Chap.1 - EP6(6)『犯した罪 ―凶賊―』
王の部屋に入ってきた人間は、一人だけ。
騒ぎで駆けつけたにしては少ないな――とジャンヌはぼんやりと思う。
思っただけで、何もしない。思う事しか、出来なかったのだ。
「な……何だ……これは」
駆けつけたのは、アクセルオ王子。
王子の顔は、部屋に足を踏み入れた瞬間に凍りつく。
部屋の奥で、父王と兄が倒れていたから当然だろう。
しかも二人が絶命しているのは、一目で分かる。
そして血まみれのジャンヌに、少し退がった場所で腰を抜かしている、これまた血に濡れたホランド司祭。
ジャンヌの目は虚ろで、目からは涙が流れているのに表情は消えている。尋常でないのは明らかだった。しかもドレスは引き裂かれ、片方の肩と太腿までもあらわになっている。
何か乱暴されたのだと気付き、アクセルオの思考は回転し始めたようだった。
オヴィリオの頭部を、膝枕の恰好で大事そうに抱えているジャンヌに近付く。
兄に目を落とし、首筋に手を当てた。
唇を噛むアクセルオ。そしてジャンヌに視線を戻した。
「君は、大丈夫なのか」
何を言われたのか分からないまま、ジャンヌはしばしきょとんとした後、人形のようにことりと頷いた。
「何があった。何が起きたんだ、これは」
だが、ジャンヌは答えない。虚ろな瞳を見て、アクセルオは聞き出すのを一旦やめる。
そしてホランドに振り返った。
「ひ――」
鋭く睨まれた事で、ホランドから情けない声が漏れる。
「司祭、何があったか答えろ」
「そ、その……その、な、何が、と……ジャ、ジャンヌが――ジャンヌを助けようと――して――オ、オヴィリオ殿下が――殿下が、殿下をわ、私、私が、その……。そしたら陛下が――陛下がまた――」
「はっきりしろ! 包み隠さず言うんだ! それとも貴様、ここでボクにすぐさま斬られたいのか?!」
叫んではいないものの、見せた事のない顔と聞いた事のない激しい声を放つアクセルオ。
立ち上がりつつ、腰に差した剣を抜いてホランドに突きつけた。
「そ、その――」
「ちゃんと話せ。でなくば司祭であろうと斬る」
アクセルオの目は、本気だった。
その迫力に促されるようにして、声を涸らしたような喘ぎを漏らしながら、ホランドが話しはじめる。彼が知る限りの、事の経緯を。
そうして、あまりにたどただしく要領を得ない説明だったが、やがてアクセルオは事態を理解した。
「つまり父上がジャンヌに手をかけようとしたところに、それを止めようと兄上が入っていったが、それを同じくジャンヌを助けようとした君が誤って兄を刺してしまったと。そして父がジャンヌに罪を着せようとしたので、彼女が父を手にかけた――そういう事だな」
アクセルオの答えに、ホランドが正気を失いかけた目で何度も頷く。
「どうして父は、ジャンヌに手を出そうとしたんだ。ジャンヌ、父と何があったんだ」
剣をおさめたアクセルオがジャンヌに再度向き直り問い詰めるも、やはり口を開かない。ただオヴィリオを抱きしめるのみだった。
それを見たアクセルオの手が、閃いた。
ぱん――
と音をたててはたかれる、ジャンヌの頬。
片頬を腫らし、何が起きたのか呆然となりながら、ジャンヌがアクセルオの顔を見る。
「君だけが悲しいと思うな。ボクにとっても大切な、たった一人の兄上なんだ。一人だけ悲しませてなんかやらないぞ」
「アク……セルオ……」
「答えろ。父は何をした。何をしようとしたんだ」
ジャンヌの目に、意思が戻る。本来の自分の心が。
「何を……王は――」
口を開きかけた時、ジャンヌの目にひきつったホランドの顔が飛び込んできた。
それではっとなる。
「王は――陛下は、あたしをその――あたしに乱暴をしようとしたんです」
「乱暴……その、君を犯そうとした――のか?」
「はい。……もう自分は何もかもおしまいだ。だから最後にもう一度、聖女を――と。あたしは、陛下に対して無礼な事は出来ないと思ってやめて下さいとだけしか言えなくて……。そしたら陛下は興奮してあたしに――。そこへ、オヴィリオ殿下が……」
偽りが、滑らかに口から流れた。真実を、塗りつぶして。
ここに至って最早嘘偽りを述べても意味がないと分かっていた。分かっていたのに、ホランドの表情を見たジャンヌは、咄嗟の判断で嘘をついた。
だがそもそもは、王の過去の過ちが原因なのだ。ジャンヌは被害者だし、ホランドとて巻き込まれたようなものとも言える。だったら被害者が自分を守って何が悪いのか――。
何より、引き裂かれたジャンヌのあられもない衣服が、この嘘に強い説得力を持たせていた。誰がどう見ても、王の狂乱が原因だろうとしか思えない――。
アクセルオは魂を絞り出すような溜め息を吐き、悔しさの幾倍もの苦悶を滲ませて、両目を閉じる。
「正直……今すぐお前達二人を殴りたい。いや、殺してしまいたい」
殺す――という言葉に、ジャンヌとホランドは目を見開く。
「だが、全ての原因は父だ。そして父の罪の証は、このボクそのものでもある。だがそれでも、ボクは兄を死なせてしまった君達二人が憎い。ジャンヌ、特に君だ……! 君は聖女だろう。なのにどうして、兄を死なせてしまったんだ。兄は……兄上は……!」
「……」
「分かっている。君は悪くない。君は被害者だ。ホランド司祭もある意味においては被害者だろう。――けれど、分かっていてもそうはいかない。司祭、君については特に」
「え……」
「ジャンヌは己を守ろうとしたから、仕方ないとも言える。けれども君は違う。形はどうあれ、次期国王陛下を殺めた罪は重い。間違いでした――で済まされる話ではない」
ホランドが声を失う。
徐々に冷静さを取り戻しつつある今なら、それはもっともだと分かる。
けれども、だからはいそうですねと簡単に受け容れる事が難しいのは当然だろう。
「だが――」
アクセルオの顔が、今までとは違う色に曇った。
「今は――今この時だけは、そうもいかない」
「え……?」
その時、今度ははっきりと複数の足音が響いてくるのが分かった。明確に、この部屋へ向かっている。何よりそれは、鎧のこすれる金属音を伴っていたからだった。
その音を耳にした瞬間、アクセルオは素早く動いた。
まず部屋を見渡し、飾ってあった剣を一振り抜き払う。それを血溜まりに浸けて濡らし、部屋の周囲に向かって振った。特に窓の方に向かっては入念に。
そうしてその窓を開け放つ。その後、剣をパウル王の手に握らせた。
「何を」
戸惑うジャンヌを無視し、今度は落ちていた短剣を拾って、それをオヴィリオの手に握らせる。
意図が分からないジャンヌらであったが、これが済んだのと同時に、部屋の扉を叩く音が響いた。
「陛下! ここにオヴィリオ殿下かアクセルオ殿下はおられますでしょうか?!」
城の衛兵であろう声。
アクセルオがそれに対し、「ボクはここにいる」と答えた。
申し訳ありません、ご無礼仕りますと言いながら、複数の足音がガチャガチャと床を鳴らす。
そしてとんでもない惨状を目にした兵士が、思わず息を呑むのが分かった。
「賊だ。賊が城に入った」
兵士らの言葉を待たず、アクセルオが告げる。
「賊――!」
「賊は父を殺し、兄上までも手にかけた。咄嗟に聖女様が反撃したが、賊はその窓から逃げてしまい、兄上は……もう……!」
悔しさを滲ませた声と顔で、アクセルオが拳を握る。
衛兵らは、何も言えず、ただ呆然となるばかり。
「おそらく今来ているのと同じ手の者だろう」
「い、今すぐ追手を」
「それよりも備えを固めろ。大臣らが揃い次第、防備の策を出さねばならん。王と兄がこうなった以上、ボクが指揮をとる。いいな」
「は、はい!」
アクセルオの鋭い下知と共に、衛兵らは即座に踵を返して部屋から出ていった。
何が何やら分からないジャンヌとホランドは、口も挟めないままアクセルオの言葉を待った。
「いいか、よく聞け。君達に起きた事は全部、君達だけの胸にしまうんだ。少なくとも、今この時だけは」
「どういう事ですか」
「全ては城に入った凶賊の仕業。賊の手にかかり、兄と父は死んだ。それが今この場この時の真実だ。いいな」
「だから何がどういう事なんですか」
混乱の上に訳の分からない説明を被せられ、ジャンヌらが更なる戸惑いを覚える。しかしそれを分かった上で、それでもアクセルオは苛立たしさも露わに吐き捨てる。
「ダンメルクが攻めてきたんだ」
「え?」
「ダンメルクが、大軍を率いて我が国を攻めてきたんだ……! いいか、ジャンヌ。それに司祭も。君らの罪はその後だ。今はボクらに協力しろ。共にダンメルクとの戦に備えてくれ」
ジャンヌとホランドが、声を失う。
「ジャンヌ、今すぐボクを守護士にしろ」
「え……?」
「従わなければ殺す。兄と父を殺した罪で。だから今すぐに、ボクを君の守護士にするんだ」
目まぐるしすぎる成り行きに、ジャンヌの悲しみと絶望は、この部屋のオヴィリオと共に置き去りにされていった。




