逃亡と変革のサンバ
誰かが歯車を押した。 それだけで、世界が少し傾いた。
裏社会が動き、国家が揺れ、 そして、ひとりの男の問いが残る。
「復讐って、誰にすればいいんでしょうか?」
今回は、静かに狂気が芽吹く章です。 派手な戦闘はありませんが、 物語の根が深く伸びていく音が、聞こえるかもしれません。
☆☆☆☆県境の南部別邸☆☆☆☆
「どうやら、儂らの離脱よりも、奴らの逃げ出しの方が早いようだ」
南部が受けたばかりの報告を、阿久津に告げる」
「捕縛されていない部隊からも、中朝国の士官が姿をくらませているらしい」
「それでは、危ない思いをして南部さんの部下が逃げ出す必要もなくなりましたね」
本国からの命令で、ある程度のポジションにある指揮官たちは、現地から身を隠しているらしい。
「さすがに判断が早いですね。もう少し、痛い思いをしてもらいたかったのですが」
「いや、それぞれが逃げるために頼るはずの、裏社会でも見切りが進んでいるから、無事出国できるかはわからんがな」
裏の世界にも通じている南部が、断言をする。
「もちろんそちらの方でも、動いているんだろう?」
この日、警視庁の組織犯罪対策部には、矢継ぎ早に情報がもたらされてた。
1、神戸の有る組織で、これまで主流を占めていた中朝系の組員の破門と回状
右の者、度重なる掟破りと、外患誘致に等しき行動により、 一家一門協議の結果、破門と決定いたしました。 以後、当組織との一切の関係を絶ち、交際・商談・結縁を禁ず。 令和〇年〇月〇日 〇〇組組長 一同
2.的屋組織でも黄帝神農老子思想への回帰の宣言と異物の排除命令
特に薬物を扱う者は、徹底排除。長らく表に出なかった神農香具師連合宗家の「おひいさま」の厳命が日本中に通達される。
3.愚連隊やヤクザ予備軍の中でも台頭する中朝系の幹部に反発して、足を洗ったり身を引いていた者たちの現役復帰
彼らは嬉々として地回りを再開するも、その資金源は潤沢でケチなしのぎをする必要が無くなった。お蔭で地方の繁華街は、還って来たアニキらによるゴールドラッシュが起き始めていた。
「これは、東北の動きと連動しているな」組対4課(旧称)のベテランが鋭い分析をして見せる。
「裏の世界からも、かの国の影響力を落とそうとしている。誰が?何のために?」
☆☆☆☆山中の南部別邸細☆☆☆☆
連絡は電話ばかりでは無かった、情報を携えた使者が現れる場合も有ったが、南部は監視部隊の許可を得て報告に来る者からも情報を得ていた。
「いったいここまでの一気呵成なカウンターはいつから用意したんだ?
素朴な疑問ぶつかるも、阿久津は指を折るだけで、手帳をみたりした挙句、肩をすくめて、
「どうして、こうなったんでしょうね」と笑いだす。
自分は歯車の一つを押しただけに過ぎない。しかし、その際の決意は仲間が認めてくれたから、押すことが出来た。その後のことは、仲間がそのまた顔も知らぬ誰かが受け取って専門的な助力をしてくれただけだ。
「いったい、何がどうして、こんなにうまく対抗できたのでしょうね?」
阿久津は我に還ったように、不思議そうな、南部にすら甘えるような表情で答える。
そこには、先ほど東北の巨人と言われた南部と対峙していた際の怜悧さも、腹芸も見られなかった。
「それが、君の素なのかな?」
逆に南部は恐れを感じる。ことの終息が見え始めた途端に、スイッチを切ることが出来る感性は、通常の人が持つものでは無い。まるで、幼児が玩具に執着して、兄弟で争った次の瞬間に無関心になってしまう情景が浮かんだ。
「それよりも復讐ってだれにすればいいのでしょうかね」
呆けたかと思っていた阿久津からの問いに、南部は困惑する。
「恨みが君をこうまで、動かしたのか?」
南部は、慎重に阿久津に語り掛ける。この異常な才物を少しは理解したいものだと思って。
「やっぱり、存在してはいけない国は滅ぼすべきなんでしょうかね?」
「は?」
たった今までは、敵国の工作を防ぐことが主題だったはずだ。
この男の脳の回路はどこかで飛んでいるに違いない。
「僕の甥っ子が、知らないうちに死んでしまっていたんですよ。これって何で相殺すればいいんでしょうね?」
狂って居るのかも?さっきまでは、南部自身が狂い死ぬのも本望のつもりで、ことを起こしていたはずであった。しかし、真の狂気とは、そんな生易しいものではないことを彼は知った。
バランスが成り立っていないのだ。阿久津の身内が命を儚くしたことをは、先ほど聞かされた。しかし、その対価を国家ひとつを滅亡させることで天秤が平衡するような発想を聞いたことも、夢想だにしたことも無い。いわば世の中とはつり合いが大きな価値観で有って、100人の犠牲に100人程度の報復であれば折り合いがつくのが普通であるのに、身内ひとりの犠牲に対して、国家ひとつを潰そうという発想を行うこと自体、常識の埒外に居ると言って良い。
(多分、この男は出来る出来ないという限界を考えたことが無いのだ。やると思えば、実現するまで、やり続けるし、興味が無ければたやすくできることも多分しないのだろう)
ようやく。この男の特異性を理解した気がした。同時にこの男を差し向けた丸の内の首魁どもの、名を呪っても居た。
(佐伯親子からの連絡役だと思っていたが、歩く爆発物を寄こすとはな…)
それでも、変革されたシナリオ。南部財閥は、東北に巣くう非愛国者をあぶりだすために、この度のイベントに便乗したというスタンスを堅持しなければならない。
(まあ、有益な情報もいただいたし、ここは傍観でもよいのかもな)
南部は、異常さを感じながらも憎み切れない、稀有な人物として、また五菱や神農的屋系への窓口としての、阿久津のコネクションに有益さを感じていた。
「え?一般人が復讐のため、日本を動かしているって?自衛隊も派遣済み?誰なんだよ、そいつ?」 そんな声が、霞が関の奥でも囁かれている。
榛葉総理の退任。唐突に始まった総裁選。 東北の騒擾は“イベント事故”として処理されたが、知る者は知っている。 あれは、国家の根幹を揺るがす出来事だったと。
阿久津博――甥の死をきっかけに、過去の人脈を駆使して国家を動かす世捨て人。 彼の問いは、政界にも届いてしまった。
次回、政の座を巡る者たちの物語。 表と裏が交差する場所で、誰がこの国の“痛み”を引き受けるのか。サンバが流れる。まるで、キャストの行動すべてを踊りと評するか如くに、サンバが響く、長らく盲目の観衆でしかすぎなかったはずの一市民に政治の踊り場が作られていく。




