Chap.2 - EP2(1)『蜘蛛殺し ―悪夢の再来―』
ロスキレは、ゼーラン王国王都クヴンハウから南に三〇キロほど離れた位置にある、交易の盛んな中規模の商業都市である。
そもそも――
霊蝕門が発生する場所には――絶対ではないものの――ある程度の傾向というものがある。
出現地として多いのは、大都市や人の多い都市部ではなく、どちらかといえば村落や山の奥など人が少ない場所。川や池、湿地帯などの水源の近くには発生し易いが、海やその近くでの発生はほとんど報告にない。どういう理由でかは分からないが、多くの場合はこれに当てはまるのが通例だった。
半年前のスケーエンの街も実は異例の出現場所にあたるのだが、あそこは街といっても牧場も近くにあれば、比較的農村がそのまま発展したような所だったため、有り得ない事もないと言えた。が、今回は明らかに怪訝しかった。
ロスキレは街の規模こそ大都市のそれではないものの、街の住人だけでなく多くの人が行き交う交易都市である。そんな場所での出現は、非常に稀有だと断言出来るだろう。また同時に、それだけ人も多い場所なら、霊蝕門が発生したとあっては、半年前の時よりも被害が大きくなるのは容易に予想出来た。
それもあり、アムロイ達は時を待たずに早馬を駆って、現地へと急いだ。
討伐部隊の数は一五名。
騎士達は全員ダンメルクの騎士団の者で、強力な神霊力を持っている。その中に、アムロイは勿論、ホランドとレイア女王の姿もあった。
一行が街に到着するや否や、この部隊を率いるダンメルクの聖堂聖騎士リカードが、霊蝕門探索のために部隊を二つに分ける指示を出した。更に二つの部隊は三名づつでひと塊りになるようにも言いつける。こうする事で最小単位で効率よく動けるというわけだった。
「アムロイ、女王陛下は守護士のオメーに任せたぜ。くれぐれも陛下の側から離れるなよ――つっても、陛下の神霊力なら、こんな低級邪霊どもぐらい、カスみてぇなもんでしょうけどよォ」
アムロイは頷きで返す。
半年前の霊蝕門災害の時もそうだったが、味方とした場合の聖堂聖騎士らの頼もしさはさすがと言う他なかった。
単純な戦力という意味だけでなく、何より状況判断の的確さと対応力、場馴れているというか経験からくる信頼感が他とは全く違う。
が、そこでふと――何かに引っ掛かりを覚えるアムロイ。
リカードへの不信感があったとか?
いや違う。
今頭に浮かべた何かに、違和感を覚えたのだ。
けれどもそれを確認するより前に話しかけられた事で、思考は中断してしまう。
「アムロイ」
ホランドである。
彼はアムロイの側に寄り、小声で囁いた。
「出る前にも言いましたが、こんな場所で霊蝕門が発生するなんて、妙です」
「そうだけど、それを言うなら、散発的に邪霊が出没するこの王国の現状だって異常すぎるじゃないか。だったら、今みたいな状況も起こるんじゃないの?」
ここでホランドは、尚一層声を潜め、誰にも聞かれないように耳打ちした。
「忘れましたか? スケーエンの街での事。あの時の霊蝕門がどうやって出現したのか。それはまだ、謎のままなんですよ」
半年前、アムロイが聖女ジャンヌとして霊蝕門を封じたあの事件である。あれは一応、叛乱を起こそうとした王国騎士団長レオナルドと彼に加担したマーセラの仕業であったとされている。しかし、彼らがどうやって霊蝕門の発生を可能にしたのか。いや、そもそもそんなとんでもない方法を編み出したのは、本当に彼らなのか。そうではなく、まだ他にも協力者的な存在がいて、その何者かによるものなのか。だとしたらその者はどうやって、そして何のためにあんな事を可能にしたのか。
肝心のその根幹のところが、結局分からず仕舞いになっているのだ。
ホランドはそれを指摘したのである。
「何か裏があるかも……って事?」
アムロイの返答に、ホランドが小さく頷いた。
確かに有り得ないような事が起きているのなら、しかもそれが多発しているとなれば、何かあると考えるのが自然だろう。
つまりホランドは警戒しろと言っているのだと、アムロイは察した。
――いや、違うな。
アムロイは即座に否定する。
もしここで起きている事が、半年前の事件や王国の現在の惨状にも繋がっているのだとすれば、逆に言うとそれは手がかりを見出す好機だと言えなくもないのだ。
「どうしたの? 何を二人で話しているの?」
そんな二人の様子に、若き女王レイアが声をかける。
「いえ、この状況でこいつ、くれぐれも無茶はするなと僕に言うんですよ。全く、これだから教会の司祭ってやつは」
「な――そんな言い方」
「僕は守護士なんだぞ。場合によったら無茶をするのも僕の役目だ。違うかい?」
咄嗟に口にした偽りで話を誤魔化し、ホランドもそれに即興で調子を合わせた。
「へっ――違いねえ。つーか、いいこと言うじゃねえか、アムロイ」
横からリカードがこれを褒めた事により、レイアの問いへの答えは、そのまま欺瞞で隠される事となった。
一方でアムロイは、密かにホランドに対し目配せで――分かった――と合図を送っている。
やがてそのまま一同は、二手に分かれて行動を開始した。
当然と言えば当然だが、レイアやアムロイ達の方が人数が多い。
こちらは合計で九人。リカードが率いる別行動部隊は六人であった。
却説――。
街に到着するまでの間で、既に何体もの霊蟲や屍喰人を始末していたが、予想通り街の中はかなりの数がうようよと徘徊していた。それどころか、ヒグマほどのサイズになる大型霊蟲までも、既に多くの個体が確認出来している。
だからこそと言うべきか――最優先事項は災害の大元である霊蝕門を封じる事なのは勿論なのだが、同時にまだ街に取り残されたままの住人を助け、避難させる事も最重要事であった。
この場合、どちらの部隊も霊蝕門の探索をするのは当然だが、リカードの率いる部隊は、主に霊蟲らの駆除を中心に行い、民間人の救助はアムロイやレイアのいる部隊で担うように分担した。
ところが、救助をはじめてすぐの事。
助け出した人の何人かが、恐怖のあまりか錯乱状態になっており、助け出そうにも家の中などの隠れた場所から出てこようとしなかったのである。
「落ち着いて。もう大丈夫。僕達が助けに来たから」
アムロイらも懸命に宥めるのだが、街の人間は狂気に取り憑かれた様にうわ言を繰り返すのみで、こちらの話を聞こうともしない。
「ホランドの方はどう?」
「駄目です。こっちの言葉がまるで届いてません。怯えるのは分かりますが、いくら何でもこれは……」
尋常でなさすぎた。
「霊蟲って、人の精神も狂わせたりするの?」
「恐怖のあまりというのはあるでしょうが、直接的に人の心をおかしくさせるなんて症例は聞いた事がありません」
ホランドの返答を受け、アムロイはレイアに頼む。
「陛下、貴女の神霊力で、どうにかなりませんか」
しかしレイアも首を左右に振る。
「レイアでも駄目。……多分ですけど、これ、霊蟲の瘴気にあてられたとか、邪霊の力によるものとかじゃなくて、司祭の言ったのが正しいんだと思うわ」
「私の……?」
「精神が汚染されたとかそういうのじゃなくて、純粋な恐怖。想像も出来ない様な根源的な恐怖を刻みつけるような何かを体験した――みたいな感じだと思うの」
「恐怖のあまり動けなくなった……と?」
「僕らの声が届かないほどの恐怖って事? そんな事って……」
家屋の中で彼らが話をしている一方で、リカードの部隊は夥しい数の邪霊や屍喰人を駆りながら、奇妙なモノを目にしていた。
「何だ、これ――」
街中でいくつも目にしているそれは、異様な破壊の跡。
倒壊している家屋があるのも奇妙で異様なのだが、それ以上に街の路面の至る所がめくれあがり、大規模な土木工事でもしたかのように粉砕されていたのだ。
「一体これは……まるでこれじゃあ、聖女兵器の――」
リカードが破壊の跡に注意を向けている時だった。
その声は、外にいるリカードだけでなく、家屋の中にいたアムロイ達の耳にも届く。
まるでそれは、ガラスを引っ掻く不快音をいくつも重ね合わせたような、脳の中までも悪寒を染み込ませる不協和音。
歴戦の強者達ですら思わず足を竦ませる、生理的拒絶感をもよおさせる不快さ。
全員が全員、苦悶に顔を歪ませて何だと思った矢先――。
それは街の中央から、突如姿をあらわしたのだった。
外に飛び出したアムロイ達も、目にした途端に絶句する。
もう一度それを目にするなんて、思いもよらなかったからだろう。
かろうじて声を絞り出したのは、ホランド。
「巨級霊蟲……!」
神話の悪夢が、まさかもう一度この国に出現する事があるとは――誰もが思いもしていなかっただろう。




