Chap.1 - EP4(11)『霊蝕門 ―完全顕現―』
騎馬から跳び降りると同時に、数体の屍喰人が斬り伏せられる。
強い神霊力を帯びた剣。
ホランドとギルダを助けたその剣は――
聖堂聖騎士のコーネリア。
両手に双剣。
片方の刃は前に向けて翳し、重力を操る異能を放っていた。
そのまま翳した方の剣に力を込め、「潰れろ」と声に出す。
言葉と共に、耳障りな肉と骨が砕かれる音をたてて、屍喰人の群れは潰されていた。
「コーネリア様……!」
憎むべき敵の騎士でありつつも、これほどまでに頼もしい味方はいない。
あまりの事に、ジャンヌはその場に腰を下ろしそうになってしまう。だが当然ながら、今の状況を知り得ないコーネリアは、それを許さない。
「一体これは何だ。あの化け物は、何なんだ」
戸惑いを懸命に押し殺し、何とか冷静さを保とうとしている――そんな声。
「ジャンヌ!」
更にそこへ、もう二つの蹄の音。
少し遅れ、オヴィリオも駆け付けたのである。
「殿下!」
ジャンヌを見つけた瞬間、彼は馬を飛び降りて駆け寄る。そのまま抱きしめそうになるのを手前でぐっと堪えるも、ジャンヌの方が彼の胸に飛び込んでいた。
「来てくださったんですね。殿下……」
「あ、当たり前だ。遠くからでも見えていたんだ。――いや、それよりこれは」
優しい手つきでジャンヌを己の体から剥がすと、コーネリアと同じように聞く。
「……はい。その、霊蝕門を閉じようとしたら、あの化け物が出現したんです」
「どういう事だ?」
「それについては私から説明します。それよりジャンヌ、二人が来たからには、もう私達は大丈夫。だから君は、ラグイルを出すんだ」
コーネリアに助け起こされながら、どことなく不機嫌そうな顔のホランドが口を挟んだ。
そんな彼の感情には気付かず、確かにそうだと思ったジャンヌは、大きい頷きで返した。
「よろしいですか、殿下」
ジャンヌは振り返り、己と神霊力で結び付いた聖女守護士の顔を見る。
「――そういう事か」
「はい」
「出すんだな、聖女兵器を」
状況は何も理解していなくとも、ジャンヌが何を言わんとしているかは、瞳だけで察するオヴィリオ。
王子から少し距離を取り、ジャンヌはテルス教の祈りのサイン、円字を切ってそのまま手を組み合わせた。
途端、オヴィリオは己の胸に、痛みを伴った熱を感じた。襟元から自分の胸を見ると、そこに花の形をした光が浮かんでいた。
聖女の力に反応し、守護士の神霊力が聖女に導かれようとしていたのだ。
「開花令!」
ジャンヌが、組んだ両手を離し、片手を天に掲げる。
オヴィリオの光も、更に強くなった。それはジャンヌの動き呼応し、激しさを増す。
「善業 悪業 余さず照らせ! 此処に開花を〝戦〟言する!」
光の柱が、ジャンヌから空に向かって放たれた。
「〝ラグイル〟!」
光柱は曇天の雲を貫き、その瞬間だけ茜色の空を覗かせた。
眩さに何もかもが包まれ、光の中、木端の如き屍喰人や霊蟲はその眩さを受けただけで消滅するほど。
そして光が消えた時。
広場の南側に。
中央の噴水を挟んで怪物と対峙する巨人が、音もなく出現していた。
全身を覆う、マリーゴールドの形と色。
頭部に聳える一本角。
花びらの翼。
輝ける太陽の色をした、女性型の神聖なる巨人。
「これが……ジャンヌの……」
茜色の聖女兵器。
ラグイル。
仮契約ではない、初めての完全顕現。
初めて目にするオヴィリオは、あまりの美しさ、あまりの神々しさに、目を潤ませてそれ以上声も出ない。
それは二度目になるホランドも同じだった。ましてやギルダとコーネリアは、ただただ呆然となるばかり。
「巻き込まれると危ないから、みんなは退がって」
巨人から、ジャンヌの声。
そうだ、あの巨人はジャンヌなんだ――。
当たり前の事なのに、どこか現実味を持てない。けれどもやはり現実に、茜色の聖女兵器として、ジャンヌは立っている。
半ば操られるような心持ちで、全員がその言葉に従う。
ホランド、ギルダ、それぞれが馬の後ろに相乗りして距離を取った。
全員が離れていくのを確認して、ジャンヌは臨戦体勢を取り、巨級霊蟲と向き合う。
感覚として、己がラグイルの中にいるのははっきりと分かった。
具体的には水の中のような場所。けれども何故か息苦しくもなければ体も濡れていない。大きな球体の中で宙に浮いているような感じだった。
その場を、操縦球とでも言おうか。
球体の中では様々な光が明滅しており、光には神代文字が文字列を浮かべている。
仮契約の際には己とラグイルの意識が混在していたが、今は自身が球体にいる事を自覚していた。しかし同時に、己の意識を集中すれば、自分の右手はラグイルの右手となり、足はラグイルの足となる。何とも言えない不思議な感触が分かる。
成る程。
意のままに動けるが、客体として、そして操縦者としてもラグイルの視点とは別の視点になれるのか――。
それはある意味において、とても動きやすい感覚だと言えた。
「おい。完全顕現に感動してる場合じゃねえぞ」
球体の前面はガラス窓のように透けており、外の景色が分かる。
位置的にはラグイルの下腹ぐらいだろうか。いわゆる子宮の位置である。けれどこれも意識を向けると、己の目をラグイルの目に当たる高さと同期出来た。
視界と視点さえ、自由自在に切り替えられるようだった。
ラグイルの視界になったジャンヌが、己と同じ大きさの巨体が叫んでいる姿を確認する。
「さっさと片付けろ。けど、分かってるな」
ラグイルの声と共に、球体の中で光点の一つが明滅する。
「何が?」
「あんなばっちいの、オレの体に触らせるなよ、って事だ。出来れば糸で触るのもイヤだかんな」
「そんな。それじゃあ何も出来ないじゃないの」
「まあ糸ぐらいは――許す。でもオレの体には触れさせるなよ。汚いのはヤなんだよ」
「我が儘だなぁ」
「うっせえ。――おい、来るぞ」
うねうねとナメクジの下半身をよじらせ、けれどもそうとは思えない速度で、巨級霊蟲が襲いかかってきた。
頭蓋のような剥き出しの歯からは、汚濁した色の粘液を唾液のように撒き散らせ、まさに腐敗の権化とも言えそうな醜悪さ。
その粘液は強い酸性を帯びているのか。地上に落ちるとその箇所が煙をあげて溶けていくのが見えた。
「うえ、汚い」
ラグイルの操縦球の中、顔を引き攣らせるジャンヌ。
そこへ唸りをあげて、巨級霊蟲の巨腕が振りかぶってくる。
速度は燕並みに速い。つまり高速の巨大拳打。
けれどもラグイルは背中の翼で空を飛び、これを何なく躱す。敏捷さでは圧倒的に勝っているようだった。
「あれ、やっぱ当たるとヤバいよね。汚いとかそういうのは別にして」
「見りゃ分かんだろ。あのパンチだけはオレらでも喰らわねえ方がいい。つーか、あんなのにオレが当たると思うか? 有り得ねえだろ」
「そりゃそうだけど」
空から後方に回り込み、そこから糸を放とうとするラグイル。
けれどそれを察知したのか、巨級霊蟲は長く伸びたナメクジ状の下半身を蛇のようにしならせて、後ろ向きのまま巨人に攻撃を仕掛ける。
「うわっ」
少しばかり仰け反る恰好で、ラグイルはナメクジの尾を躱した。あと少しばかり距離が近ければ、掠っていたかもしれない。
「おい! 触るなっつったろ」
「触れてないじゃない! いちいち言わないで」
言い合いながら、ラグイルが空に浮かんだまま光の糸を展開した。
それは聖女兵器のアザウザと戦った時のように、一瞬でナメクジの怪物を縛り上げる。
ところが。
ぐるぐる巻きにされた瞬間、それを引き千切れないと悟ったのか、巨級霊蟲はその状態のままあの不快すぎる叫び声をあげたのだ。
今度は先ほどの比ではない。あまりの大音量に、近くの建造物は一瞬で崩れ、路面はひび割れを起こし、雲が震えるかのように見えるほど。
「ちょっ――また、何?!」
ラグイルの中にいるからジャンヌはこの咆哮から守られているだろうが、それでも条件反射的に、人間でいう耳のある顔の両横を手で抑えてしまう。
崩壊と腐敗が街を覆うその時。
巨級霊蟲を拘束していた糸までも崩れ始めたのだ。
「え?」
緩んだ糸をナメクジの怪物は強引にこじ開け、そのまま力尽くで弾き飛ばす。
「嘘でしょ」
聖女兵器のアザウザでさえ、力では解けなかったあの糸を、こんな風に千切るなど――。
操縦球の中でラグイルが言った。
「神霊も邪霊も一緒で、オレらはみんな〝声〟が力なんだ。唄は声に力を与え、それで世界を書き換える。分かるか? あいつの耳障りな声には、こっちも声で――唄で対抗しろ」
「聖女霊歌――だね」
「聞かせてやれ。最高の守護士によって完全顕現した、このオレの唄を」




