Chap.2 - EP1(6)『復讐の旅 ―私を殺しますか?―』
ジャンヌと呼ばれた直後、半ば条件反射的な素早い動きでアムロイはギルダの手を掴んで、彼女を理矢理部屋に引きず込み、即座にドアを閉めた。
閉めた後、アムロイは少し間を置いてそぉっとドアを薄く開き、隙間から外を見渡して誰もいない事を確認する。
再びドアを閉じて振り返ると、驚きの表情で固まっているギルダとホランドがいた。
「何……? どういう事?」
ホランドの問いに答える前に、アムロイがギルダに近付いた。
「今、何て言った?」
「え? あ、はい?」
「さっき僕を見て、何て言った?」
「いやその……ジャンヌ様、と……」
思わずアムロイは、ホランドを睨んだ。
彼とて訳が分からないものの、何かを咎められている気がして、首を左右に激しく振る。
「僕が? 僕がジャンヌ? 君、何言ってるの?」
「え? いや、ジャンヌ様……ですよね。私、ジャンヌ様のお側に支えていましたから、一目見て分かりました。男の恰好をして髪型を変え、お化粧も落としておりますが、その顔立ちと声……ジャンヌ様、ですよね」
「何を言って……」
「分かりますとも! 私、ジャンヌ様が最推しだったんですから! 嗚呼……何て事! 私の推しが……私の神に……生きてもう一度お目にかかれるだなんて……」
目から大粒の涙をこぼしながら、ギルダは感極まってその場に崩れる。
それは紛れもなく、半年前と何も変わっていない、前のままのギルダだった。
腰を落として泣き出すギルダを前に、呆然とするアムロイ。やがてホランドを見るも、彼も当惑の顔を浮かべている。
もう――どうしようもないとしか言えなかった。
けれどもアムロイからしても、こんな簡単に自分が見破られるなんて思ってもいなかったし、ギルダが生きていたという喜びと驚きもあって、どうしていいか分からなくなっていたのだった。
とりあえず、泣き止まぬギルダの手を取り、アムロイは優しく彼女を立たせる。
「その……生きていたんだね。良かった」
「私ですか? はい。お城が壊れて私も滅茶苦茶に――大変な目にはあいましたが、それでも直接あの爆発の起きた場所にはいなかったので、無事でした。大きな怪我もなく、それだったら城の復旧に力を貸してほしいとなって、それでそのまま、このお城に置いていただいているのです」
ジャンヌとクローディアの聖女兵器戦でこの王城が半壊し、多くの人間もそれに巻き込まれたが、全員が死んだわけでないのは当然だった。
「そう……」
かつてギルダはジャンヌことアムロイに対し、崇拝に近い感情で仕えてくれていた。彼女の協力があったからこそアムロイは正体を隠し通せたと言えるわけで、感謝も勿論あったが、それ以上に最早仲間の一人のような感情さえ芽生えつつあったのだ。
その事に気付いたアムロイは、だったら――と考えを巡らせる。
「とりあえず、僕をジャンヌと呼ぶのはやめて。今の僕は、アムロイ・シュミットという名前なんだ」
「アムロイ……様」
「そう。理由は分かるでしょ? ジャンヌはもう、この国にとって厄災みたいなものだからさ」
「そんな、ジャンヌ様は災いなどではございません! 世の中は何も知らないのです。レイア陛下もそう! ジャンヌ様は正真正銘の聖女様であられるのに、そんな風に言われなければならないなんて……。私、クローディア様も偉大な聖女様だと思ってましたが、今は正直、あの方が憎うございます。ええ、本当に。ジャンヌ様を貶めている元凶は、あの方です」
「そんな風に言ってくれるのは、君だけだよ」
言った後でホランドをちらりと見ると、分かり易い不服そうな顔をしていた。
そんな彼に、悪戯っぽく舌をぺろりと出すアムロイ。
「それで、そんな男の恰好をなさって、ご自身を偽ってらっしゃるのですね」
「あ、うん、その事なんだけどさ……」
もう一度アムロイがホランドを見た。それで察したホランドが「まさか」という顔をしたが、アムロイはいいんだと声に出して彼を制する。
「僕はね、こっちが本当の僕なんだ」
「……はい?」
「ジャンヌ・ジャンセンは偽物の僕。僕は本当は、シュミット家の長男アムロイなんだ」
何を言っているのか理解が出来ず、ギルダがきょとんとしている。
その彼女に、アムロイは意を決して全てを語り出す。その間、ホランドは息を呑んで緊張していた。
やがて今までの全部を語り終えると、ギルダは目を大きく開いたまま「ひゃあ……」と絶句する。
「ジャンヌの姿とは全然違うから、僕だってバレない自信があったんだけど……まさか一目で君に見破られるなんて――」
「も、もしかしてそれって、私を口封じする可能性もあったという事ですか……」
「相変わらず、頭の回転が早いよね」
再び「ひゃあ」と口にするギルダ。
「うそうそ。そんな事しないよ。君には心の底から感謝しているし、君がいてくれたお陰で、僕はジャンヌでいられたと思ってるからね」
「そんな……そんな勿体ないお言葉……」
「本当だよ。だから君に僕がジャンヌだったって見破られた以上、君にはもう隠せないなって思ったんだよ」
「では、今お話になられたのは、全部本当なんですね……」
「うん。だから君に、僕からお願いしたい」
「何を……いえ、そういう事ですね」
「さすがギルダ、ほんと、君は察しがいいね」
「私に、貴方がたお二人に協力しろと――」
「うん」
しばしの沈黙が流れる。
凝っと見つめるアムロイの瞳に照れるように、ギルダは視線を逸らした。そのまま何も言わずに固まってしまう。
どうするべきか悩むのは当然だろう。
崇拝していた聖女の真実を聞かされたかと思いきや、いきなり復讐に協力してほしいと言われたら、悩むに決まっている。
何せ二人が為そうとしているのは、明らかな謀反。いや、国を引っ繰り返すような大罪なのだから。
それに加担などしたら、よくて極刑。死罪は当然だが、どんな責め苦を負うかは分からない。あまりにリスクが大きすぎる。
とはいえ、打算がないわけではなかった。
クローディアを打ち倒し、更にはその旧悪を暴いて広く喧伝すれば、善悪は逆転し、アムロイは正義を為した英雄となるだろう。そうなれば罪も何もかもが裏返る。
つまりは分の悪い、極めて危険な賭けであると言えなくもない。
少なくとも、関係のないギルダにとってはそうでしかなかった。
「……一つ、お伺いしてよろしいでしょうか?」
「何?」
「もし私が協力しないと言ったら、私を殺しますか?」
今さっき、アムロイが冗談だと笑って返した言葉を、もう一度改まって質問するギルダ。
何故か。
察しのいいギルダは、冗談だと言った答えの裏に潜む本当の意味を、見抜いていたからだ。
「――そうだね。残念だけど」
「分かりました」
答えたギルダの顔は、先ほどまで推しの生存に嬉し涙を流していた姿からは想像もつかない、いたく神妙で真剣なものだった。
「それは、自分の命が惜しいから協力する――そういう事?」
「いいえ、違います」
「?」
「私が障害となるなら迷いなく殺す――。アムロイ様は即座に、そうお答えなされました。その強いお心があれば、私は貴方様を信じていいと思ったのです」
「どういう事?」
「私に情けをかけて、少しでも憐れむようなそんな甘いお心であれば、貴方様の復讐は失敗するでしょう。失敗すると分かっているような復讐ならば、私はご協力するとはお答えしませんでした。けれどもそうではなかった。気にかけていただいた私を、貴方様は躊躇なく殺すと仰った。そんな強い心をお持ちなら、この復讐は必ず果たせる――そう確信したのです」
信じたではなく、確信したとギルダは告げた。
それもあるが、あの緩い印象の彼女からは想像もつかない回答に、まさかここまで怜悧な本性があったとは――とアムロイは感嘆すら覚えてしまう。
もしかしたら、もっと早くに彼女をこちら側に引き入れるべきだったのでは、と思ってしまうほど。
後にそれを言って「本当ですよ」とギルダから呆れられてしまう二人だが、この時はそんな後悔よりも、喜びに近い感情の方が勝っていた。
「僕の力になってくれる、と。――君を信じていいんだね」
「勿論です。私の最〝推し〟はジャンヌ様で、つまりアムロイ様なんですから」
「ありがとう」
笑顔を浮かべ、アムロイは彼女を固く抱きしめた。
いきなり抱きつかれた事で、ギルダは「はわわわ」と言いいながら腰砕けになってしまう。
ともあれ、これで心強い味方が一人増えた事になる。紆余曲折はあったものの、これほど信頼出来る仲間もいないであろう。
一通り、この三人での決め事を確認した後――。
「ところで、ギルダはどんな用向きで僕の部屋に来たの?」
そうだった――という顔を満面に貼り付けて、ギルダは表情そのままの言葉を放つ。
「そうでした……! アムロイ様、レイア陛下との聖餐果の儀式を行うのが、明日の朝すぐとなりました。私はそのご報告で、こちらへ参ったのです」
「何? どういう事?」
「後日日を改めてとお決めになられたそうですが、急遽、明日の朝すぐに聖女守護士の儀式を行いたいとの陛下のお申し出です」
予測していなかった報せに、アムロイとホランドが面食らった顔をした。
「どういう――」
「詳しくは私も伺っておりませんが、おそらくダンメルクの〝あの方〟が来られるのだと思います」
「ダンメルク?」
「聖堂聖騎士のお一人、リカード・ホーク様です」
クローディアの力を分け与えられた、兄弟騎士の弟。
分身の異能を使うあの男が来るとは。
にわかに緊張を覚えるアムロイとホランドに、ギルダは真剣な眼差しで二人を見つめていた。




