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「失われた時を求めて」の立ち読み

作者: さば缶

 駅前にある大型書店の一角に、重厚な装丁がいくつも並ぶ棚がある。

レトロな雰囲気の木製ラックに整然と背表紙が収まっており、その中でもひときわ目立つのがプルーストの『失われた時を求めて』だった。

多くの人が「いつかは読もう」と思いつつ、その分厚さと巻数の多さに圧倒され、なかなか手を伸ばせずにいるものだ。

それでも、今日は多少なりとも(かじ)った速読のスキルを試してみようという好奇心に背中を押され、立ち読みのまま完読を目指してしまおうと決めた。

閉店までに全七巻を読み切れるのか、そもそも読むだけの体力があるのか。

そんな不安を抱きつつも、店内の時計を一瞥してから、意を決して最初の一冊を開いた。


 ページをめくると、朝の光が差し込むように序章の文字が視界に広がる。

「スワン家のほうへ」と題された第一篇には、幼少時の「私」が夜の暗がりの中で母親の口づけを求めるくだりが登場する。

その心細さや繊細な感受性に触れた瞬間、読者としての意識は一気にプルーストの世界へと誘われた。

最初の数ページには、マドレーヌを紅茶に浸して味わったときに呼び覚まされる幼少期の記憶が鮮烈に描かれている。

その描写の細やかさはまるで人の心をそっと撫でるようで、文字が生命をもって立ち上がってくるかのようだった。

集中力が高まるにつれ、体はまだ余裕をもって立っていられた。


 次の章に進む頃、店内放送が何やら割引セールのアナウンスを始めたが、こちらとしてはそれどころではない。

細かい活字を一行ずつ追いかけながら、場面ごとに舞台が記憶の迷宮へと進んでいく。

スワンとオデットの出会いの場面や、ヴェルデュラン家のサロンに集う人々の言動は、一見すると華やかでいて、その裏側には複雑な人間模様が浮かび上がる。

真実の愛と社交界の作法、見栄と憧れが入り混じる世界を読み解くのは、意外にも楽しく、もうすでにずいぶんページが進んでいることに驚かされた。

読み進めるほどに、文章から立ちのぼる香りや光の陰影が脳裏に色彩豊かに広がり、あたかも自分の幼少期の記憶を掘り起こされているような心地になる。


 だが、一時間ほど経ったあたりで、さすがに足への負担が気になりはじめた。

固い床が足裏をじんわりと押し返してくるようで、立ちっぱなしで血行が悪くなっているのを感じる。

腰にもじわりと疲れが忍び寄り、背中を伸ばそうとすると軽い痛みが走る。

今さら姿勢を変えようにも、書店内のちょうど良い椅子はほかの利用客が使っているし、立ち読みでの長時間占拠は気が引ける。

それでも手は離せない。

せっかく読み出したからには、一度は途切れた時間の流れを再び呼び戻すこの作品の醍醐味を味わい尽くしたい。

巻数は多いが、ここで諦めるわけにもいかない。


 第二篇の『花咲く乙女たちのかげに』へと差しかかると、リゾート地バルベックでのエピソードや、ギルベルテとの微妙な距離感にぐいぐいと引き込まれる。

子どものころに感じた微細なときめきや些細(ささい)なすれ違いは、誰しもが抱える思春期の感覚そのものだ。

とくに主人公の視点を通して描かれる人間関係の機微は、時間を超えてこちらの胸の奥をかすかに震わせる。

ただ、ほのかな郷愁に浸る余裕があるかといえば、実際は一行でも多く読み進めることで精一杯だ。

店内には空調が効いているが、立ち続けているうちに微かな汗がにじんでくる。

さらに背を少しでも前に傾けると、首から肩へかけての筋肉が張り詰め、重たい本を支える腕にも疲労が蓄積していくのを感じた。


 時折、ほかの客が立ち止まり、興味深そうに長大な小説を読み耽る自分をちらりと見ることがある。

しかし、「大丈夫だろうか」と気遣う視線というよりは、「この人は本当に読めるのか」という疑問の方が強そうだった。

それでも、自分でも驚くほどページは進んでいる。

読みながら頭の中でざっと要約し、場面の要点をすくい取るようにしているせいか、あまり脱落することもなく物語が頭に入ってくる。

こうして時間を追うごとに、立ったままの読書の苦行はむしろ不思議な集中力をもたらしてくれるのだとさえ感じられた。


 第三篇の『ゲルマントのほうへ』に差し掛かる頃、店内のBGMが変わった。

閉店まで残る時間が減ってきたのか、ゆったりとした曲調からどこかテンポを感じさせる音楽へと移行している。

その音が耳に入るたびに、足の裏の痛みもじわじわと高まってきた。

足首を少し回そうにも、本を抱えたままではバランスが取りにくく、わずかな姿勢変化で筋肉が軋む。

ゲルマント公爵夫人のサロンでのやり取りは上流階級の雅やかな会話が続くようでいて、ときに鋭い皮肉が飛び交う。

その断片を読みこなすうちに、社交界の表面の華やかさとは裏腹に流れる風刺に、思わず苦笑したくなる。

しかし疲労の蓄積は隠せず、何度か大きく肩を回すことで体をほぐす必要が生じた。


 途中、「そろそろ休憩しませんか」と友人がいたなら声をかけてくれるかもしれないが、今日はひとりだ。

店員からも「長時間お立ち読みはお控えください」と忠告される可能性を思うと、なるべく目立たぬように読むしかない。

それでも強行軍のように読み進めている姿を見て、通りかかった男性店員が小声で「大丈夫ですか。まだ読まれているんですか?」と聞いてきた。

そこに悪意はなく、むしろ心配してくれているようだったので、「もう少しです」とだけ答えた。

すると、店員は少し困ったような表情を浮かべたが、それ以上は何も言わず去っていった。


 第四篇『ソドムとゴモラ』に入ると、バロネ・ド・シャルリュスを中心とした隠された人間関係の秘密がより鮮明になる。

プルーストの筆は、同性愛をはじめとする当時の社会では口にしづらかった事柄をも繊細に描いていて、その姿勢に感嘆せずにはいられない。

そう思いながらも、ここまで読むとかなり時間が経過しており、脚のしびれが感覚を鈍らせているのを実感する。

足の裏だけでなく、ふくらはぎも重たくなり、軽く曲げ伸ばしをするたびに筋が悲鳴を上げるようだった。

何度か体重のかけ方を変えながら、速読と集中力を総動員してページを急ぐ。

文字はぎっしり詰まっているが、幸いにもだんだん文章に慣れてきて読み飛ばしてはいないはずだ。

ただ、もし通読が終わってもう一度じっくり読み返す機会があれば、そのときは椅子にゆったり腰を下ろして味わい直したい。


 第五篇『囚われの女』、第六篇『逃げ去る女』と続く中で、主人公がアルベルチーヌとの関係に苛立ち(いらだち)を覚えたり、束縛と愛情のはざまで揺れ動いたりする場面に触れると、自分の体は厳密には本の世界に没入しきれていないことを感じる。

やはり、読書体験は心身のリラックスがあってこそ深くなるのだろう。

だが、変な言い方かもしれないが、立ったままの不自由さが、かえって物語の登場人物たちが味わう焦燥や渇望を身をもって体験させているともいえる。

どこか不安定な姿勢で読み進めることで、プルーストが描く心の揺れ動きがこちらの肉体感覚と絶妙に重なってくるのだ。

肩や背中は固まってしまい、呼吸を深くするだけで筋肉が引きつるようだったが、なおもページをめくる手を止める気にはなれなかった。


 そしていよいよ最終巻『見出された時』へと手を伸ばす頃、店内放送が閉店まで残り二十分を告げた。

まだ数百ページはあろうかというところで、果たして間に合うのか。

時計を睨むと、このままでは難しいかもしれない。

しかし、ここまで読み進めた以上は、何としても区切りをつけたい。

最終巻では、戦争や失意のなかで登場人物たちが時間という不可逆の流れに翻弄されながら、過去の記憶を糸口に新たな意味を見出していく。

時間が失われるのではなく、かつて失われたと思われた時間が再び蘇り、私たちの存在を象っているという構造が、これまでの六巻を通じてじわじわと伏線となっていたのだと気づかされる。


 胸を満たす感慨を感じたいのに、実際はもう時間との勝負だ。

文字を追う視線が疾走するようになり、一行の中の重要なキーワードを拾い上げては次へと飛ぶ。

本来なら、プルーストの文章の端々に散りばめられた色彩豊かな比喩を噛み締めるべきなのだろうが、今の自分には到底無理な話だった。

ふと周囲を見ると、人影はまばらになっていて、いつのまにか照明も少し落とされているように感じる。

店員が通りがかるたび、早く読み終えて退店してほしいという無言の圧力が伝わってくるようだ。


 ほとんど立ち疲れで朦朧となりつつ、ようやく物語の終結へと近づいた。

プルーストの視点は終盤、過去の断片が一気に押し寄せ、現在と呼ばれる瞬間が繋ぎ合わされる様を克明に描く。

それは決して失われたものではなく、むしろ時を超えて人間の中に生き続けることを提示している。

そこに至る長い道のりと数多の人物の行動、個人の思いが合わさり、ようやく読者としても完全な円環を描いたような気分になる。


 最後のページを閉じると同時に、店内アナウンスで「まもなく閉店いたします」と流れた。

あと数分あったが、どうやらギリギリ滑り込みセーフのようだ。

思わずため息をつきながら、本を棚に戻そうとする手が震えている。

足は痺れ、膝は笑い、腰には重さがずっしりと残る。

前かがみで固まった背筋を伸ばそうとすると、肩甲骨あたりがきしむように痛んだ。

それでも読み終えた達成感が体の芯に満ちていた。


 無理な姿勢での速読が、果たしてどれほど本質的な読書になったかはわからない。

細部を取りこぼしたところも多々あるだろうし、じっくり味わうに越したことはないはずだ。

だが、それでも立ち読みを敢行しながら作品世界を駆け抜けた体験には、ある種の格闘のような充実感がある。

プルーストが描いた「失われた時」が、またこの立ち読みという行為そのものに重ねられたかのようで、不思議と妙な一体感を覚えた。

最後に棚を撫で、心の中で「ありがとう」と呟くと、急ぎで出口へ向かい店をあとにした。

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