第一章:標の残像(10)
数分後、結衣さんが僕の病室にやってきた。
手には、食後の薬と検温器を持っている。
「失礼します。佐藤さん、お食事は進んでいますか?」
顔を上げた彼女の表情は、先ほどの騒動などなかったかのように、
穏やかで完璧な「鈴木看護師」のそれだった。
けれど、差し出された薬を受け取るとき、彼女の指先が微かに震えているのを、
僕は見逃さなかった。
「……結衣さん、大丈夫ですか」
僕が小さく声をかけると、彼女は一瞬、動作を止めた。
そして、困ったように眉を下げて、無理に口角を上げる。
「ええ、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
「さっき、聞こえたんです。あんな言い方、ないですよ」
僕が言うと、彼女は窓の外を、どこか遠い場所を見るような瞳で見つめた。
「ここはね、佐藤さん。誰もが余裕を失っている場所なんです。
患者さんも、お医者様も、そして私たち看護師も。
みんな、誰かを責めることで、自分の心の均衡を保とうとしているのかもしれない」
彼女は、アップにまとめられた髪の根元を、無意識に指先でなぞった。
「私のこの髪もね、本当はもっと自由にさせてあげたいんです。
でも、こうして固めて、縛り付けていないと、
中にある私の弱い部分が、全部こぼれ落ちてしまいそうで」
そう語る彼女の横顔には、自嘲の色が混じっていた。
仕事における柵、同僚との不和。それは、僕を壊したブラック企業の景色と、
驚くほど似通っていた。
救う側と、救われる側。
立場は違えど、僕たちは同じ「孤独」という名の沼に足を取られていた。
「……鈴木さんの髪、いつか、下ろしたところを見てみたいです」
僕が不器用にそう言うと、彼女は驚いたように目を見開き、
それから、今日初めて、本当の意味で少しだけ笑った。
「そうですね。いつか、この白い壁の外に出られたら。その時は、きっと」
その約束は、無色透明だった僕の入院生活に、
かすかな、けれど確かな色彩を灯してくれた。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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