Chap.2 - EP2(11)『蜘蛛殺し ―ロスキレの人々―』
女王の周りを埋め尽くす人々を掻き分け、息を切らしながらホランドがレイアの元へと駆け寄っていった。彼の左右に騎士が一人ずつ、供回りのように並走している。この三人以外の騎士らも、直にここへ駆けつけて来るだろう。
少し前。
レイアが聖女兵器ヤルダヴァートを解除した後、その場でしばし呆然としていると、街のあちこちからまだ逃げきれなかった――そして戦いに巻き込まれずに無事だったロスキレの街の人々がわらわらと彼女に寄ってきたのである。
皆、疲弊した姿なのは当然だったが、中にはあられもないほど衣服がぼろぼろになり、半裸も同然の者もいた。
心身がやつれるのは分かるが、何故衣服までもがボロボロになっているのか――とレイアは不審がるも、すぐにその答えに気付く。おそらくそれは、あのラグイルの放った聖女霊歌によって、屍喰人から元の人間に戻された人々なのだろう。
身体中が寄生虫のようなものに蝕まれた事で、身なりも破れ、衣類も腐り落ちてしまっていたのだ。それが、ラグイルの浄化で体だけが元に戻ったというわけである。
群衆はどんどん数を増していきレイアを取り囲むと、やがて口々に、
「有り難うございます」
と、彼女を拝みはじめたのだった。
「え……何……」
これほどの人数に取り囲まれた事もなければ、それだけの数の人間に礼を述べられた経験も、レイアにはなかった。
「女王陛下……! 聖女様……! 貴女様のお力で、我々は救われました。貴女があの化け物どもを、邪霊を追い払ってくれたのです。本当に、本当に有り難うございます……!」
誰もが感謝を口にし、彼女を拝む。
その様子に、嬉しさや安堵といった感情をレイアが抱く事はなく、驚きと戸惑い、そして色濃い否定の思いだけがあった。
「そんな、レイアは――」
さっきの戦いで彼女の中にあったのは、復讐に心を囚われた自分だけだった。
街を守る、人々を助ける。
そんな王たる者が持つべき当然の目的すら、いつの間にか忘れていた。さっきまでの彼女にあったのは、目の間にいたジャンヌへの殺意だけ。その色だけが彼女の視界を染め、他は何も見えなくなっていたのだ。
だから――
街の人の垣根の向こう、ロスキレの惨状へと視線を向け、レイアは悼ましげに首を左右に振る。
多くの建物が倒壊し、路面は荒れ野よりも激しくめくれあがり、未だに土埃が舞っている。
これらは全て、巨級霊蟲との戦い、そして聖女兵器ラグイルとの戦いによる二次被害の結果である。
状況を見れば、人間同士の戦争の何倍も酷い。この復旧にどれだけの歳月と人の労苦が割かれるか。
何より、巨体同士の戦いに巻き込まれて命を落とした人間の数も相当いるだろう。
巨級霊蟲との戦闘についてはぎりぎり仕方ないと言えなくもないが、少なくともラグイルとの戦闘は、街の人々には不必要なものだったはずだ。その無関係で個人的な復讐に、レイアは人々を巻き込んだ。余波で街を破壊した。
自分が行ったのは、私怨に人々を巻き込んだだけ。
何より、苦しんだ人々を最終的に助けたのは、レイアとヤルダヴァートではなく、ジャンヌとラグイルだったのだ。
偽物と断じるあの聖女の唄によって、街に出現していた霊蟲は悉く滅却され、屍喰人となって助からないはずだった人々も元の姿に戻る事が出来たのだから。
そんな彼女の内心を見透かすように、人々の中からも小さな声があがる。
「でもよ、あのオレンジ色の巨人の唄が、オレらを救ってくれたのもあるよな」
それを耳にした時、レイアの胸はじくりとした痛みを感じた。
――街を助けたのはあいつ。これじゃあどっちが聖女なの……!
だがその街の声も、大多数のレイアへの感謝の声で掻き消されてしまう。
それが益々、レイアの心を苦しめる結果となっていった。
ホランドが彼女の元に来たのは、そんな時。
「陛下、ご無事で良かったです」
「司祭……」
「皆も喜んでおりますね。本当に良かった。あ、それと霊蝕門はリカード様が発見され、破壊されたそうです。なので邪霊による災いは、これで全て断ち切られました」
ホランドの言葉を耳にして、尚一層、人々は歓喜に震える。
「レイアは……レイアは……」
「陛下?」
「違うの。レイアはこんな感謝されるべきじゃないの……。だって……」
小さく消え入りそうな声だったので、それは人々の歓声に紛れてしまう。だがホランドだけは、聞き取れていた。聞き取って、その意味が分かる気がした。
彼もラグイルの出現に驚き、肝が冷えるようなハラハラとした感情を持っていたからだ。
アムロイの――ジャンヌの――正体が露見してしまうという、最悪の事態だけは回避出来たとはいえ、まだ気持ちは落ち着かない。
あの四つ腕の巨級霊蟲が二体も出たからアムロイはラグイルを出したのだろうが、それでも他にやりようはなかったのか。自分があの時アムロイの側にいたら、もっと違う方法があったのではないか。
そんな風に、ホランドもまた忸怩たる思いを抱えていたからだった。
「陛下。それでも陛下は立派に聖女としての務めを果たされました。それは確かな事。ですからどうか、そんなお顔をなさらないでください。聖女が不安になれば、民もまた不安になります。陛下は聖女であり、女王でもあるのですから」
ホランドの慰めに、レイアははっとなる。
そして思い出す。
「兄上……そうよ、兄上がいたの」
「え?」
「兄上を見たの、さっき!」
※※※
ラグイルが、アクセルオを避難させたであろう場所に駆けつけるレイア達。
戦闘の最中で空から見た風景と地形を思い出し、どうにか当たりをつけてその場所へ行くと、そこにいたのはアムロイだった。
「アムロイ! 無事だったのね!」
レイアの声を耳にしたアムロイが顔を上げると、泣き笑いで胸に飛び込んでくる彼女の姿があった。
「良かった……!」
実際は聖女守護士としての繋がりがあるため、アムロイが生きている事は感知していたであろうが、それでも自分の目で確かめるのとはまた違うらしい。
レイアは涙を浮かべてアムロイに抱きついたまま離さない。
「陛下こそ……ご無事で良かったです。それにあの聖女兵器。実に優美で強く、陛下そのものといった戦いでございました」
アムロイの言葉に、ホランドは複雑な目を向ける。
それが分かっていて、アムロイはホランドに目配せをした。後で説明するから――と。
その意図が伝わったのだろう。ホランドも呆れた顔で溜め息を吐くにとどめていた。
「それより、アムロイはここで何を?」
「あ、その……」
一瞬、どのように言うべきか悩んだが、アムロイはアクセルオ王子と出会った経緯をそのまま話した。無論、ラグイルを呼び出して助けたようなくだりは話さず、ただ、巨級霊蟲の出現で自分もアクセルオも吹き飛び、行方が分からなくなっただけだと説明する。
「確かあのオレンジ色の巨人が、ここに何かをしたなと思い出し、こちらへ来たのです」
「そう……」
しかしアクセルオと遭遇したという話は、ホランドに予想外の驚きを齎した。
無論、ラグイルを呼び出せた事や、アクセルオが生きているというのはアムロイから聞いていたので、死んだとも思っていなかったが、よりによってこんな場所で生存を確認する事になるとは、思ってもいなかったのだろう。
いずれにせよ、アクセルオ王子の生存は周知される事になるだろうが、今の所その本人に直接会えているのは、アムロイだけである。
「兄上は何か仰ってなかった?」
アムロイは首を横に振る。
「自分はお尋ね者で、この国から出ていくか、さもなくば日陰でこそこそと生きるしか今は術がないとだけ……」
「そんな……」
「けれども、殿下の無事は知れたのです。陛下のご家族は、まだいるという事。例のダンメルクで行う神霊降誕祭が済んだら、本格的にアクセルオ殿下を捜索しましょう。そして、殿下に帰ってきていただきましょう」
「そう……そうね……そうよね……」
アムロイの励ましに、涙を浮かべながらレイアはかろうじて自身を説き伏せるように何度も頷いた。
そこへ、通りの向こうから彼女らを呼ぶ声が響く。
リカード達である。
――こうして、予期せぬ事の連続であったロスキレの街の霊蝕門災害は、無事に鎮圧されたのであった。
それぞれの胸に、大きなわだかまりを残す事にはなったが、それでも一つの事件は終わったのだ。
だがそれが、この復讐の物語の最終幕――そのはじまりになるとは、誰しも予想していなかっただろう。




