Chap.1 - EP5(6)『叛逆の剣 ―炎と氷―』
オオミズアオという蛾のシンボルを有するアザウザ。
それを駆る聖女マーセラ。
彼女の守護士となったレオナルドの異能力は、まさに蛾そのものの大きな羽根で自在に空を飛ぶものだと思われた。
のだが――
妹であるレイア王女を抱えながら、空のレオナルドを睨むオヴィリオ。
そこへ、己の周囲にふわふわと舞う煌めきがある事に気付いた。
仄かに感じる冷気。まるで早朝の空気のような輝きを落としているのは、人間大の蛾の羽根から。
咄嗟に、オヴィリオはその場から離れる。同時にアクセルオに、
「逃げろ!」
と叫んだ。何故と問い質すより先に、兄弟の信頼が弟の体を突き動かす。
その直後――。
二人のいた場所を中心にして、一面が極北のような氷漬けと化していた。
――!
周囲にいた兵士達は、巻き込まれる形で凍らされてしまう。
「さすが。いい勘だ」
上空のレオナルドが、無感情な声で言い放った。
彼から振り撒かれている輝きは、異能の羽根からの鱗粉。しかしただの鱗粉と違うのは、言うまでもない。
冷気を内包し、触れたものを任意で凍らせる事の出来る、恐るべき氷結の光の粒。
オヴィリオは周りの騎士にレイアを預け、空に浮かぶレオナルドに向き直った。
続けて、横に払うような動きで左手を翳す。網が広がるように、光の糸が放たれた。
が、まさに蛾のような動きで、レオナルドはそれをいとも容易く躱した。
「オヴィリオ、貴方のその力でも私の前では無力です。空に糸は届きません」
その時、下にいる兵士達からいくつもの矢が放たれた。空にいるなら撃ち落としてしまえという事か。
しかしレオナルドは、無造作に大剣で矢を払い除けるだけ。
それどころかその内何本かは鱗粉に触れた事で、一瞬で氷漬けになってしまう。それによる加重で、矢は力なく地に落ちていくのみ。
今の攻撃が元騎士団長の癇に障ったのだろう。
体を旋回させたレオナルドが、弓兵のいる直上を触れ得ぬ速さで滑空する。当然、そこに撒かれる鱗粉。
何だ――と問う間もなく、一瞬で弓兵の大半が、氷の彫像と化してしまう。
「ひ――ひいィ」
あちこちで悲鳴が上がった。
騎士や兵士達の内、恐怖に駆られた者らは、逃げ出す始末。
最早この場で立ち向かえるのは、炎の糸を操る細剣の騎士王子のみ。
「正々堂々――と言ったな。ならば貴様に対しては、正々堂々と騎士の一騎打ちで引導を渡してくれよう」
レオナルドの言葉に、オヴィリオは空に向かって剣を突き出した構えを取る。
この時、オヴィリオは気付いていた。
どうして人質にとっていたレイア王女を、レオナルドは手放したのか。その理由を。
彼の言葉を借りるなら、ジャンヌとオヴィリオによって、悉くレオナルドらの計画は挫かれてきた。今もアザウザをこの場から遠く離されている。
つまりどう足掻こうとも、例えレオナルドが人質のレイアを手放さないでいようが、最早完全な勝ち筋はないに等しいという事。何故なら、仮にレオナルドとマーセラがそれぞれジャンヌとオヴィリオを倒せたとしても、無傷で済むはずがない。消耗するのはもとより、相当に――いや、限界近くまで力も消費するだろう。となると、神霊力が尽きるのは自明の理。
そうなれば後はただの人間対人間。どんな武人でも、一人で軍隊は倒せない。結果がどうなるかは、言うまでもなかった。
だからレオナルドは、人質を取り続ける事よりも、戦いを選んだのだ。
差し違えてでもオヴィリオだけは絶対に殺すため――戦いの足手纏いになる、人質を手放したのだろう。
いや、オヴィリオがそう推察しただけで、実際は騎士としての誇りが彼をそうさせたのかもしれない。いずれにせよ、オヴィリオの取る行動は一つ。
――ならばこちらも、剣で応えよう。
許し難い叛逆の徒でも、騎士は騎士だ。その誇りを汚す事は、何人であっても出来ない。
空のレオナルドと地のオヴィリオ。
両者の緊張が高まる。
単純な地の利で言えば、有利なのはレオナルドだろう。だが、オヴィリオにもあの糸がある。しかも糸は炎を放ち、レオナルドの氷を溶かす。
一方で、レオナルドの凍らせる力も、鱗粉に触れるだけで相手の動きを封じる強力なもの。これを完全に防ぐのは不可能に近い。凍らされないためには、逃げるしかなかった。
では剣の実力はと言えば、これはほぼ互角だと思われる。あえて剣術の性質を分けるなら、攻のオヴィリオに防のレオナルドといったところか。
となると、勝負は一瞬――。
異能の騎士が放つ闘気にあてられ、誰もが息を止めるように、無言で両者を見守っていた。
※※※
まるで馬に引き摺られる罪人の態で、アザウザの巨体は空を引っ張られていった。
だが、それもほんの僅かな間。投げ出される恰好でアザウザは放り出される。けれども白の巨体は大地に激突する事なく、巨大蛾の羽根を叩きつけるように動かして体を反転。空中のままで上体を立て直した。
体勢を戻したアザウザは、己を拘束した茜色の巨人に対し、睨むように向き合う。
「こんな……よくもっ……!」
互いに宙に浮かぶ、神聖なる巨人――聖女兵器。
周囲を見れば、そこは街の外。
王都クヴンハウ郊外の、更に向こう側にまで来ていた。
巨人同士の戦いによって、周りを巻き込むのを防ぐためなのは明らかだった。
「ここなら周りを気にしないで、思う存分相手をしてあげられるわ」
蜘蛛とマリーゴールドをシンボルとする茜色の巨人――ラグイルから放たれる、ジャンヌの声。
「周りを気にする、ですって? そんな余裕があるのかしら?」
「貴女には色々聞きたい事が沢山あるけど、まずはその大きな体をどうにかしなくちゃね。悪いけどもう一度その姿、散らしてもらうわ」
「この前のわたくしと今のわたくしを同じに思わない事ね。あの時は仮契約な上に、貴女のせいで力を乱されていた。でも今度は完全な聖女の力。完全な聖女兵器。貴女のような偽物に、負けるはずがないわ」
偽物――という言葉にどきりとするジャンヌ。
とはいえ、自分の正体が知られているとは思わない。
それよりも気になるのは、本当にあのマーセラは、聖女なのかどうかという事だった。
「おい」
ラグイルの操縦球の中にいるジャンヌに、その神霊が呼びかける。
「あのアザウザだがな、あれは本物の聖女兵器だ。ただ、でもな、そうなんだけど――それでも本物じゃねえ」
「何? どういう事?」
「分かんねえ。触れた感触は間違いなくオレらとおんなじモンなんだけど、何か違和感があるっつーか」
「偽物――とかって事は?」
「偽物の聖女兵器なんて、少なくともオレは知らねえ。ンな奴、見た事も聞いた事もねえし、そもそも偽のオレらって何なんだよ」
「そんな事あたしに聞かれても」
「気持ち悪ィんだよ、あの感じ」
「気持ち悪いって……何それ?」
「おめぇらに例えると、なんつーかな……クスリ漬けになって、自分がなくなったヤツみてえな感じっつーか――。あいつから生きてる感じがしねえんだよ。その、ンな事は有り得ねえんだけど、中身が屍喰人になっちまった聖女兵器みてえな」
薬物漬けの神霊など、それこそ聞いた事がない。
ましてや聖女兵器が屍喰人化する事も有り得なかった。そんな事は百も承知で、ラグイルは言っているのだ。
「その証拠に、さっきからあいつに呼び掛けてんだけど、うんともすんとも言いやがらねえ。無視されてるんじゃなくって、まるで壁か人形にでも話しかけてるような感覚だぜ」
神霊は、超感覚念話のような形で意思疎通が図れる事を、ジャンヌは後から教わる事になる。
「あんたさ、前にあのアザウザって神霊を知ってるみたいな事言ってたじゃない。あんたの知ってるそのアザウザは、今目の前にいるのと全然違うって事?」
「全然どころじゃねえ。オレの知ってるアレは、神霊っつーより小聖霊て言ってもいいくらい、低級のヘボ野郎なんだ。本来は、こっちの世界に顕現出来る力すらねえ奴なんだぞ。そんなのがこっちで聖女兵器になってるってのが、そもそも怪訝しすぎるんだよ」
「それってつまり……どういう事?」
「だからオレが分かるわけねーだろ。いいか、オレが言いたいのは気をつけろって事だ」
普段は悪態と小馬鹿にする事しか言わないラグイルが、いつもと違う声で警告する。それだけに、ジャンヌの表情も変わった。
「どうにも怪訝しすぎる。オレが遅れを取るなんて事は万に一つもねえけど、警戒はしろ。何だったら〝本気〟を出したっていい」
「〝本気〟って、まさか――〝金枝篇〟を……?」
「その覚悟は持っておけって事だ」
アザウザとマーセラに対し、油断していたわけでも侮っていたわけでもなかった。
けれども己の相棒の一言で、ジャンヌは意識を改める。
以前に倒したアザウザとは別物だと考えるべきなのは勿論、邪霊退治と比べても比較にならない相手。聖女兵器同士の対決に等しい、いやそれ以上の戦いであるとラグイルは告げたのだ。
巨大な個体同士の世界を変えかねない戦い――即ち、巨人戦争であると。




