう。

 だが、倒れ込んだ拍子に、レヴィの視界に「あるもの」が飛び込んできた。

 突進してくる騎士たちの足元――白化した土壌に群生している、紫色の斑点を持つキノコ。

(マンドレイク・スポアの変異株……!?)

 天敵である昆虫やスライムを勇者が根絶やしにしたことで、この数日で異常繁殖した危険な菌類だ。強い熱や光の刺激を受けると、防衛本能として猛毒の胞子を大爆発させる。

 そして今、隊長の剣は猛烈な熱と光を放っており、しかも彼らは勢いよくその群生地帯に踏み込もうとしている。

 今の距離で爆発が起きれば、騎士たちは致死量の胞子を肺の奥深くまで吸い込み、確実に死ぬ。

「ああっ、待って! ストップ、ストップ!!」

 レヴィは恐怖も忘れ、血相を変えて叫んだ。

「そこは踏んじゃダメだ! その剣の熱を近づけたら、キノコが――!」

「言い訳など見苦しいわッ!」

 だが、突進の勢いは止まらない。

 隊長が大きく跳躍し、熱を帯びた聖剣を振り下ろす。

「バカッ、死ぬ気か!!」

 レヴィはすくみ上がる足を無理やり蹴り出し、逃げるどころか、逆に騎士たちの方へ向けて身を乗り出した。

 彼は白衣のポケットに手を突っ込み、土壌調査用の中和剤が入ったガラス瓶を乱暴に掴み出すと、振り下ろされる剣の軌道上へ向けて力いっぱい投げつけた。

 ドォォンッ!!

 聖剣の熱線がキノコを刺激し、紫の胞子が火山の噴火のように爆発した。

 だが同時に、レヴィの投げたガラス瓶が空中で砕け散り、中和成分の液体が胞子の中心に降り注いだ。猛毒の紫が急速に色を失い、無害な白い煙へと変わっていく。

「なッ……が、ぁ……!?」

 騎士たちは、勢いよく中和された胞子を吸い込んだ。

「ゲホッ、ゴホッ! なんだ、これは……浄化、された、はず……」

 隊長が喉を掻きむしり、よろめく。続く二人の騎士も剣を取り落とし、金属の重い音を立てて灰の地面へと折り重なるように倒れ伏した。

「ケホッ、ゲホッ……ま、間に合ったか……?」

 舞い散る白い煙の中、レヴィはむせながら顔を上げた。

 彼は急いで這いずり、倒れた騎士たちの首筋に指を当てる。

 ドクン、ドクンと、力強い脈が打っていた。猛毒は中和され、強力な睡眠作用によって気絶しているだけだ。

「……よかったぁ。死んではいない」

 レヴィはその場にへたり込み、安堵の息を長く吐き出した。

「全く……私の虎の子の試薬をこんな形で使わされるなんて。勇者が目に見える魔物を殺したからといって、微生物の生態系まで大人しくしているわけがないだろうに。環境を舐めすぎだよ」

 彼は痛む尻を擦りながら立ち上がり、倒れた騎士たちの横にそっと水筒を置いてやった。目が覚めれば、ひどい二日酔いのような頭痛と渇きに襲われるはずだからだ。

 そして、腕の中で震えを止めたトレントの幼生をホッと撫でる。

「さあ、帰ろうか。私の研究室ラボは安全だよ」

 幼生を大事そうに抱き抱え、レヴィは枯れ果てた白の森に背を向けた。

 星の免疫系を狩り尽くし、世界を砂漠へと変えていく『勇者』という存在。

 生態学者レヴィ・アシュフォードは、その人間本位な正義から自然と無知な命を守るため、明日の予算増額申請書をどう書くかですでに頭がいっぱいだった。

 聖なる剣も、奇跡の魔法も必要ない。

 これは、魔物も人間も愛してしまうお人好しな学者が、全てを救いたいという幼稚な願いを叶える為に本気で奔走する物語。

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