Chap.1 - EP1(8)『聖女兵器 ―はじまりのキス―』
白き蛾の羽根をはばたかせるアザウザ。
凄まじい暴風が教会全体を揺らし、空気ごと全てを攪拌させた。ある者は立っていられなくなり、ある者は吹き飛ばされ、またある者は衝撃だけで意識を失う。
しかし地上の混乱など意にも介さず、アザウザは空中へ浮かび上がり、神聖にして絶対の姿で地上を睥睨した。
「これが我が聖女兵器〝アザウザ〟。――どうですか? こんな完璧な聖女兵器、聖女以外に出せるはずがないわ」
巨人から、マーセラの声がした。
今、マーセラの意識は巨人と一体化しているが、彼女自身の肉体は巨人の子宮にいる。つまり人間の時とは逆転しているのが、聖女兵器発現時の聖女の状態である。
「まさか本当に……聖女兵器を顕現させた、だと……? それでは彼女はやはり――」
アクセルオが呟く。
教会の修道士達も、ホランドへ視線を送った。
調査官の審判が間違っていたのか――。
だがここで「いいえ」という声。
ミルクティー色の髪が踊る。荒れ狂う風の中であるにも関わらずしっかりと大地に立つ彼女は、ジャンヌ。
彼女の否定に、イェンセン教会の司祭も続いた。
「た、確かに……。あの聖女兵器、何か様子が怪訝しくないですか?」
教会のすぐ真上に浮かぶ純白の異巨人アザウザ。
出現時には神々しい佇まいをしていたのに、今は巨体を震わせて奇妙な動きをしている。苦しそうな、気が触れた狂人のような動き。
すると唐突に、アザウザが天に向かって咆哮をあげた。
鼓膜を破るような高音。
区画だけではなく、街全体に響き渡る巨大な叫び。
「これは――!」
誰かが何かを言ったが、誰の耳にも届いていない。
叫び声は方向を変え、直上からアザウザの正面に向かって放たれる。
すると――!
声の向けられた街の全部が、一瞬で極北のように凍らされていた。街の数区画全てが、である。
「こんな所で〝聖女霊歌〟だと?!」
聖女兵器が兵器たる所以の一つ。
それが異能音声〝聖女霊歌〟。
声の届く範囲全てに、異能攻撃を発現させるというもの。これは強制的であり、神霊の力以外でのあらゆる防御・回避が不可能な絶対能力。
しかし通常は任意の対象に自在に発現させるものなのだが、アザウザのそれは見るからに無差別なものだった。
しかも一旦咆哮は止んでいるが、動きは益々怪訝しさを強くしている。明らかに異常だった。
「まずい、不完全な顕現をしたんだ。あれは聖女兵器のようでそうでない、敵味方の区別なく破壊する最悪の出来損ないだ。このままだと、自らの力で体が耐えきれなくなるまで、暴走を続けてしまう」
ホランドの言葉に、全員が顔を蒼くした。
途端に逃げ出しはじめる、教会の人間達。
どれだけ神霊に祈りを捧げていようと、絶対の破壊兵器である聖女兵器に対しては、畏怖と恐怖が勝るもの。味方となれば救いの守護神ではあるが、ひとたび力の矛先が己らに向けられれば、天災の前の羽虫に等しく、ただ無力無慈悲に散らされるのみだから。
とは言っても、逃げて助かるものでもない。
何よりこのままでは、教会が粉微塵にされるなど言われずとも分かっている事だったし、この街ごと壊滅させられてしまうのも火を見るより明らか。
「ねえ――」
血の気の引いた顔でどうするべきか狼狽えるホランドの目の前に、オレンジ色の裾が翻った。
ミルクティー色の髪。
狼眼の瞳。
マリーゴールドの聖女候補ジャンヌが、いつの間にか彼のすぐ正面にいた。
「もうこの手しか、ないよね」
「え?」
「目には目を、だよ。手は手でないと洗えないもの。聖女兵器には、聖女兵器だけ。そうじゃない?」
ジャンヌの告げた言葉の意味を理解したのと、彼の唇に彼女の唇が重ねられたのが、同時だった。
「――っっっ!」
全身が硬直する。
いや、儀式の四番目で行うはずだったのだから、何も動揺するはずがないのだ。ないはずなのだが、ホランドは顔を真っ赤にして総身を固くした。
一秒にも満たない浅い口付け。
小鳥のように体を離し、ジャンヌは微笑んだ。
暴風と氷嵐が吹き荒れるこんな状態なのに、彼女だけは太陽みたいに眩く見えたのは、何故だろうか。
この時ホランドは、遠い記憶のあの女性を思い出していた。
昨日夢で見た、初恋の人。
ヘレーネ・シュミットを――。
「開花令!」
ジャンヌが声を張り上げた。
片手を頭上に掲げた姿は、戦乙女も斯くやとばかりに、凛々しく美しい。
「善業 悪業 余さず照らせ! 此処に開花を〝戦〟言する――〝ラグイル〟!」
凄まじい閃光が、放たれた。
太陽が地上に降りたような、激しくも暖かで燃える明るさ。
新たな光の柱。
人間達や動植物達ばかりではない。
聖女兵器のアザウザすら、眩しそうに片手で顔を覆う。
「何――?」
光がより集まり、やがて光そのものが巨大な人型に凝縮していった。
「これが……彼女の……」
見上げるホランドが、絶句する。
もう一体の巨人が、神々しい巨躯をあらわす――。