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その疲れた農家にも幸福な時間はあったはずだ。愛と夢と希望に満ち溢れた瞬間が、少なくともその可能性を垣間見た瞬間があったはずだ。逆は人生の絶頂(何せ、女子高生とは最強の代名詞だ)の存在だ。その女子高生が今後の長いオバサンと呼ばれる人生に於いて、数限りない苦痛に見舞われて……中には何らかの宗教に目覚めてたりしてしまうかも知れない。俺は君がそうならないことを祈るよ。
それら2つの存在の価値はどこかで入れ替わるだろうか。そんなことを考えたりしないかい?古着屋で見た服が誰かとの思い出の服であったりする可能性や、中古車店に並ぶ車が今まで走った道の匂いを考えたりしないかい?そしてその勝手に想像した幸福に打ちのめされて死にたくなる気分を楽しむんだ、笹でラリったパンダみたいに。
モノを大切にするかどうか、って言うのはそれに付随する記憶や思い出を大切にしてるかどうかって事だ。思い入れのないモノは大切なモノに比べて扱いが雑になる。全てを同じようには扱えない。それぞれに階級がある。人間と同じだ。
俺が君を大切にするように、そこら辺にいるホームレスの婆さんを大切に扱うことはできない。君が俺を大切にしてくれるのは嬉しいし、その価値は君の前の恋人たちより高いと良いなと思うよ。
これから俺たちがどこに向かうのか。それが堤防みたいに先が無いのか険しい山の獣道なのか、それとも月の爆撃機だとかが旅立つような滑走路なのか同じ角を曲がり続ける迷路なのかは分からない。その道にどんな価値があるかは行ってみなければわからない。いや、その道に価値をつけるのは俺と君だ。




