Chap.1 - EP5(10)『叛逆の剣 ―夜道の迎え―』
深い藍色から黒に近付くにつれ、菓子を飾る粉砂糖のように、星々が空一面にまぶされていった。
月明かりと星明かりのおかげで、深黒の闇ではない。歩くのに苦労はしないし、何ならはっきりと見える程度であった。
その紺藍に染まった大地を一人歩いていると、王都の方角から蹄の音が響いてくる。
音は複数。けれども誰が来ているのかは分かった。
「ジャンヌ!」
「殿下」
馬から跳ぶように降りると、オヴィリオはジャンヌを抱きしめた。
マーセラを倒してほどなく、時刻は夜になったのだ。
王都の外で戦っていただけに、ジャンヌは徒歩で城へと帰ろうとしていたところを、オヴィリオが自ら迎えに来たというわけである。
オヴィリオが到着したすぐ後に、複数名の騎士も辿り着く。
「倒したんだな」
「はい。殿下も」
「いや、俺はともかく――それよりジャンヌ、君には何もかも救われた。本当にありがとう」
少し前のオヴィリオからは考えられない、感謝の言葉。
それに、いつの間にか「お前」から「君」に呼び方が変わっている。
ジャンヌは頬を赤らめながら、にこりと笑う。
「姫様は? レイア様はご無事なんですか?」
「ああ、大丈夫だ。特に怪我もない。無傷だよ。ただ、あんな目にあったせいか、気絶とまではいかないが、少し気を失ったみたいになっていてな……。今は体を休ませている。それも薬師が着いているから心配はない」
「そんな……殿下も着いていなくて良いのですか?」
オヴィリオが妹のレイア王女を溺愛している事は、つとに知られている。その妹が寝込んでいるのに心配ではないのかと問うたのだ。
「大丈夫だ。アクセルオもいるし、特に別状もないと聞いた。俺も無事なのは確認しているしな。それより俺は、君が無事かどうかが心配だったんだ。聖女兵器同士の戦いには何もしてやれないとはいえ、戦いを待つ事がこんなに苦しいものだとは……」
「ありがとうございます、殿下」
騎士と姫ならば、姫が騎士の無事を祈るところだろうが、聖女と騎士となると立場が逆転するのは当然だろう。
国の命運を一人の少女に託すとはいえ、騎士にとって歯痒く思うのは古今東西どこも変わらない。
「さあ、帰ろう」
「はい」
そう言ってオヴィリオは馬に戻り、ジャンヌにも手を差し伸べて己の後ろに乗せた。
「これから、どうなるのでしょう」
馬に揺られ、オヴィリオの背中を感じながらジャンヌが問いかける。
これから、には様々な意味が込められていた。
反乱を鎮めたといっても、あちこちに被害の爪痕は残っている。特に霊蝕門災害への復興支援は、治水以上の国政の大事である。しかも国王の犯した過去の問題も、今回の一件で最早隠しておく事は出来なくなってしまった。
「父には残念だが、一線から退いてもらわねばならないだろうな。政事をどう取り仕切るかについてはすぐに協議せねばならんだろうが、ダンメルク側からの介入も警戒せねばならないだろうから、しばらくは忙しくなる。ジャンヌ、君にも何かと苦労を強いるかもしれん」
「構いません。そのための聖女ですから」
「さっき君は、妹の事を真っ先に心配してくれた。俺はそれが嬉しい。やはり君は、この王国の聖女で、俺の聖女だ」
先述したように、オヴィリオの妹愛はジャンヌも嫌というほど知っている。
今までの彼ならば、どれだけ他に重要事項や心配事があろうと、妹が目の前で倒れたりすれば、着きっきりになるのは目に見えていた。それほどだったのだ。
けれども今の彼は、妹と同じかそれ以上にジャンヌの身を案じ、無事を確かめるために血相を変えて自ら迎えに来たのである。
それがどれほどの意味と想いを持つものか――分からぬジャンヌではないし、だからこそ心に痛みを感じずにはおれなかった。
もし本当の事を言ってしまったら――。
それを考えるだけで、心が苦しくなる。
胸が締め付けられる。
オヴィリオの広い背中を見つめ、ジャンヌは腰に回した両腕に、ぎゅっと力をこめた。
せめて今だけは――。
いや――
今この時がずっとそのままならいいのに――。
それがどれだけ虚しい願いであるかを知りながら。
※※※
こうして、偽の聖女マーセラと騎士団長レオナルドによる反乱騒ぎは終わりを迎えた。
その後、マーセラについていくつかの事が明らかになる。
彼女は中央教会に身柄を確保されていたが、何者かの手引きで教会より逃走した事が、調べによって判明した。
やがて教会の追手から逃げ切った彼女は、一度は完全に消息不明となった。そこから南のスケーエンの街を壊滅させかける霊蝕門を引き起こし、王都での今回の一件になるというわけなのだ。
マーセラを逃した時点で、教会側が王国に知らせを届けていれば、事態はもっと違ったかもしれなかった。が、そこには面子というものが大きく邪魔をした。ようは教会の手落ちを、どうにか自分達だけで始末を着けようとして、失敗したというわけである。
結果的に、情報が隠蔽された事で最悪の事件にまでなってしまったのだから、教会側の負う責任は大きい。
今後、謝罪だけでなく賠償の意味でも交渉を行うのは当然として、その仲介役にホランドの役割は益々重要になってくるであろう。
それはともかく、対外的には一連の出来事の主犯は、マーセラ・スタインによるものとして発表された。
間違ってはいないが疑問は何一つ解消されていないし、そもそも抜け落ちた内容の方が多い結論付けだった。
だが、一旦はこうもしなければ人心は安定しないし、何よりレオナルドがなくなったショックが、王国にとっては何よりも大きな痛手だった。
今回の反乱を起こすまで、彼は王国中の兵や騎士から慕われる存在だったのだ。
それにダンメルクの聖騎士が、〝百折不撓〟の異名を口にしたように、彼の実力は国の内外に知られているほどの豪傑である。戦力や国防の意味でも、この損失は大きかった。
だがそれよりもっと大きな問題は、パウル王についてであろう。
王が過去に犯した罪。
知る人ぞ知る話であったものが、今回の一件で明るみになったのである。
しかし、こういう見方も出来る。
結局、レオナルドとマーセラの事件によって、ゼーラン王国が抱える膿のような過去の過ちを断罪する事が出来たのだと。しかもその結果、有能な王子が王位を継ぐ事になる事は、これを解決した実績からいっても間違いないだろう。
それに加えて、新たな聖女ジャンヌの力と功績も広く知れ渡る事になった。
何もかもが、出来過ぎなほどに上手く収まったのだと――。
聖女が出現したのに霊蝕門が起きたという未解決の問題はあれど、それもマーセラの仕業という事で大方の人間は納得しつつある。
つまり一連の出来事で最も株を上げたのは王子と聖女であり、まさに望むべく方向へと、国は向かいはじめたとも言えるのだ。
災い転じてとは言うが、果たしてこれをどう捉えるべきなのか――。
少なくともほとんどの人間は、片が着いたと思っていただろう。
しかし、これはまだ、はじまりでしかなかった。
それを知る者は、果たしてどれだけいただろうか。




