Chap.1 - EP5(11)『叛逆の剣 ―はじめまして―』
翌朝――。
昨日までの疲れがまだ体から抜けきってない事を自覚しつつ、ジャンヌは自室の寝台の上で目が覚めた。
昨夜は王城に帰った途端、安心したのか身体中から疲労がどっと溢れ出し、湯浴みと着替えもそこそこに泥のように眠りについたのだった。
本来こういう時に役立ってくれるはずの侍女であるギルダは、残念ながら今はいない。彼女はまだ遠いスケーエンの街にいるため、ジャンヌは睡魔と必死で戦いながら、何とか一人で身の回りの事をやり遂げたのである。
そう考えると、いつの間にやら自分は随分とギルダに頼っているなぁと、しみじみ思う。
彼女は絶対的な忠臣と言っていいほどジャンヌの言いつけを守るため、ここからは自分でするから入らないで、絶対誰も近寄らせないで、というこちらのお願いを完璧にこなす。そのため、自分の正体を知られる心配もほとんどなくなったし、むしろ正体を隠し続けるためには、彼女がなくてはならない存在になりつつあったのだ。
具体的には、湯浴みの際や着替えの時、または眠っている時などが一番危険なのだが、そういう時はギルダが盾となって「ジャンヌ様は只今お休み中なので、誰も入ってはなりません」と、何人であろうとも寄せ付けないでいてくれるのである。着替えの時もお風呂も全部そうだった。
けれども今はいないため、全部を自分だけで注意しなければならない。
――前は一人でやってたのになぁ。
すっかりギルダに頼ってしまっている自分に、少々呆れてしまう。
今も知らぬ間に外してしまっていたカツラを被り、着替えの服を探そうとする。
ジャンヌの正体は、ダンメルク王国の貴族シュミット家の長男アムロイ・シュミットなのだ。
髪型は伸ばせばいいのだが、元のアムロイの姿に戻る事もあるだろうと考え、ジャンヌの時にはロングヘアーのカツラを着用しているのである。このカツラは、聖女の〝糸〟の力で結び、それによって脱げないようにしているため、頭を直接触られても気付く者はいない。
また、着替えるのは女性ものの動きやすいドレスだが、寝ている間も、当然ながら女性の寝着にしていた。
今身に着けているのは、少しだけレースの入った、ワンピースのチュニックである。
服を探し、チュニックを脱ぎかけたその時だった。
「おはようございます!」
突然部屋の扉が開かれ、赤毛の少女が飛び込んできたのだ。
――!
咄嗟に、ベッドのシーツに潜り込むジャンヌ。
――何?!
つかつかと足音。音が止んだのに気付き、シーツからそっと顔を覗かせると、すぐ目の前にその少女がいた。
「は、はい?!」
少女は満面の笑みを浮かべている。
「貴女がジャンヌさんね! はじめまして、私、レイア・ウルフといいます」
「レイア……様……?」
「嬉しいわ!」
言うや否や、レイアはシーツ越しにジャンヌに抱きついた。
「ひぇっ」
ジャンヌから、思わず変な声が漏れてしまう。
突然の事で動揺しているのは勿論だが、今の自分は薄布一枚しか身に着けてない状態なのだ。ある意味一番危険な状況だとも言え、かつてないほどジャンヌはパニックになりかけていた。
このままシーツを剥がされたらと思うと、全身から汗が吹き出しそうになってしまう。
「貴女がレイアを救ってくださったんですね。嬉しい! レイア、とってもとっても怖くって……! 本当に何てお礼を言ったらいいか」
「ちょ、ちょっと待ってください……! お礼だなんてそんな」
「ううん。貴女はレイアの救い主よ。貴女がいなければ、レイアはとっくに殺されていたでしょう。ああ、貴女はレイアにとって救世主どころか、女神様と言っていいかもしれない。本当に有り難う」
シーツに抱きつく細腕に力がこもる。別に少女の腕力だから痛くも苦しくもないのだが、それよりも今の服装の頼りなさに、ジャンヌはもう気が気ではなかった。
「そ、そんな事……。それに、王女殿下を直接お救いされたのは、あたしじゃなくオヴィリオ殿下です。あたしはそこまでそんな……」
ジャンヌが謙遜の言葉を並べていると、レイアは抱きついていた腕を不意に離し、今度は両肩を掴んだ。見た目的にはレイアがジャンヌをベッドの上で押し倒しているようにしか見えない。
「何を仰ってるの! 貴女のあの美しい、太陽のように眩い聖女兵器様がなければ、あのニセ聖女に、レイア達みんな殺されていたのよ」
「いや、殺されたかどうかは……」
「殺されたに決まってるわ。それを貴女が救ってくださったのよ。ご謙遜なさらないでくださいな。それにレイア、今とても感動していますの」
「……?」
「昨日は聖女兵器だけしか見れなかったのですが、新しい聖女様がこんなにお綺麗な方だなんて……。もう、何て素晴らしいんでしょう」
「は、はぁ」
「レイアは心に決めたひとがいますの。貴女は何だかそのひとに似ている気がしますわ。違うのは分かっているのに、どことなく――」
「そ、それより殿下、あの、あたしまだ服も着ていないので、その、ちょっと準備するまで……」
うっとりとなったレイアを見て、ここぞとばかりにジャンヌが話を遮った。
とにかく、今のままでは身動きすら取れない。
「あ、ごめんなさい! レイアったら自分の気持ちを伝える事だけに頭がいっぱいになっちゃって」
そう言って謝りを口にするも、何故だかレイアはベッドから動こうとしない。
「あの……殿下……?」
「何?」
「その……一旦、部屋から出ていってくださると助かるのですが……」
レイアは顔を不思議そうに傾けた。
「あら、あたしはこのまま待たせていただくから、どうぞ遠慮なさらないで」
「いや、その、それは恥ずかしいというか――」
「恥ずかしがらなくっていいわ。同じ女同士じゃない。何も殿方の前でお召し替えするのではないのよ」
そう言って、ころころと笑うレイアに、ジャンヌの頬は引き攣りそうになっていた。
ある意味、この数日間の中で今が最大のピンチかもしれないと、本気で思うジャンヌ。
どうすればいいか――。
必死で考えを巡らせていると、そこへもう一人の声が飛び込んでくる。
「レイア! お前、勝手に――」
部屋に入ってきたのは、オヴィリオだった。
その姿を見て、思わずジャンヌが「きゃっ」と悲鳴をあげてしまう。
「す、すまない! そ、その……レイアが――妹が勝手に――」
顔を伏せ、前を向かないようにしながら、オヴィリオは謝罪を述べる。
「いやだ兄上ったら。ジャンヌ様はまだ寝間着のままですのよ。そんな所にずかずかと入ってこないで。いやらしいわ」
寝間着と聞いて、オヴィリオは顔を伏せたまま耳まで真っ赤にする。
「い、いや、俺はその……。いや、そうじゃなく、お前こそ何だ。早く出るんだ、ジャンヌも困ってるだろう」
「あら、レイアは女ですから出なくってもいいわ。兄上こそ早く出て扉を閉めてくださらない。ジャンヌ様がベッドから出れないじゃないの」
埒もない兄妹二人のやりとりに、ジャンヌは意を決する。
息を吸い込み、シーツを掴んだまま、レイアを跳ね除ける形で体を起こした。
「いい加減に……」
ベッドから転げ落ちそうになりながら、レイアはオヴィリオの方によろめいた。
そしてジャンヌは再度息を大きく吸い込み、
「二人とも! 出ていって――――!」
と、叫んだ。
傍迷惑な兄妹は、声の圧に吹き飛ばされるように部屋を飛び出していく。
ばたん、と扉が閉まった後、朝から思ってもみなかった大声をあげた事で、ジャンヌはぜいぜいと息を切らしていた。慌てて扉に鍵をかけた後、「鍵、かけ忘れてたのか……」と呟いた。
ちなみに、部屋の外でこのドタバタの騒ぎを眺めていたアクセルオは、「やれやれ」と言って苦笑いを浮かべていたという。
ジャンヌは着替えながら、やはり一刻も早くギルダには戻ってもらわないと、と悲痛な願いを抱いていた。許されるなら、聖女兵器のラグイルを呼び出して、すぐにでも迎えに行きたいくらいだった。
そうでないと、色んな意味で危険すぎる。
「似ている――じゃないでしょ」
思わず、一人言がこぼれる。
「よく知ってるから……」
随分と大人っぽくなったと、レイアの顔を思い出す。
さっき見た顔と、かつての顔の、二つを。
レイアがダンメルク王国の人質となったのは、クローディアが彼の国の聖女となるより前の事。つまりジャンヌがまだアムロイだった時代に、彼女はダンメルクの人質となっていたのだ。
そして幼いレイアの遊び相手として貴族の中から選ばれたのが、アムロイだった。
そう、アムロイことジャンヌは、もうずっと前から、レイアを知っている。知りすぎていると言っていい。お互いに。
ある意味ジャンヌとって最も厄介な存在が、王都に帰還したのである。
「僕は……あたしは、楽観的な人間だから……。そう、楽観的なの。だから大丈夫。何とかなる」
無理矢理自分に言い聞かせるように、ジャンヌは呟いた。
こればかりは一人ではどうする事も出来ないと分かっていながら、まるでそこから目を背けるように。
遠い地にいるギルダとホランドに、早く帰ってきてと祈りながら。




