Chap.1 - EP5(3)『叛逆の剣 ―これ以上は愛ではなく罪―』
ラグイルを除き、二人っきりになったジャンヌとオヴィリオ。
廃墟になりかけと言っていいほど破壊された教会の中で、注ぎ込む雨音だけが響いていた。
これはどうあっても、真実を告白する流れになっている。
しかしどうすればいいのか、分からなかった。ジャンヌもオヴィリオも。
心の中の秘密を話す――?
そんなの賭けでしかない。いや、賭けと言うにはあまりに無茶すぎる。
自分にとんでもない秘密があるように、オヴィリオにもまだ秘密があるのだろうか――。
ふとそんな考えが頭をよぎり、ジャンヌはチラリとオヴィリオを見つめた。
そういう時に限って、二人の視線は同期する。互いの目が合い、即座に逸らす。
気まずい――。
「あ、あの――」
何か言うべきだと気が焦り、思わず無意味な言葉をジャンヌが口走ったのと同時だった。
「俺は――」
二人の声が重なった。
「あ、その、すまない。その……先に――」
「あ、ううん……。いいの。いえ、いいって言うか――殿下から、お先に……」
「そう……そうか――」
しばしの無言の時が、もう一度流れた。
やがて小さく息を吸い込む音が聞こえたかと思うと、オヴィリオがジャンヌを正面から見つめる。
「俺の過去やアクセルオの事、俺の家族の事――そういったのはもう知っている通りだ。それでもう、俺が秘密にしてるような事はない……と思う。秘密になるような、そんな重苦しい事は……。でも、俺の心の中は、そうじゃない……とも、思う」
「……」
「いや、周りくどいな……」
再び、吐息が漏れる。オヴィリオが、何かを打ち明けようとしている。それが何であれ、彼の告白が終わった時、ジャンヌは己の秘密を晒さねばならない。ここに至って、己の正体以外で口に出来る秘密など、思い浮かぶはずもなかった。かといって、下手な芝居や嘘では、愛を感じる――なんて事は無理だろう。
どうすればいいのか分からないまま、先にオヴィリオが再度口を開いた。
「俺にとって最も大切なものは、弟と妹なんだ。あの二人を守りたい。兄として、ずっと。それが俺の一番だった。でも……今は少し変わってきている。俺が守りたいもの……俺が大切にしたいもの……そこに、お前もいる」
「……」
「もしかしたら、弟や妹に対する大切とは、違うのかもしれない」
「違う……?」
「その……アクセルオやレイアを――抱きしめたいとは思わない」
アクセルオは言うまでもなく弟で、レイアとは国王一家の養女となった彼の妹である。
「でも――俺はお前を抱きしめたい」
オヴィリオは、照れているでもなく戸惑っているでもない。その目は真摯だった。
反対に、ジャンヌの方こそ頬に朱がさしていた。
「聖女に対してこんな思い……まるで父と同じで――」
「殿下――」
「俺は……俺は多分、お前が好きだ」
分かっていた。そうなっていると分かっていたが、改めて口にされると、恥ずかしさと何とも言えない感情が先に立ってしまう。だから余計に、ジャンヌは困惑するしかなかった。
もし自分の正体を知ったら――。
「こんな感情を抱くなど、俺は守護士失格だろう。いや、騎士としても許されざる感情だ。でも、だからこそ――俺はお前に対し、真実でありたいと思う」
オヴィリオの想いと言葉が、見えざる刃となってジャンヌの心に刺さる。
本心を晒し、愛を口にする彼に、自分は何もかもが偽りの存在。
「だが、これ以上の事も、俺は望まない。望んではいけないし、望むべきではない。お前は聖女で、俺は守護士なんだ」
「あたしは――その――」
どう返せばいいのか。何から話すべきなのか。全てが終わるのか、それとも――。
だが。
唐突に。
ジャンヌの口が、オヴィリオの唇で塞がれた。
心が乱れていたから、抵抗も何も出来ず、ただ、されるがまま。
あまりの突然さに、ジャンヌはただ目を丸く見開くばかり。
契約の時とは違う温もり。
まるで互いの感情が流れ込むような、そんな口付け。
少し間を置いて、オヴィリオが顔を離す。
「言わなくていい」
「え――」
「お前が何かを抱えているのは分かっている。それが復讐にまつわる事なのか、それとも別の何かなのかどうかは、俺には分からない。でも、お前が人を騙すような悪どい人間でない事だけは、分かっている。それだけは確かだ」
「そんな事――」
「この街の人を守るため、お前は惜しみなく力を使った。ダンメルクの聖騎士に自分の力を知られる危険性もあったのに、お前は何も躊躇わなかった。――言葉だけでは、その人の真実は見れない。その者の真実は、行動にこそ出ると俺は思っている」
違う。自分はこの世で最も悪い人間なんだ――そう叫びたかったが、出来なかった。
「だからお前は何も言わなくていい。お前が言いたくなったら、その時に言えばいい。お前ほどの人間が思い悩む事なんだ。いや、悩んでくれるだけで、俺には充分伝わっている。俺はお前にとって、悩む価値のある人間なんだと分かったんだから」
「でも」
「聖女と守護士は、そういう関係であるべきだ。一方的でなければ、聖女ではない。それに応える者こそが、守護士だ。俺はそう思っている。だから俺がお前を好きだと言った以上、俺はお前の騎士だ。お前に何があっても、俺は裏切らない。今のは、その証だと思ってほしい。そして、俺から出来る最大の愛だと――」
応えなければならない。何かを言わないと。
想いだけが、ジャンヌの胸中を強く締め上げる。これ以上はもう、愛ではなく、罪になってしまうような気がしたから。
「お前が何を抱えて何を迷っているのかは分からないし、分からなくていい。仮にだ――仮に――お前が俺を利用しようと考えていても、お前にだったら利用される意味があると俺は思っている。アクセルオやレイアのためなら俺がこの身を犠牲にしてもいいと思うように、お前にも――いや、お前になら尚の事だ」
そうだ。自分は利用している。王子を、この国を。親友を。
だから――。
「極端だが……例えばだ、もしもお前が聖女でなかったとしても、きっと俺は、お前のための騎士のなっていたと思う。もしも……そうだな、それこそ極端な例えだが、お前が女ではなく男であってもだ」
その言葉に、ジャンヌは両目をいっぱいに大きくした。
もしかして、全てバレているのでは――と。
「俺が好きだと言ったのは、聖女のジャンヌでも美しいジャンヌでもない。一人の人間として、ジャンヌ、俺はお前が好きだ。これが俺の抱える、秘密だ」
「殿下――」
「いいんだ、言わなくて。さっきも言った。お前の気持ちなら俺は分かっている。それくらい、俺にだって分かる」
ジャンヌの頬を、涙が一筋伝わった。
言葉だけど、言葉ではなくその全てで、ジャンヌはオヴィリオを感じ取った。
オヴィリオもまた、ジャンヌの流す涙から、想いを察する。
どちらともなく二人は、互いを求めるように抱きしめあった。
その瞬間だった。
眩い光が、教会の堂内を満たしたのだ。
それを見ていたラグイルが、呆れたように呟く。
「くっだらねえなぁ。マジでバカみたいだぜ。――けどま、バカみたいだからこそ、それがまた一段と面白えんだけどよ」
教会の外では、建物の中から突如として外まで溢れるほどの光が放たれた事に、ホランド達が驚いていた。
「な、何だ?!」
コーネリアも護衛の騎士も、そしてその場に合流したギルダも驚きを隠せない。
やがて光がより一層強くなった後、中から声が聞こえてくる。
――善業 悪業 余さず照らせ。此処に開花を〝戦〟言する。
「今のは――」
次の瞬間、地上と天空を貫く光の柱があらわれる。
あまりの眩さに目を閉じねばならないほどだったが、やがて発光が弱まっていくと、そこには天空高く舞い上がる、茜色の羽根があった。
距離があっても、羽根の巨大さは分かる。
何故ならついさっき、あの巨大な邪霊の眷属を倒した姿と、同じ巨人のものだったから。
目を凝らせば、巨人の手に包まれる形で、人影がいるのが確認出来た。
「聖女兵器……! では、上手くいったのか……!」
コーネリアの呟きを待たず、まさに燕のような速さで、茜色の巨人は遠く高く飛び去っていく。それが答えだろう。
しかし一同が感動に打ち震える中、ホランドだけは、雨空のように曇った顔をしていた。
――ジャンヌ……いや、アムロイ……。
神霊力を受け渡せた――それは愛を高めあったという事であり、心に抱える秘密を打ち明けたという事だろうと、ホランドは想像した。
そのように、ラグイルが言ったのだから。
――君はオヴィリオに言ったのか? 私だけしか知らない、君の秘密を。
それが最良の判断だと選択し、オヴィリオもそれを受け容れた。だからこそ聖女兵器を顕現出来たのだろう。しかしそれは同時に、ホランドに複雑な思いを抱かせる事にもなる。
――私以外の人間に、君は……。私ではなく……オヴィリオに……。
その感情の正体を、ホランドは自覚していない。出来るはずもない。
ただ雨に濡れる頬だけが、彼の心の内を曝け出しているようだった。
 




