最後の円卓の女王 阿久津詩織
阿久津詩織——最後の円卓の女王。 物心ついた頃には「おひいさま」と呼ばれ、神農黄帝の掛け軸に語りかけていた少女は、 人の生死を見つめる看護師長となり、地元地回りとも杯を交わせる胆力を持つ女帝へと育った。 そして今、夫の復讐を前に、静かに円卓を招集する。 これは、詩織という名の“禍津姫”が動き出す前夜の物語。
詩織が物心ついた頃には、周囲が「おひいさま」と呼ぶので詩織という名の他にも、自分には名前が有るのかと納得していた。田舎の古い屋敷の床の間には「神農黄帝何とか」という文字と優しそうな老人の姿が掛け軸として下がっていて、詩織は良くその掛け軸に話しかけていたそうだ。
それが噂になったのか、遠く関西からも来客が有訪れ、詩織を見るなり「天恵とも禍津姫とも成りえる。とにかく、邪魔はするな、思うままに望むままに育てるのだ」と告げたという。
季節ごとに、あいさつに訪れる者が増えていく、詩織はそれも自然なこととして受け止めていた。犬猫の死骸に涙し、老婆の手をさすり、ガキ大将にお灸をすえて、泣かせて赦す。離れて見守る若勢たちの姿を意にとめることも無かった。道はすでに照らされていたから。
阿久津との恋愛は、格別なものは無かった。ただ、相手が現れたなと感じただけであった。手がかかることも有ったが、詩織の愛の強制力で幾分かはマシな大人になった。馬鹿みたいに儲けることも、阿保みたいに損をすることも有りながら、旦那は生活面での苦労をさせることが無かった。意外なことに…周りは、看護師長と昇進した詩織が養っているヒモだと思っているようだが、なかなかに商売上手なところも有る夫だった。
ただ相変わらずの放蕩ぶりで、呑みつぶれたという店からの電話で迎えに行けば、地回りのヤクザと揉めた後で、呑み比べ勝負をしていたということも有った。負けるのも癪なので、選手交代を求め相手の若頭を呑みつぶしたのも良い想い出で有る。そういえば、組長になったんだっけ?あの子?そんなことを考えながら、詩織はこの数か月を思い返す。
急に夫が寡黙になった時期、何かを見つけたように嬉々として動き始めた時期、これは大変だと女王達を参集した時期、やはり夫は命懸けの復讐を始めようとしていた。女王の多くが諭すも、意志は揺らがなかった。
「じゃ、私たちも参加する」
静かな決意を発したのは、やはり詩織であった。
他の三人の意思確認も行わない。なぜなら同志と信じているから。
「もちろん、やるわ」静子が答えた。
「私も」恵も頷く。
「やらいでか」半ばふざけるように、真実が同意すると阿久津は呆けたような表情を見せた。
その情けない姿、内心の甘えを隠そうと虚勢を張る姿、詩織の見たい阿久津の本当の姿であった。
お読みいただきありがとうございました。 詩織の幼少期から現在までを描いた今回のエピソードは、 彼女が「姫」ではなく「女帝」として、円卓の中心に立つ理由を静かに語るものでした。 阿久津との関係も、恋愛というより“相手が現れた”という感覚で描かれ、 その放蕩ぶりすら、詩織の胆力と包容力を際立たせる要素となっています。 次回、円卓の女王たちがどのように動き出すのか——霧の中の真実を、また見届けてください




