Chap.2 - EP3(1)『博士と聖女 ―ダンメルク王国―』
ダンメルク王国は、半島国家であるゼーラン王国に蓋をするような形で大陸側に広がる大国である。
地政学的に言えば四方を他国と接しているため、決して安堵出来るような位置関係にはないのだが、代々非常に力の強い聖女を排出している影響で、その国土は常に堅守され続けてきた。それどころか、今代の聖女クローディアになってからは、外敵の侵略を許さないばかりか、領土を大きく拡大するほどである。
そのため、緯度の高い北国でありながらも国土は豊か。国力で言えば近隣で随一なのは間違いなく、文化的にも隆盛を誇る強国であった。
また、神霊研究に力を入れているのは勿論の事、その他、大学や騎士学校、兵学校などの学術機関も近隣諸国に広く名前が行き渡るほどの繁栄を誇っている。
だがそんなダンメルク王国も、半年前に起きた隣国であり同盟国であるゼーラン王国での変事以来、穏やかならざる災いに脅かされつつあったのだ。
いわゆる頻発する邪霊災害である。
ゼーラン王国ほどではないにしろ、南の国境付近では神霊力を持った騎士らが常駐配備されるまでに緊張感が高まっている。またどうやってそれらの警戒網を飛び越えているのかは不明だが、ダンメルク王国の領内にまで、屍喰人や霊蟲の出現が実際に何度か報告されている。
こうあっては、さすがに隣国の変事だからと知らぬ存ぜぬで通せない。
そもそもゼーランの変事に、この国の国王ジェラルドも聖女クローディアも直接介入しているのだ。つまり当事者でもあった。
ならばこれをどうにかして、完全に鎮圧すべし――。
アムロイ達がゼーラン女王レイアを連れてダンメルクに入国したのは、そのためである。
だが使命がどれだけ崇高であっても、当事者の心情までも省みられる事はない。
ダンメルク領内に入ったばかりの頃はまだそうでもなかったが、水路と陸路を乗り継ぎ、王都へと近付くにつれて、レイアの顔が段々と曇りを濃くしていった。
無理もないだろう。
ほんの少し前まで事実上の人質としてこの国でずっと過ごし、それからやっと解放されたと思ったら、今度は故国が壊滅した挙句、名目はどうであれ再びこちらの国に召喚される事となったのだから。
関係と事実だけを見れば、むしろ恩義を感じてもいいはずだろうが、そんな風に彼女が思えるはずもないのは明らかだ。
だからこそと言うべきか、例え人質時代を連想したとしても、それを暗い日々だと思い返さないように、アムロイはあえて幼い日々に遊んだ思い出話を持ち出した。
レイアと初めて会った日から数年間――。
アムロイだけでなく他の学友とも机を並べて学んだ毎日。
その中で、特にアムロイがレイアを気にかけてくれた事。
まるで忌まわしい記憶を祝福の追想に塗り替えるかのように、時に微笑み、時に懐かしさに浸りながら、二人は昔を語った。
「やっぱりあなたがレイアの守護士になってくれて、本当に良かった」
「それは僕も同じです、陛下」
二人の会話――というよりアムロイの語りかける言葉は、つい先日あったロスキレの街での戦い、ジャンヌと偽って聖女兵器でレイアと戦った事、まるでそれに対する謝罪のようでもあった。当然、レイアがそういう風に受け取ったのではなく、二人を見ていたホランドと付き人で同行したギルダがそのように感じただけであったが。
「でも、あなたのお姉様が起こしたあの〝事件〟の後、あなたは行方知れずになってしまった。巻き込まれて、あなたの一族は全員いなくなったと聞かされた……だから一度は、レイアも諦めていたのよ」
レイアの言葉に、アムロイの表情が強張る。
隠そうとしても隠せない感情。
側にいたホランドもそれを敏感に感じ取った。
アムロイの姉の事件。
ダンメルク王国の聖女候補となった姉ヘレーネ。
しかし聖女ではなく魔女堕ちした偽物であり、その彼女を〝真の〟聖女であるクローディアが消し去ったと言われている出来事。
だがそれは真実ではなく、クローディアが姉から聖女の力を奪い、姉をその手にかけた――アムロイはその現場を見ている。
つまりレイアの言った〝事件〟こそ、アムロイの復讐の発端であり、全てのはじまりなのだ。
ホランドも我知らず表情が固くなったくらいだから、アムロイが感情を抑え込もうとしても出てしまうのは当然だったろう。しかしレイアはそれを、別の意味に受け取ったようだった。
「ご免なさい。あなたに過去を思い出させるつもりはないの。でも、あなたが生きていてくれて嬉しいのは本当よ。神霊にかけて、真実だと誓うわ」
テルス教の祈りのポーズ、円字を切って両手を組むレイア。
「……分かっています。僕の身に起きた事それそのものは事実ですから」
よく聞けば含みを持った言葉なのは露骨だったが、レイアには、アムロイが過去の嫌な記憶を克服するために口にしたのだと思えたのだろう。優しく微笑むアムロイに、レイアも裏表のない柔らかな笑みで返した。
ところで、この二人が子供時代に学友であった時、ホランドもまたアムロイの幼馴染であったが、彼とレイアに子供時代での接点はない。
これは当然で、当時、アムロイのシュミット家はダンメルクの王室仕えの貴族だったからである。
そのシュミットの家に、レイアと同年代の子供がいるという事でアムロイが学友の一人として選ばれ、自家から王城に通う日々を送っていたのだ。
アムロイとホランドとの関係は、それとは全く別の、単純な隣近所の幼馴染としてであった。
やがてアムロイ達一行は、ダンメルクの王都オールフスへと到着し、その道行きを楽しむ暇もなく、王城のオーデンセ城へと招かれていった。
付き人のギルダは別として、それぞれ別の意味を持っての久々の入城である。
特にアムロイにとっては、レイアの学友としての子供時代ぶりに、足を踏み入れるわけだ。
城門を潜り、城の中庭を通り過ぎていく一行の馬車。
途中、子供時代にはなかった巨大な壇上のような建築物が目を引いたが、年月を経れば城の中とて変わるだろうと、この時のアムロイはあまり気にしなかった。
「待ってたぜ、アムロイ」
出迎えには、ゼーランで派遣戦力として共闘したリカードと、彼の兄、オズワルドのホーク兄弟がいた。
アムロイがオズワルドと会うのは、亡きオヴィリオ王子と彼らとの模擬決闘以来となる。
白子症なのもあって、リカードと違い相変わらず病的に顔色が蒼白く、佇まいも気怠げだ。
けれどもこの兄が弟のリカード以上の凄腕の剣士である事は、アムロイも周知している。つまりこの男もまた、アムロイの復讐にとっては障害となりうる一人であった。
「初めまして、ゼーラン王国レイア女王の聖女守護士アムロイ・シュミットと申します」
会った事があるとはいえ、それは聖女ジャンヌとしてであり、アムロイとしてオズワルドに会うのは初めてになる。
しかし己の主人以外であればどんな相手にも不遜な態度を崩さない性格だからか、オズワルドはアムロイの名乗りに対し、何も返さない。だが、その不貞不貞しい態度に不愉快さを感じる前に、別の者が彼に代わってこれに応えた。
いや、その人物がいたからこそ、オズワルドは控えていたのかもしれない。
「いやいやいやいや、これはどうも初めましてだネェ。ナルホド。キミがゼーランの新しい守護士というわけかい。ほうほう」
アムロイが気付かなかったのは、男がホーク兄弟の長身に隠れる恰好になっていたからである。長身――と言っても、アムロイからすればそうなだけであり、つまり男がかなりの低身長という事に他ならない。
一言で言えば小男。
身長としては低い方になるアムロイよりも、更に拳一つ分低くなるような背丈だった。
けれども小太りというか丸いと言うべき輪郭のせいか、視界に入れば妙に目につく存在感がある。いや、目立っているのは服装の華美さというか珍妙さから感じるところの方が大きいかも知れない。
どこの習俗がルーツか分からない形状の衣服。しかもズボンは原色の水玉模様が大きく染め抜かれており、さながら宮廷仕えの道化師のような出立ち。
それらが悪目立ちしている原因の一つなのは、確かだろう。
だが彼の返した挨拶からも分かる通り、言動、振る舞い、男の全てが、強烈な個性を臭気のように放っていた。
「貴方様は……?」
「キミとは初めましてだネ。ワタシはモーリス・ヴォルデマル。この国で神霊研究を行っている学者だヨ」
「貴方が、モーリス博士……」
ダンメルク王国の神霊特別祭官。
この国が神霊研究に力を入れているのは既に述べた通りだが、その研究分野の頂点にいるのが、モーリス。
この小男なのだという。
年齢は四〇代後半か五〇代前半といったところか。
特徴的な整え方をしたグレイの髪も、珍奇な衣装と妙な意味でマッチングしている。
モーリスを目にした途端、レイアはあからさまな嫌悪を顔に浮かべ、ホランドですら表情を硬直させた。否定的になっていないのは初見のアムロイと、同じようなギルダばかりか。
「よくぞレイア女王陛下のお眼鏡に叶ってくれたものだ。いやいや、これでワタシの――いや、この国の祭礼を行えるというもの。詳細はどこまで聞いているかネ? 力を完全にした二人の聖女による邪霊殲滅の大儀式だヨ。その最後の必要材料が守護士のキミだったというわけだ。いいかい、最早時間はないんだ。聞いているよ。ゼーランにあの巨級霊蟲がまた出たって話は。それらをどうにかするためにも、互いの協力は是が非でも必要になる」
こちらが何かを言う前に、モーリスは延々と語りはじめた。
その独り語りは濁流のように切れが目なく、さすがに見かねたのか、オズワルドが「閣下、まずはレイア陛下を王に案内しなければ」と強引に割って入るほど。
それを聞き、まるで仕掛け人形を思わせる大仰さで、モーリスは目を丸くする。と、ほんの少しだけ眉を顰めた。
「仕方ないねェ。まあ、確認事項は後でいくらでも潰せるからネ。それじゃあ国王の元へ行こうか」
「博士もご同行なさるので?」
「当たり前じゃないか。ワタシはこの祭礼の責任者だよ。ワタシが行かないでどうする」
「いえ、こうした形式的なものに同席されるのは珍しいと思いまして」
「ワタシだって儀礼の何たるかは心得ているに決まってるじゃないか。まったく、キミは相変わらずだねェ。弟と違ってワタシの〝薬〟にも協力してくれなかったし、そんなのはキミくらいだヨ」
オズワルドとモーリスの会話に、アムロイ達は半ば置いてけぼりの状態にはなっていたが、それでもこの長広舌から解放されたであろう事は間違いなかったし、有り難かった。
こうして、いよいよあの忌まわしき因縁の宿敵、ダンメルク国王ジェラルドと〝蒼穹の聖女〟クローディアとの対面へと、一行は赴くのであった。




