Chap.2 - EP3(2)『博士と聖女 ―惑う謁見―』
大陸様式のリブ・ヴォールトの天井は、それが空かと思うほどに高く、大振りの窓から差す光は、ステンドグラスによってプリズムに色付けされてタイル状の床に落ちている。
伝統と革新が調和した、なのに重々しくて息苦しい空間。
まさにこの王国を象徴するような玉座の間に、アムロイ達は跪いていた。
対等な形で膝を折っていないのはレイアだけで、お付きになるアムロイ達は属国の配下という扱いだった。が、それは当然の事。
しかしそれも最初の挨拶だけで、ジェラルド王は気さくな口ぶりでレイア以外の全員に楽にしていいからと告げた。
玉座に座る、若き剣聖王。
その一方の傍らに聖女クローディアがおり、もう片方にはモーリスが侍っていた。まるでこの二人こそが王国の右腕と左腕であるかのようにも見え、事実それは間違っていなかった。
そして更に左右にいるのが、この国の武力の象徴。三名の聖堂聖騎士である。
「却説、堅苦しい挨拶はこれくらいにして――と言いたいところだけど、君も国を空けたままにしておくのは心配だろうし、何より事態は切迫していると言っていいだろうからね。着いて早々に申し訳ないが、祭礼について説明をさせてもらうよ」
「いえ、お気遣いは無用です。レイアも少しでも早く、今の我が国の危急をどうにかしたいと願っておりますので」
「だね。それじゃあ説明は――」
ジェラルド王が最初に目を向けたのは、当然のように聖女のクローディアだった。
しかし、ここでアムロイは「おや?」となる。
王に目を向けられても、クローディアはどこか上の空のように見えたからだ。
心ここにあらずというか、別のものに心を奪われているというか。
しかもその視線の先にあるのは、明らかにアムロイであった。
「クローディア、どうした?」
王に名を呼ばれ、我に返ったような挙動を見せる王国聖女。
「あ、いえ……その、考え事をしておりまして」
「そうか。このところの疲れが祟ったのかもしれないね。モーリス博士、代わりを頼めるかい?」
「かしこまりましてございます」
小男は大仰な身振りで、球体を思わせる丸い体を折り曲げた。
「まず、この祭礼――〝神霊降誕祭〟についてだが、おおまかなところはそちらの司祭から説明は聞いていますかネ?」
突然話を向けられたからか、ホランドは驚きに声を詰まらせはするものの、すぐに首を上下に振った。
「よろしい。この儀式の起こす作用を簡単に説明すると、二人以上の聖女の力を合わせる事で強大な力場を形成し、場の内にある邪霊の力を一掃しようというのが大雑把なあらましになる。しかし聞き及んでいるとは思うが、この祭礼には非常に厄介な問題点があってだ。いや、あったというべきか。その最たるものが、聖女同士の力のバランスが崩れると、神霊力そのものが暴走し、浄化は一転して聖性を帯びた破壊の力に変じてしまうという点だ。教会がこの儀式を禁忌としたのも、力の制御が難しいだけでなく、それによって過去に何人もの聖女が死んでいるからだネ」
モーリスは咳払いをして、一旦言葉を区切った。
一方でアムロイは、稀代の学者だというこの小男の発言の気持ち悪さに気付き、不審感を抱かざるを得ない。
聖女に対し、命を奪われた――そうでなくとも亡くなられた、とでも言うべきなのに、まるで文献の記録を読むか、または自分とは無関係な家畜的な何かに対するような口調で、モーリスは〝死んだ〟と言ったからだ。
テルス教の神聖存在、この世界の尊崇を集める聖女に対して。
不敬というにはあまりに感情がなさすぎて、逆に誰もがそれと気付けなくなるほど、自然にそんな表現を口にする。それは言葉の粗を探すように思えるかもしれないが、それでも気付いた以上、アムロイの覚えた不快感は拭えないものとしてべったりと残ってしまう。
「しかしこの問題点を、ワタシは解決した」
「解決――どうやって?」
思わず問いかけたのは、ホランドだった。
教会の司祭として、彼もまた神霊と共にある信徒として、問わずにはいられなかったのだろう。
「問題なのは、複数の聖女同士の力のバランスが崩れる事だと言ったネ。ではそもそもバランスがとれているとは如何なる状態か。神霊力の大小なのか。いや、そうではない。力が拮抗していなくとも、祭礼が成功したという記録は実際にある。つまり聖女同士の力の容積が問題ではないという事だ。では何か。それはネ、相性だヨ」
「相性?」
「そう、夜空に月、春に駒鳥とでも言おうか。聖女にも力の〝質〟の合う合わないというのがある。しかもこの相性というのは厄介で、単純な合う合わないだけでも不充分なのだヨ。詳しい説明は長くなるから省くが、儀式を完全に成功させるには、微細な調整と制御が必要になると、ワタシは研究で突き止めた。これはどういう事かと言えば、元々の儀式のやり方というのは、原理原則をまるで理解もせず、半ば運任せの博打のような杜撰さだったという事さ。ようは失敗しても当然という事だネ」
いかにも研究者らしく、語り出したら止まらないというのは間違いなかったが、ただこういう類いの人間にありがちな、己の言葉に酔うというか、得意気な話ぶりでないのは少々意外だったかもしれない。むしろ己の記した論文を読み上げるように、モーリスは淡々と説明を続ける。
「ワタシの研究の一つはね、この相性というものを収拾出来る限りのサンプルから割り出し、それを系統立てて分類するというもの。加えて力の調整と制御を確実にするため、〝外部装置〟を設計し、これを作りあげたのさ」
「装置?」
「キミ達も見ただろう? この城の中庭に設置された祭壇だヨ。あれを使ってクローディア様とレイア様お二人の力を制御するのさ。ああ、その際にはキミにも手を貸してもらうからネ」
唐突に指名されて、ホランドは戸惑いを隠せない。
だがそれよりも疑問が先に立ったのだろう。
「つまり貴方の言葉を借りるなら、クローディア様とレイア様の相性は……」
「勿論、極めて良い。ああ、これについてはキミの聖女調査の際に、レイア様からもサンプルを摂っているからネ。確実だヨ」
聞いているだけのアムロイも博士の言っている意味はうっすらと分かる。が、どうにも実感が持てない。おそらく儀式の手法や方法だけを聞かされたにすぎないからだろう。
「よろしいですか」
なので、浮かび上がった疑問を問い質した。
「女王の守護士君、何だネ」
「安全だという説明は分かりました。しかし我々にはそれが間違いなく安全だと確かめる術はありません。――本当に貴方の言う通り、レイア様は大丈夫なんですか?」
「ワタシの説明と研究を、信じないと?」
「ご気分を害されたのなら謝ります。けれども確かな証もないまま、世に危険と言われている儀式へ、大切な女王を向かわせるわけにはいきません」
顔まで丸い上に、二つの眼までぎょろぎょろと丸くて大きいモーリスなのだが、それを半目にして冷たい視線をアムロイに落とす。
しかし対するアムロイも、臆する事なく視線を外さなかった。むしろ睨み返すと言った方が正しいかもれない。
「いやいや、失礼とは思ってないさ。むしろその考えは素晴らしいと言える。学問、研究というのはその成果を盲目的に信じるのではなく、常に理性的な反証を行い、再現性を確立しなくてはいけない。神を研究するならその神さえ疑え――それが学究の徒としての正しい在り方だ。キミの疑問はとても科学的で良い指摘だヨ。後ほど――ではあるが、今ワタシが言った力の相性による調和というものを、神霊力の高い騎士級の人間二人を使い、その目で実際に見てもらおう。つまりスケールダウンした仮の見本というものさ。それを目にすれば、キミ達にも納得してもらえるんじゃないかネ」
言い負かしたという感ではなく、教師が生徒を諭すような口ぶりのモーリス。
「博士の弁も尤もだが、何よりも考えなくてはならないのは、ゼーランにおける邪霊の大量発生ではないかな? 確かにレイア殿の身を案じるその想いは同じ守護士である私にも分かる。だからと言って、貴国の現状をそのままにしておくわけにはいくまい。今、博士が説明したのは、何も陰謀めいた話でもなければ、戦争や争い事に類するものでもない。我々がここで語っているのは、両国の平和のための会談以外の何物でもないのだからね」
「はい……仰る通りにございます」
博士の後を継いだジェラルド王の発言は、道理そのものだった。それはアムロイとて分かっている。王の言葉の正しさは。
にも関わらずアムロイが警戒を持っているのは、無論の事レイアの身を案じてだけではない。自身の目的――それは姉の仇、目の前のクローディアへの復讐があるからだった。
アムロイにとっての神霊降誕祭は、儀式というだけでなく仇であるクローディアへ近付ける、またとない機会でもあるのだ。
この機を利用して復讐が果たせれば――そう考えると、儀式の詳細まで把握する必要があるし、そもそも慎重にならざるをえないというわけだった。
とはいえそれはそれとして、レイアやジェラルドらからすれば、アムロイの言動は己の主君であり契約者であるレイアの身を案じてのものにしか見えていなかったであろう。
「どうやら納得してもらえたようだ。クローディア、君からも何かあるかい?」
微笑む王は、傍らのクローディアに捕捉で付け加える事はないかと尋ねた。
ところが――。
先ほどと同じように、クローディアは心ここに在らずといった雰囲気で、王の言葉にも無言のままだった。
「……クローディア?」
疲れなどが原因というのではない。別の何か――アムロイの方を凝っと見て、そこに気を取られているようにしか見えなかった。
「アムロイ殿に何かあるのか?」
ジェラルド王の問いに、クローディアははっとなる。
「いえ、その……」
先ほどと同じく、どこか返答のキレも悪い。
「アムロイ・シュミット……確か君は、我が国にかつてあった、シュミット家の子息だったね」
「え、あ、はい」
「クローディアはアムロイ殿と知り合いなのか」
わずかに目を伏せ、彼女は頷く。
「私はかつて、アムロイ殿の姉君を手にかけたのです。陛下もご存知でしょう。私が聖女として知られる事になった、あの事件」
「事件……ああ――」
「アムロイ様は行方知れずか巻き込まれて命を落とされたのだと思っておりましたので、その……良かったと安堵した反面、申し訳ないとも思いまして……」
「そうか……そういう事か。それで気分が優れてないような顔をしていたのだな」
「……はい」
クローディアの言葉は、アムロイの心の最も深いところを抉るようなものだった。
その瞬間、思わず怒りが制御出来なくなって、飛びかかろうとなりかけるほどに。
が、それを思いとどまれたのは、同時に感知した、奇妙な感覚のせいである。
――これは……?!
文字通り、逆上しかけた怒りに冷や水をかけるようなもので、何とも忸怩たる思いを澱のように心に淀ませる事になってしまう。
けれどもアムロイが感情任せに暴走せず、冷静になれたのも事実であった。
――今の感覚……いや、この〝感じ〟は……まさか?
しかしアムロイの思考は、王の言葉で中断させられる。
「アムロイ君、答えにくいかもしれないが、クローディアとの事、どう思っているのかね?」
――どう? そいつにどう? だと? 殺してやりたい。罪を償わせてやりたい。それ以外に何があるのか。
しかしそんな本音はおくびにも出すわけにはいかない。
「正直、僕にも感情はあります。けれども今更それを言っても何もなりません。大事なのは今とこれからです。過去は学ぶべきものでも、やはり過去は過去、ですから」
表情は氷の仮面で覆った。
声の震えは長年の演技で抑えられる。
そうだ、自分は性別すらも偽り、女となって振る舞ってきたのだ。
己を騙すくらい、わけはない――と、己に言い聞かせ、アムロイは完全な〝未来に目を向ける若者〟を演じきった。
その言葉に安堵したホランドなどは、冷や汗で全身がぐっしょりとなるほど。
「そうか。実に立派な心がけだ。――だそうだよ、クローディア」
「今更ですけど、本当にご免なさい。……それに……ありがとう」
「……いえ」
謝罪を聞いた瞬間、再びアムロイの怒りが爆発しそうになった。
けれど今度もかろうじて踏みとどめられたのは、一度目に激情を抑えられたからである。
同時に、冷静になれた事で、さっきの妙な感覚とは別の、もう一つの違和感にもアムロイは気付く。
――このクローディアは、本当にあのクローディアなのか?
半年前にゼーラン城で会った時のクローディアと今の彼女が同じ人物だとは思えない。まるで別人のようだと感じたのだ。
半年前のクローディアは、威厳に満ちて堂々していた。その気品も、確かに聖女のものだった。
しかし今の彼女に、そんな風格はない。いくら過去に苛まれているのだとしても、あの時に見たクローディアであったなら、冷厳とさえ言えそうな毅然とした口調は崩さないはず。
ところが今の彼女は、かつての罪を悔やみ続け、自責と呵責で打ちひしがれる弱々しささえ感じさせているのだ。
以前のクローディアが野薔薇の猛々しさだとすれば、今のクローディアは桔梗の如きたおやかさである。
そんな風になってしまうほど、シュミット家に為した事を悔恨に思っているのか。アムロイを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいなのか。
クローディアとはそんな人間なのか。
いや、そんなはずはない。
そんな女が、ゼーラン王国に乗り込み、国を半ば滅亡させるまで追い込んだりはしない。しないはずだ、とアムロイは思う。
彼女の発した謝罪の言葉に最初は怒りで我を忘れそうになったが、今はそのちぐはぐさに違和感だけが強烈に印象として残ってしまう。
とはいえ、アムロイも疑念を強くしたものの、それ以上の事までは分からなかった。
この後も話は続き、より具体的な儀式の詳細について、説明がなされていった。
モーリス博士によると、レイアとクローディア、二人の体調的なもの次第ではあるが、順調にいけば数日から一週間ほどの前準備を行った後、儀式は行えるはずだという。
それらの説明を終え、やっとの事でアムロイ達は解放された。
そうして最後に、クローディアに対しての違和感も気になるが、それよりもアムロイは、今日の謁見で感じたあの気配の事を思い出していた。
結局、あの〝感覚〟を感知したのは一度だけ。あの一瞬だけを除けば、今はもう何も感じはしない。しかし間違いなく、気配を感じたのだ。
――ここにいる。
確証はない。ただ、そう感じただけ。
けれどもアムロイと〝彼〟にはそういう繋がりがあるのだ。
誰にも切れない、結び付きが。
だからそれは勘違いなどでは決してなかった。
――ここに、アクセルオ王子がいる。




