非公開告白
三階の踊り場に、スリッパの音が響いた。
「ね、ね。計画、まとまったよ」
「え? またー? 今度はなんなの?」
「えぇっと、『面白い』こと」
「はあ。あんたっていつもそれじゃん。計画実行直前まで何にも教えてくれないんだから。で、今回うちの助けは必要な感じ?」
「……そう、だね。結構、協力してもらうことになると思う。ふふふっ、よろしくね——」
「未成年の主張ぉぉ!」
「うぉぉぉぉぉ!!」
「二年B組ぃぃ! 二五番! 野々宮ハルゥゥ!!」
「うぉぉぉぉぉ!!」
太陽がギラギラと照りつける中、中庭に大勢の観客が集まり、上を見上げている。いくつかのスマホのカメラが光り、この瞬間を見逃すまいと見守っている。
文化祭最終日、午後三時。毎年恒例、かつ大好評なイベントである未成年の主張のトリを、ある男子生徒——野々宮ハルが務めていた。
主張者は、北校舎と南校舎をつなぐ三階部分の渡り廊下に立つ。漫画やアニメのような屋上は残念ながらないので、そこから中庭へ向かって叫ぶのだ。
「オレには今ぁ! 好きな人がいるぅぅ!!」
「わぁぁぁぁぁ!!」
彼が叫ぶ一つ一つに、これ以上ないほどの歓声が入る。恋愛沙汰ということもあり、会場の熱気は最高潮に達していた。
「だぁぁぁぁぁれぇぇぇぇ!?!?」
男子も女子も、全学年一体となって、彼にただ一つ、完璧に、全力で質問を浴びせた。
「二年E組ぃ! 苅谷ニナさぁぁぁん!!」
「キャァァァァ!!」
全体ではなく、一部から悲鳴が上がり、すぐに該当の女子生徒が特定された。
付近の人は円が広がるように離れていき、そこだけ半径二メートルほどの無人のクレーターができる。中心には女子生徒が一人。始まるのは、観客による品定め。
「え、たしかに可愛い」
「ね、小柄で守ってあげたくなる感じ」
色々と言葉が飛び交い、ガヤガヤと騒がしい中、ニナはただ頬を紅潮させて、ハルの方を見上げていた。
その姿に、
「おぉっとぉ? これはもしかして……」
「絶対そうだよ! アイツだって、全く脈ナシだと思ってる相手に公開告白なんてしねーだろ」
と、また憶測が飛び交う。
「ニナさん! 入学した時からずっと好きでした! 付き合ってくださぁぁぁい!」
「キャァァァァァァァ!!」
ハルは叫びきり、ばっ、と頭を下げた。会場には、最高潮のさらに上を行く勢いで歓声とも悲鳴ともとれる声が響きあう。
次第にその声は収まり、今度はニナの返事を聞こうと、一転誰もいなくなったように静かになる。さっきまでの盛り上がりとのギャップもあり、緊張感が張り詰めた。
「えと、あの……」
一瞬俯き、恥ずかしそうに顔を上げる。その口角は上がり、真っ直ぐな視線が頭を上げたハルの視線とぶつかった。
「わ、私でよければ……よろしくお願いします」
「ギャァァァァァァァ!!」
もはや断末魔とも聞き取れる大歓声が上がる。
何故か友達同士でハイタッチしあったり、胴上げしたりする生徒たちが現れ、中庭は別世界のような興奮と歓喜に溢れた。
それから約二時間後。
午後五時、二年E組教室。気を利かせた二年生の生徒は、ここに二人を集めて話す機会を設けたのだ。
いや、気を利かせたというよりは単なる好奇心とお節介である。まあ、さすがに外から盗み聞きするようなことはなかったが。
「その、さっきはありがとう」
「こ、こっちこそありがとう。本当に嬉しいよ。これからよろしく、ニナ」
ハルは、幸せ絶頂だというように眉を下げ、頬を染め、口元を緩めてニナを見つめる。
そんな彼に、彼女は薄く微笑んで、突然、こう告げた。
「えっと、ごめんね? 私——ハルくんとは付き合えない」
「…………え?」
時が、止まり、静寂。
変わらず薄く微笑んだままのニナに、ハルはどういうことだ、というように詰め寄った。
「だってさっき、ニナ、よろしくお願いしますって」
「うん。そう言ったけど、もしあそこで断ったら、会場が盛り下がっちゃうかなって」
「…………」
信じられないというように絶句し、固まる。
「ほら、ハルくんだって、あんな大勢の前で恥かくのは嫌でしょう? ね? だから」
「……嘘、だろ? そんな理由で……」
目を見開き、血の気が引いていたハルの拳に、次第に力がこもり、眉間に皺が寄りはじめ、頬がさっきとは全く逆の意味で真っ赤に染まる。
「なんで! なんでそんな理由でオレのっ! オレ、嬉しかったのに……っ、嬉しかったこっちの気持ち返せよ!!」
「うん。……ほんとにごめんね」
表情を変えずに微笑み続ける、ボブカットで小柄な女子生徒。立ち尽くす、筋肉質でよく日焼けした男子生徒。
さっき興奮の絶頂だった生徒たちの中に、こんな展開を予想できた人は、果たしていたのだろうか。
「じゃあ、そういうことだから」
ゆっくりと教室の中心に背を向け、歩き出す。
そして、小さめの手が引き戸に手をかけた。
(ハルside)
…………。
何が起きたのか、理解するのに時間がかかった。
彼女——ニナとは、入学式で出会った。一目惚れだった。去年は同じクラスで、一緒に新聞委員をやったり、探求活動のプレゼンテーションを作ったりした。
二年生に進級し、話す機会は減ったが、それでも廊下ですれ違えば立ち話をするくらいには仲が続いていた。だから。
高二の夏。青春の絶頂期に、オレは文化祭で公開告白をすることを決意、立候補。
内容が内容なので、実行委員からトリを言い渡された。もちろん緊張はあったが、それ以上にせっかくだから思い出を作りたい、精一杯の想いを伝えたいという気持ちが強かった。
ついさっき、ほとんど全校生徒の前で告白して、OKをもらって、オレは天にも昇る気持ちになった。
ここで、終わってくれないのか?
正直、少しだけ自信があった。
彼女はオレと喋っているとき、いつも笑顔になってくれた。オレはもっとその笑顔が見たくて、彼女を笑わせようと話を盛り上げた。
そのたび、彼女は期待通りに笑顔を咲かせてくれた。
なのに。
なんで、どうしてそんなことをしたんだ?
それは、本当にニナの本心なのか?
簡単に信じることなんて、できない。
少なくともオレが知っているニナは、オレが好きなニナは、そんなことを言う人ではなかったはず。
オレは、この場を去ろうと戸に手をかけるニナをただ見つめているだけで。
見つめて、いる、だけで……。
「……えっ?」
ニナから、困惑した呟きがもれる。オレは咄嗟に机の間を抜け、彼女の肩を掴んでいた。
……その肩は、尋常ではないほど震えている。瞳は滲み、長い下まつ毛が落とすまいと涙を精一杯溜めていたのだ。
「ニナ……なんで泣いてるんだ?」
「ええっと、その……」
視線を彷徨わせたせいで、堰き止めていた涙が一筋溢れる。
その時瞬間だけ、意識的に教室の外を見たのに、オレは気づいてしまった。
「もしかして、外に誰かいるのか?」
「……っ!」
ニナはなぜか、嬉しいとも悲しいともとれるように口元を歪ませてさらに涙をこぼす。
オレは迷わず廊下へと続く戸を開けた。
「……あーぁ、気づかれたじゃん」
「あ……っ」
「バカなの? 気づかれたら困るのは、アンタだよ?」
「たしか君は、……有森さん?」
悪びれる様子もなく、むしろ堂々と教室に入ってくる女子生徒。彼女も去年同じクラスだったから覚えていた。
有森モモハ。クラスでは確か、中心的でムードメーカーだったはずだ。
だが今はそんなことはどうでもいい。どうして彼女がここに……?
「え〜っ、野々宮くん、うちの名前覚えててくれたの? マジで嬉しいっ、ありがと!」
オレに向き直った有森モモハは、わざとらしいほど明るく態度を変えて、笑顔を向けてくる。背筋から、冷たいものが這い上がった。
分からない。彼女の気持ちも目的も、何も。
分かるのは、こいつがニナになにか悪事を働いたということだけ。
「有森さん。ニナになんかした?」
「……え?」
「だからっ! ニナを泣かせたのは有森さんだろって聞いてるんだ!!」
単刀直入に語気を強めて聞いたはずなのに、当の本人はキョトン、としている。
そして人差し指を唇に当てて、ことり、と首を傾げた。
「野々宮くん、何言ってるの? なんでうちが、苅谷さんを泣かせるの? 意味わかんないよ」
「じ、じゃあお前は! どうしてここにいて、オレたちの話を聞いてたんだよ!」
「そんなの、当たり前じゃない。——苅谷さんごときが、野々宮くんと付き合えるわけないから」
「…………は?」
オレは固まり、ニナはひどく傷ついた顔をした。
怒りが絶え間なく、底から沸騰してくる。
「だってぇ、野々宮くんは運動神経抜群で、勉強もできて、カッコいいって評判だよ? うちは、野々宮くんのことが好きなの」
不快な、ねっとりとした声が耳朶を打つ。
彼女はオレとの距離を詰めて、えくぼの目立つ口角を上げた。
「……」
「ね、野々宮くん。苅谷さんと野々宮くんなんて釣り合わないし、野々宮くんの彼女に苅谷さんはふさわしくないでしょう? うちの方が苅谷さんより勉強も運動もできるよ。野々宮くんのしたいことも、全部叶えてあげる。
——だから、うちと付き合って?」
有森モモハの言葉を、脳が受け入れない。
ニナはオレに、ふさわしくない? 釣り合わない?
「ね、苅谷さんに振られたんでしょ? もうやめてよ、苅谷さんに構うの。だって野々宮くんは、うちの彼氏になるんだから」
これは怒りを通り越して、呆れだ。こんな考え方しかできないなんて、かわいそう以外の何者でもなかった。
もはや話すことさえ面倒くさいと思ったが、ニナを泣かせた罪は咎めなければならない。
「あのさ」
「うんっ、なぁに?」
「まさか、それで告白してるつもり? それで本当にオレが頷くとでも?」
固まる、有森モモハの笑顔。
「ふざけるのもいい加減にしろよ! オレが! お前みたいな人を傷つけて蹴落とそうとするやつなんかと付き合うわけないだろうがっ!」
歪む、有森モモハの笑顔。
「そ……そうだよ!」
「……ニナ?」
ニナが両足を踏ん張って立っていた。
顔を真っ赤にさせて、鋭く、有森さんを睨みつける。
「なんなの、『野々宮くんの告白、断ってくれるよね?』って! 私、私、いじめられるのが怖くて、それで……。でも、間違ってるのはモモハちゃんだよ! 私だって、本当は……!」
オレの間抜け面と、ニナの真剣な視線がピッタリと合った。
「ホントは、ハルくんのことが、好きです」
「…………っ!」
……あぁ。
やっぱり、オレは間違ってなかった。
あの薄い微笑みは、感情を表に出さないように、必死になっていたんだろう。だってオレは、笑顔でも、あの笑顔は君に咲かせたくないと思ったから。
だから。
「オレだって、ニナが好きだ。だから、有森さん。もう二度と、ニナを傷つけないって約束しろ」
有森モモハの顔から完全にえくぼが消え、無表情を夕日が照らした。
しばらく二体一で視線を交錯させる。
そして。
突然に、有森モモハは。
机に腰かけた。
「あーぁ、はいはい。仲がよろしいようで。おめでたいですね〜」
「「……は?」」
ニナと二人で困惑に揺れる。
……認めた? こんな簡単に?
さっきまでの不快な悪意はどこに??
「いやいやいや、分かってたよ。二人は相思相愛。誰から見ても、お似合いのカップルじゃん。別に、本気でうちが野々宮くんと付き合えるなんて思ってないって」
え、ちょっと待って。本当に意味が分からない。
さっきまであんなに悪意と執着心をあらわにしていたじゃないか。
どうして今さら、そんな今までのは全て茶番です、冗談です、というような空気を出してくるんだ?
さすがにニナも戸惑っている。彼女が一番怖くて辛い思いをしただろうから、オレ以上に意味が分からないのも無理はない。
「まぁ、うちが野々宮くんが好きっていうのはホントだけど。でも、ま、せいぜい仲良くやれば?」
急にツンデレ属性とか出してくるし。本当になんなんだ?
つい数十秒前までのオレの怒りを返して……?
「そんじゃ、そゆことなんで〜。うちは帰りますので、どうぞごゆっくり〜」
オレもニナも動けないまま、有森モモハ——有森さんはスタスタと廊下の向こうに消えた。
「ええっと……、ハルくん?」
「あ、えと、うん。オレ、状況がよく分かってないんだけど……」
「わ、私もちょっと意味が分からない、けど。でも、あの」
「……ありがとな」
オレはニナに向けて笑顔を咲かせる。
「怖かったと思うのに、勇気出して言ってくれてありがとう。すげぇ、嬉しかった」
「私も、ありがとう。庇ってくれて、怒ってくれて、嬉しかったよ」
ニナも、オレが大好きな、ふんわりとした笑顔を咲かせてくれた。
「えっとじゃあ、一緒に帰ろっか。ニナ、なんか用事ある?」
「あ……うん。ちょっと部活の片付けが……」
「演劇部だもんな。終わるまで、校門で待ってるわ」
「うん! ありがとう……!」
ニナは今度こそ笑顔で、教室の扉に手をかけていく。
やっぱり、可愛い。可愛いから、これからも有森さんみたいな人からいじめられたり、からかわれたりするかもしれない。
その時は必ず、オレがニナを助けないと。そう、固く決意したのだった。
高二の夏。青春の絶頂期に、オレは文化祭で公開告白をすることを決意、立候補。
内容が内容なので、実行委員からトリを言い渡された。もちろん緊張はあったが、それ以上にせっかくだから思い出を作りたい、精一杯の想いを伝えたいという気持ちが強かった。
ついさっき、ほとんど全校生徒の前で告白して、OKをもらって、オレは天にも昇る気持ちになった。
この裏に、非公開な部分が多くあることは、
オレと、
私と、
うちだけの秘密。
(???side)
三階の踊り場に、スリッパの音が響いた。
「あ、ニナ。おつ〜」
「おつかれ。うん、さすが演劇部のエース、王道悪役令嬢すぎて笑いそうになったわ」
「お褒めに預かり光栄です〜。あははっ、令嬢ではないけどね。ま、我ながらいい出来だったっしょ?」
「途中までね。なんで最後、あんなに気を抜いたかなぁ? 全然計画と違ってマジでびっくりしたんだから。ハルくんも完全に困惑してたって」
「あっははは、いい気味だった〜。いいじゃん、あれくらいのアドリブ。あれはうちなりの祝福だから、素直に受け取りな」
「どこが祝福なの、それ……」
「まぁまぁ、それはおいといて。でもニナったら、顔真っ赤にさせちゃって。良かったね〜」
「うん、それは素直に良かった。……そうだ。そういえば、あなたってハルくんのこと好きだったの?」
「は? な訳ないじゃん。うちが好きなのは……、好きなのは、に……、いや、なんでもない」
「ふーん。いつか知りたいなぁ」
「もう、絶対あんたには教えな〜い。ってか、そもそもこの計画、公開告白で野々宮くんがニナ以外に告った場合にやるはずじゃん。もう二人は結ばれたのに、なんで実行するか分からないままやらされたこっちの身にもなってよね。なんでなの?」
「え? 分かってるでしょう? ——その方が、『面白い』から。それだけだよ」
「はあ。ニナって本当に、どうかしてるよね」
「……? 私は普通だよ。ただ人生を面白く生きたいだけでだから自分の掌で動く人間を見るの。それって『面白い』よ?」
「あのさ、一個いい? それ、もしかして入学の時から、ずーっと野々宮くんを狙ってたってこと? 全ては今日、この日のために」
「…………。ふふふっ。だって、入学式の時、ハルくんと目が合っちゃって、ね。分かっちゃったもの。さっき、あなたが言っていた、ハルくんが他の人に告白する可能性なんて、端からないの。ハルくんは、私のことが好きだし、私はハルくんのことが好きなの、これは一生変わらないの、で、私はどうせなら『面白く』ハルくんとずっと一緒にいたいのそれだけなの」
「……うーわ、こっわ〜。毎度のことだけど鳥肌立つレベルで怖いって。本当に何が『公開告白』なんだか、むしろそれ前座じゃん。非公開なとこしかないし、……うちの気持ちだって」
「言われてみれば確かに。……ん、何か最後付け足した? あまり聞こえなかったけど」
「……何もないよ。ま、なにはともあれ、結局いっつもいっつも、あんたの『面白い』ことに付き合わされるの、うち……本当に嫌いじゃない」
「あはは、ありがとね、……モモハ」