Chap.1 - EP4(8)『霊蝕門 ―聖女の力―』
一方でこちらは森の中のコーネリア。
スケーエンの街の北東部に広がる森の中。そこに古い神を祀った祠があるという。彼女が目指すのは、その祠にあるはずの埋められた屍喰人。
既にかなりの数の屍喰人や霊蟲を葬っている。かつては罪もないただの民草であった事は充分分かっているが、彼女にそれを躊躇う脆さはない。他国の人間だからというのもあるかもしれないが、最速最短、最も合理的な動きで剣を振るっていた。
――今の方が気が楽だな。
さっきまではジャンヌお付きの侍女であるギルダやホランド司祭もいたし、護衛の騎士達ですら正直コーネリアからすればお荷物というか邪魔ですらあった。むしろそれら全員を守らなければいけないと思っていたし、事実さっきはホランドの危機を彼女が救ったのだ。
しかし今は単身での行動である。
彼女に課せられている〝別の使命〟を考えると、離れてしまうのはよろしくない事なのだが、騎士である己的にはこちらの方が数倍負担が違うといったところである。
「……何だ?」
それはともかく、この森に入ってから、彼女は妙な違和感を覚えてならなかった。
屍喰人や霊蟲、それに途中で倒した大型の霊蟲とは全く違う、何かの気配。
明らかにそれは、人の目――。
コーネリアは何度も事あるごとに周囲の気配を探り、視線を走らせる。
一度は何かの影を見たかと思い、そちらへ駆けたがやはり誰も何もいない。
――気のせいなのか……?
しかしこの妙な視線は、一向に拭えなかった。
それが怪異によるものなのか、それとも何某かの罠のようなものなのか――。
どちらであれ、それを聞けそうな人間がいない今、それ以上の事を確かめる術が、彼女にはなかった。
やがて祠には辿り着くも、それでもずっと、気配は残ったままだった――。
※※※
「嘘でしょ。あれも霊蟲なの?」
「大型霊蟲という大型で非常に危険なものです。私も聖典でしか知りません。あんなの、見るのも初めてです」
「ひ、ひぃぃぃ」
顔を青ざめさせるジャンヌに、同じく寒気を覚えながら答えるホランド。
二人の後ろに隠れるように、今にも倒れそうになっているのがギルダで、護衛の騎士は彼らを守るように前後で挟んでいた。
街の道路の真ん中をぬめぬめと進む大型霊蟲から身を隠した五人が、路地裏に身を潜めてこれを眺めている。
馬には乗っておらず、全員徒歩である。乗っていた馬は、安全そうな場所に隠してあった。
歩きにした理由は、単純に噴水広場なら歩いてでもいけますとギルダが言ったのもあるが、街中で馬に乗ると蹄の音が響くのもあり、霊蟲や屍喰人が寄ってくるからという理由が大きかった。
それに、街こそ最もそれらの異形が溢れている場所なのだ。
ジャンヌ達に気付いてそれらが大挙して押し寄せてきたら、さすがに危険である。
それ故に彼ら五人は、己の足で直接噴水広場まで向かおうとしているのであるが――。
その途中で、オヴィリオやコーネリアが遭遇したのと同様、大型霊蟲と出くわしたのである。
だが幸いにも路地裏に隠れる事で、あの怪物には気付かれていないようだった。
「他の道だと遠回りになるのよね?」
「は、はい……」
「じゃあやっぱり、あの化物ナメクジを何とかしなきゃ、か……」
ギルダの返答に、ジャンヌがやれやれといった調子で呟いた。
「何とか、ってどうするんですか? 聖女の力なら退治は出来るでしょうけど、そんな事をすれば騒ぎを聞きつけて、他の霊蟲や屍喰人が寄ってきちゃいますよ」
ホランドが嗜めるように言うと、ジャンヌは大丈夫と返した。
「あたしとラグイルの力は蜘蛛だよ。虫退治ならお手のものだから」
「お手のものって……」
「そんなわけだからさ、協力してくんない?」
何を? と聞き返すのが怖くなるが、あの笑顔で半ば押し切られるように無理矢理承諾させられてしまうホランド。
――数分後。
街の道路の中央で、ホランドはたった一人ポツンと立たされていた。
「い、いやいやいやいや……! 何これ? 何この状況?! どう見たってこれ、私がエサ? 囮? ですよね?! ちょっと、ジャンヌ?!」
滑稽なほど体をプルプルと震わせて、涙目になりながら抗議の声をあげるホランドに、路地裏の影から親指をたてて「大丈夫!」とサインをするジャンヌ。
「だから何がどう大丈夫なんですかっ」
ホランドの悲鳴に、当然ながら大型霊蟲が反応する。
オヴィリオが見たのと同じく、凄まじい速度で迫ろうとしていた。
大型霊蟲は、人間からすれば全身が凶器のようなものだった。
体表が粘膜に覆われており、それに触れるだけで有機物は腐敗してしまう。更に腕のように長い前足には爪があり、これは単純な攻撃力としても石を砕くほどの威力を持っており、口には円筒状の中にびっちりと生えた牙がある。
つまりいくら神霊力があっても、あの巨大ナメクジに襲われたら、ひとたまりもないのだ。
ホランドが声にならない声を上げる。
逃げたい。でもどうしようもない。
その時――。
彼の傍らを、炎の色が駆け抜けていった。
まるで疾風。
いや、オレンジ色のそれは、火の玉と表現すべきだろうか。
炎弾は巨大ナメクジに迫ると同時に、それを跳躍して飛び越える。あまりの予期せぬ動きと速度に、ホランド達だけでなく怪物も反応が遅れてしまうほど。
そして空中の頂点に達した瞬間――つまり瞬きもないほんの一瞬――。
光を放つ網が空から広げられた。
いや、網ではなく糸。蜘蛛の巣状に広がる糸。
それは大型霊蟲を包み込むと、怪物の巨体をまるで罠にかけたように、その場で動けなくさせてしまう。
それどころかオレンジの影は着地と同時に回り込んで、糸に包まれたナメクジを更にぐるぐるに包みこみ、声すらも出せなくさせてしまった。
オレンジの影は、言うまでもなくジャンヌ。
呆気に取られ、ホランドは膝を震わせる事すら忘れたように声を失っていた。
「これなら物音を出さないで完璧に済んだ――でしょ?」
腰に手を当て、どうだと言わんばかりにジャンヌは薄い胸を反らせる。
「で、でしょって……いや……」
「完全に動きを封じたからね。それにあたしの糸は霊蟲にとっては猛毒のようなものだから、このまま放置しておけば溶けて消えるでしょ。わかんないけど。でもま、あたしの中でラグイルがそうだって言ってるし」
そこへ、騎士二人に守られながらギルダ達も駆け寄ってくる。
「す、すごい!」
「今の動き……! 何なんですか今の?! 騎士どころではないですよ。何と言うか、まるでハヤブサのようでした。聖女様は体術もお出来になるんですか?」
騎士達が興奮気味に賞賛するのも当然だろう。
聖女とは、確かに神秘の力を持った存在だが、運動能力が優れているなど聞いた事がないからだ。
「体術っぽいのはちょっとだけ教わった事があるけど。でも、今のはそうじゃないよ。今のはあたしの力。〝殻騎聖力〟の力なの」
聖女に力を与えられた守護士は、四つの異能の内のどれかを発現させる。
という事は、聖女自身は四つの力を全て持っているという事であり、ジャンヌのあの超人的な動きは、その中の一つによるものだった。
殻騎聖力は、生物由来の騎士的な力。
オヴィリオに発現した術士的な力とは別のもの。
ジャンヌの――即ちラグイルの殻騎聖力は、肉体を超常化させるというもの。
筋力、骨格、そういったものが人間を遥かに超えた、まさに超人的なのものへと変化させる力なのだ。
「ごめんね、ホランド。でも立ってもらったのはあのナメクジを油断させるためだよ。大事なのはこいつに声とかを出させない事だから、一瞬で縛り上げるために、囮役で立ってもらったの。だからね? ゴメンってば」
ペロリと舌を出すジャンヌに、ホランドは何も言えなくなってしまう。
実際、ジャンヌのお陰で上手くいったのだから余計にだった。
ともあれ、困難かと思われたこの怪物を音もなく退治出来たのは、思いがけない幸運である。
かといってここで感慨に耽っていて、また別の大型霊蟲にでも出くわしたらそれこそ意味がない。
五人は意識を切り替え、急いで、そしてなるべく周りに気付かれぬよう、目的の広場へ向かった。
広場にはまるで警護でもしているかのように、大型霊蟲が二体も徘徊していたが、これも同じような手順であっという間に片付けるジャンヌ。
成る程。この面々でいる理由は既に述べたが、この力を見れば全く理由が変わってくるかもしれない。
それぞれ分散して楔を潰すと決めた時、ジャンヌと自分が一緒にいない事をオヴィリオは不安がったが、本人が任せてと強く言ったのだ。しかしジャンヌの力を見れば、むしろそこらの騎士よりも遥かに戦闘能力があるのではないかと思えてくる。
ちなみに、身体強化の異能はジャンヌというよりラグイルだからこそであり、他の聖女にこのようなフィジカルの力があるわけではない。
あくまでこれは、ジャンヌのみの力であった。




