Chap.2 - EP2(4)『蜘蛛殺し ―邪霊狩り―』
長い外套で上半身は覆われていたものの、淡い褐色の髪と青味がかった灰色の瞳が、アムロイの記憶を刺激する。
何より、彼の顔を忘れるはずはなかった。
その男は、屍喰人の中でもかなり手強い融合型と呼ばれる一体を、手にした剣でいとも容易く倒したのである。しかも一体を倒したすぐ後、流れるようにもう一体をも苦もなく斬り伏せてしまう。
彼は襲われていた人間に駆け寄っていった。けれども助け起こそうとした段階でそれを止め、諦めた様子で立ち上がる。おそらく、手遅れだったのだろう。
男はそこで、アムロイに顔を向けた。
まだ彼我は離れていたものの、顔かたちが識別出来る程度の距離ではある。
「貴方は……まさか――」
アムロイの呟きに、男は舌打ちをしてフードを深く被り直す。
「見られたか……」
聞き取れないほどの小さな独言。けれどもアムロイは、その言葉を、声を聞き逃さなかった。
「貴方は……アクセルオ殿下……」
フードの奥で、灰色の瞳がアムロイを睨む。
「ボクの事を知っているとなると……お前はこの国の騎士――その生き残りか? いや、お前のような奴は知らない。こんな所で屍喰人を狩っているとなると、ボクの顔を知っているダンメルクの騎士というところか」
今の言葉で分かったのは、アクセルオにはアムロイを見てもジャンヌだと分からなかったという事実だった。
それに対し、安堵もあったが、同時に本人にも分からない寂しさをチクリと感じつつ、アムロイは咄嗟に否定を口にした。
「ち、違います。僕はダンメルクの人間ではありません。僕はこの国の聖女守護士です!」
思いがけない返事だったのだろう。アクセルオが驚きで強張ったのが、見ていて分かった。
「守護士……だと? じゃあやはり、あそこにあらわれたのは、聖女兵器か……! とすれば、あの聖女兵器を操っているのは――」
「レイア女王陛下です。この国の新たな王にして、新たな聖女。そして、貴方の妹君、レイア・ウルフ様です」
アクセルオは、目深に被ったフードを外す。
アクセルオ・ウルフ。
このゼーラン王国の王族で、レイアを除きたった一人生き残った王子。そしてアムロイこと聖女ジャンヌの一人目の守護士であったオヴィリオ王子亡き後、二人目の守護士となった彼の弟。
アムロイも、彼が生きているのは分かっていた。
半年前のクローディアとの決戦から、彼を救いだしたのは他ならぬアムロイ本人だったからだ。
ただ、何処で何をしているのか。半年前にアクセルオを置き去りにして以来、その消息は分かっていなかった。いや、分かろうとはしなかったのである。
もう、自分の復讐に彼を巻き込むべきじゃない――。
そう考えての事だった。
ただ、自分に宿ったラグイルが、まだアクセルオとの守護士の繋がりを感じさせていたから、きっと何処かで生きてはいると確信していた。どうであれ、生きてくれてさえいれば、いつかきっと彼に対しても償いが出来る。そんな風にも考えていた。
「それで、お前がレイアの守護士だと……?」
「アムロイ・シュミットと申します。幼馴染というのも分不相応ですが、レイア陛下とは、ダンメルクにおられた子供時分に仲良くさせていただきました」
「ダンメルクの貴族か。ならダンメルクの騎士ではあるわけだ……。――ふん」
アクセルオの目つきは、半年の間で驚くほどに変わっていた。
かつては飄々として捉えどころのない、軽薄さもあるがどこか憎めない愛嬌もある――そんな若者だったが、今の彼が纏う空気は、鋭い抜き身の剣とも言えそうなもの。触れるだけでこちらが傷付きかねない、そんな危うさと拒絶感が、着衣の上からも放たれている。
ある種、彼の亡き兄オヴィリオが最初に持っていた雰囲気と似てはいるが、それよりももっと鋭かった。
この半年で何があったのか――などと聞くまでもない。
己が守ると誓った王国と王家、そして聖女までも失ってしまったのだ。どれほどの絶望があったのかなど、問うまでもないだろう。
「殿下は……ここで何を?」
「何を? 見て分かるだろう。邪霊どもを狩っている。それだけだ」
「狩っている……? 何故……」
「怪訝しな事を言う奴だ。霊蟲も屍喰人も、人間の敵、この国の敵だ。それを狩る力があるのなら、退治するのは当然の事だろう」
今の返答で、アムロイの脳裏に呼び起こされる情報があった。
レイアと会う前に、屍喰人に襲われている親子を助けた際にも、その親子が口にしていた言葉。アムロイもまた、その噂を耳にしていた。
「もしかして、巷で耳にする〝邪霊狩り〟って、殿下の事なんですか……?」
王国の騎士でもダンメルクからの派遣部隊でもない何者かが、何処からともなく邪霊の出現場所にあらわれ、それを狩っていく――。そんなさすらいの剣士がいるという、都市伝説のような話。
名前も正体も分からない、謎の人物。
どこぞの酔狂な教会騎士か何かではないかとの専らの噂で、だからアムロイも最初、あの親子に自分がその〝邪霊狩り〟なのではと尋ねられたのだ。
「……ボクがそんな風に呼ばれているのは知っている。で? だったら何だ? お前達の王の命令でボクを捕まえようとでも言うのか?」
「ですから僕は、ダンメルクの人間ではなくレイア陛下の守護士です。その僕が何で殿下を」
「今は違っても元はダンメルクだろう。かつてあの王と聖女に仕えていたのなら、ボクを捕まえようとするのは自然な事だ。何せボクは、君の王によって殺されかけたんだからな」
この場合の聖女とは、ダンメルクの〝蒼穹の聖女〟クローディアの事である。
「僕はそんな事しません。ダンメルクの出身者だからといって、みんな同じだなんて思わないでください。第一、そんな事をしたらレイア陛下が悲しみます」
レイアの名前に、アクセルオの表情に翳りがさした。
「僕はただ、どうして貴方がこんな事をなさっているのか、それが気になっただけです。半年もの間、貴方は何をしていらしたのか……」
前半はともかく、後半はほとんどアムロイの本心からの質問であった。
ジャンヌの守護士として一度は共に戦ったが、それはほんのひと時だけ。半年前、彼を救い出しはしたものの、アムロイは姿を消した。お互いに行方も知らないまま過ごしてきたのだ。
そう仕向けたのはアムロイ自身だったが、予期せぬ再会に、心が乱れていたのかもしれない。
「そんな事を聞いてどうする?」
「どうって――僕はその……」
自分がジャンヌだから――とは言えない。
言ったからといって、アムロイの心が軽くなるわけでもない。
言えば、更にアクセルオの心に怒りの火を焚き付けるだけだろう。
返答に窮したアムロイを見て、アクセルオは苦笑いを浮かべた。それはどこか、己に対しての嘲りにも似た笑いだった。
「正直な奴だな、お前は」
「え――?」
「見ての通りだ。ボクは邪霊を狩って、過ごしてきた」
正義感とかこの国を良くしようとか、そういうものではない。
アクセルオは続けてそう言った。
「今やボクはお尋ね者だ。そんなボクが出来るのは、この国から出ていく事か、日陰でこそこそと生き延びるくらいのものだ。幸い、ボクには神霊力がある。だからそいつで邪霊を狩って人を救い、その助けた人から謝礼を貰って糊口を凌いできたのさ」
「邪霊狩りで……」
「そうさ。それに――」
「それに?」
「……いや、何でもない」
何かを言いかけて、アクセルオは黙った。まるでそれが幕引きのように、アクセルオは途端に口を固く閉じ、あからさまな拒絶の態度を取る。
話はここまで――。
全身で、そう語っている。
アムロイには彼が何と言おうとしていたかが、分かる気がした。けれどもそれは、己にとっても口にしてはならない事。
最早これまでなのだ。
けれどもアムロイは、アクセルオともっと話をしたかった。もっと沢山、聞いて欲しかった。彼の話も聞きたかった。
しかしたったこれだけの会話が、今の二人にとっての最大限だったのだ。
短い沈黙の後、アクセルオがフードを被り直す。
別れの言葉もなく、立ち去ろうというのだろう。それを止める言葉すら、今のアムロイにはなかった。
しかしこの時、まるで何もかもを台無しにするような唐突さで、アムロイの頭の中で声が響く。
叫びにも似た、けたたましい音量で。
――不味いっ! 逃げろ!
予想だにしていなかった声に、思わずアムロイは全身でびくりと反応する。
まるで急性の発作を起こしたような動きに気付き、立ち去ろうとしていたアクセルオも足を止めた。
「おい」
が、アクセルオの言葉に重なる形で、もう一度頭の中で声が叫んだ。
――逃げろ! そいつと一緒に、すぐ逃げるんだ!
声は、アムロイの頭の中にだけ響いている。誰にも聞こえていない。しかしそれが誰のものなのかは、すぐに分かった。
「ラグイル……?」
アムロイの呟いた名前。それを耳にしたアクセルオが、動きを止めた。
「何だって……? お前、今なんて言った?」
だが、アクセルオの問いも、アムロイの頭の中に突然響いてきたラグイルの声も、全ては直後に起きた衝撃により、掻き消されてしまう。
二人のいるすぐそばで、空間が歪み、何かが虚空を裂いたのだ。




