Chap.1 - EP5(end)『叛逆の剣 ―紙切れ―』
パウル王の処分については、先の聖女へ犯した罪の責任をとる意味もあり、事実上の退位となった。
今は自室での蟄居となるが、いずれ遠からぬ内に玉座をオヴィリオに譲り、自身は別の地に移される事になるだろう。
また、この件について王の責任を有耶無耶にした家臣や貴族らに対しても、同様の処分が為される事になった。これにより、代替わりする家もあれば、国政を担う人材も大幅に刷新される運びとなる。事実上の、オヴィリオ王政のはじまりである。
オヴィリオ自身はそれを喜びはしなかったが、むしろ最も理想的な形で、全てを収める事が出来たとも言えるだろう。これからはアクセルオを副王に、ジャンヌも側に置き、新たなゼーラン王国がはじまる事になる。
その報せを、遠く離れた別の地で喜びながら耳にしている者がいた。
男の目の前で跪いているのは、ジャンヌ達と旅を共にした、あのダンメルクの聖堂聖騎士コーネリア・イーグルである。
ここはダンメルク王国、王城の一間。
照明もなく、暗闇に覆われた一室で、コーネリアは自分の背丈の半分もなさそうな小男の前にかしづいていたのだ。
「きゃっきゃっきゃっきゃっ。成る程ネ。かなり強力な聖女兵器のようだけど、それが全てか」
「は。あのジャンヌ・ジャンセンは、間違いなく本物の聖女です」
「そうか。それはまた、随分と運のない聖女だネェ」
小男の言葉に、マーセラは何も返さなかった。続いて彼女が口にしたのは、別の内容だった。
「マーセラ・スタインもレオナルド・ウェルズも、何も言い残さずに亡くなったという事です」
「上々、上々だよ。で、その後は?」
「はい。手配は滞りなく」
「さてさて、果たして何をどうするのやら……。全くもって、聖女様のお考えは計り知れないヨ」
再びきゃっきゃっきゃっと笑う小男に、コーネリアは嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
何を考えているか分からないだと? それは貴様の事だろう――と敵意さえ抱く。
しかしそれを表に出すような愚を、彼女が犯すはずもない。
全ては闇の中。
この部屋のように。
※※※
どこで間違えたのか――。
そんな事は誰に聞いても明確なはずなのに、それでもまだ自分はどうすればよかったのかと、パウル王は自問自答を繰り返していた。
広い自室の中、頭髪はボサボサに荒れ、衣服も崩れて王の威厳などまるで失っている。見るも憐れな姿に成り果てたまま、彼は寝台に腰を下ろしていた。
「一六年前―― 一六年前だぞ。そんな事を今更……!」
人として有り得ないような今の発言を息子達が耳にしたら、どう思うだろうか。そんな事も分からないほど、今のパウルは思考も精神も何もかもが鈍りつつあった。
英明で善政を布く良き王。
それがかつてのパウル王の評価であり、その評価のまま、自分は最後まで人生を全うするのだと彼は考えていたのだ。
――確かに過去に犯した過ちは事実である。けれども間違いの一つや二つ、誰にだってあるものだし、自分はそれがたまたま、ほんの少しばかり大きな規模のものだった。それだけではないか。それを言うなら、もっとひどい事件や悪政を行った王など、ごまんといるだろう。なのに自分だけが断罪されなければならないとはどういう事なのか。いや、むしろここまで国を支えてきたのは自分なのだから、こんな扱いを受ける謂れはないはず。
そんな風に己を正当化し、パウル王はまんじりとも動かずに煩悶し続けていた。
もしこの内面をオヴィリオやアクセルオが知ったら、自分達の父は、これほどまでに卑しい人間だったのかと絶望したかもしれない。
ただそれはむしろ逆で、パウル自身は、自分が矮小な器しかない人間だと分かっている。分かっているからこそ、己の醜い姿を糊塗し、器の小さい自分に相応しく、国の器も小さなものにしてきたのだ。誇りを持たず、強国の庇護下で仮初めの苦しい平和を維持し続ける、そんな国にすれば自分でも支えていける――。
人民の苦しみになど、耳を傾けはせず。
ただ己の名誉と保身のためだけに、人生を捧げてきたと言えるかもしれない。
けれどもそんな彼の思惑も、今や全てが崩れてしまった。
レオナルド、マーセラ。
あの二人によって。
しかしそれも、全てはあの聖女があらわれてから、狂ったのではないだろうか――。
ジャンヌ。
あの少女があらわれなければ、ひょっとしたら別の道があったのかもしれない――。
完全な濡れ衣以外の、何物でもない発想だった。
しかし全てを失い、これから更に失い続けるかつての王には、それを反省する思考などあるはずもなかった。
自分は悪くない。むしろこの国を支え続けてきた功労者で、奸計に嵌められた被害者であるとすら、思い込んでいた。そう思えるからこそ、彼は善王の仮面を被り続けていられたのである。
本当は全て、己の過ちのせいであるにも関わらず。
一切それを省みる事なく。
「そうだ。あの聖女、ジャンヌのせいだ。あの女のせいで、自分は――」
ぶつぶつと呟くパウル王が、この時別の音に気付いたのは、偶然だろうか。
むしろそれは不自然なほど、露骨に王の耳に届くような物音をたて、そして見つかるように床に落ちていた。
「……?」
気付いたパウル王が、ひらひらと床に落ちたそれを、手に取った。
一枚の紙片。
折りたたまれた切れ端。
開くと、中には文字が書いてあった。
長い文章ではない。
ただそれを目にした途端、パウル王の表情は大きく変わった。
目は見開き、総髪が天を突きそうになるほど、ぞわりと蠢く。
「何……だと……?!」
パウルは紙片を手に握り、きょろきょろと顔を動かす。書かれた文字の内容を反芻し、さっきまでの悩みなどどうでもいいと言わんばかりに、頬を紅潮させていた。
狼狽えているのか、それとも興奮しているのか。
やがてもう一度紙を開いて、彼は何度も何度も、その言葉を読んだ。
これは誰が、何のために書いたものなのか――。
筆跡を見ても、何も分かるはずもない。
けれどもはっきりとした事がある。
この紙に書かれている事が事実なら、パウル王の今の状況も、この国の何もかもが全て――
「引っ繰り返るぞ……!」
パウル王は肩を震わせ、笑い声をあげはじめる。
狂気に満ちたその笑いは、まるでこれからの出来事を暗示するかのような響きを持っていた。
その紙に書かれていたのは、二行だけの言葉。
――聖女ジャンヌは、女ではない。
――男だ。
……パウル王の笑いは止む事なく、いつまでも続いていた。




