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鏡のなかの影

作者: koumoto

 鏡に右手を映してみる。やっぱりだ。ぼくの右手の小指にはなにもないのに、鏡のなかのぼくの左手の小指には、爪にささくれがある。つまり、こいつは偽者だ。ぼくじゃない。

「おまえ、だれだよ。ぼくじゃないだろ」

 ぼくは鏡のなかのぼくを問い詰めた。鏡のなかのぼくは、ぼくの振りをするのをやめて、にやりと笑った。

「気づかない方が、よかったのにね」

「だれだよ、おまえ。だれだよ」

「きみの影だよ」

 そう言って、鏡のなかのぼくの偽者は、左手の小指の爪のささくれを、右手の人差し指と親指でつまんで、引っ張った。すると、ささくれの部分から皮膚がぺりぺりと剥がれていき、鏡のなかのぼくの偽者の全身が、ぺろん、とめくれて、黒い影になった。顔も爪も指紋もすべて黒で塗りつぶされた、夜のように黒い影だ。

 鏡のなかの影は、さっきまで着ぐるみのようにまとっていた皮膚を、傍らにぽいと投げ捨てた。ぼくの姿をしていたその皮膚は、いまはもうくしゃくしゃに潰れてしまって、見る影もない。

「だれだよ、おまえ。だれなんだよ。鏡のなかの本当のぼくは、どこに行ったんだよ」

「そんなやつ、とっくに逃げ出したよ。きみは半分死んだようなものだ。しばらく前から、きみはずっと鏡に映ってなんかいなかった。鏡に映らないきみを憐れんで、きみの影であるぼくが、きみの真似をしてあげたのさ」

 影はそう言って、ぼくと同じ体勢になった。ぼくが手を動かすと同じように動かして、ぼくが首を振ると同じように首を振った。

「やめろよ。おまえはぼくじゃない。ぼくの真似なんかするな。影なんか、どこかに行ってしまえ」

「本当にいいの? ぼくがきみから離れたら、きみはこれから一生、死ぬまで鏡に映らないんだよ。それでもいいの?」

「いいさ、それでも。影につきまとわれるくらいなら、鏡なんて、ぼくは死ぬまで見なくてもいい」

「きみがそれでいいなら、それでいいさ。短いあいだだったけど、きみを真似るのは楽しかったよ。でもお別れだね。さようなら」

 そう言って、黒い影はぼくに背を向けて、鏡の奥へと去っていった。遠くまで遠くまで歩き、小さくなって、見えなくなってしまった。鏡にはもはやだれも映っていない。影もいないし、ぼくもいない。鏡の外側にしか、ぼくはいない。

 それからいまにいたるまで、ぼくは鏡に映ったことがない。ぼくは半分死んでいるらしい。ときどき自分の爪にささくれがあるのを見ると、ぼくはあのときの影を思い出す。

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