クズ、女神に会う。
民俗学なのは、エイヘンの村も常民扱いしてるからです。
墓標がわりの貧相な木の棒が、盛られた土の上に立っていた。
かつてのエイヘン村。
物好きな教会関係者がそれを立てて、案の定ルドウィン二世に親類縁者ともども処刑された……というのは置いておくとして、アルブレヒトを護衛代わりに伴い、ローレンツは、そこに来ていた。
女神が、ローレンツの前をふよふよと浮遊する。
『いったい何をお探しで?』
「わかっているくせに」
今日は、『啓示書』の解読作業の一部答え合わせに来たのである。ノイスが菓子を持ってくる前に、解いていた箇所だ。
「ローレンツ、大丈夫か? 少し、休むか?」
ちなみに。
気遣わしげに振り返ってくるアルブレヒトは、ローレンツより重装をしながらも、ローレンツの五十歩先くらいを歩いている。もはや、ローレンツがアルブレヒトを伴うのではなく、アルブレヒトがローレンツを伴っている状態だ。
『って、言ってくれてますけど』
「大丈夫だ、先へ行ってくれ!」
ローレンツは、アルブレヒトに向かって、大きく手を振った。
「わかった! ゆっくり、来るんだぞ。ここに誰もいないことはわかっているから」
将来、ローレンツごと住んでいる村を燃やす予定の極悪人は、さわやかな笑顔で、ローレンツに向かって手を振り返し、また歩き出した。
ローレンツは、先ほどよりもペースを緩めて、あたりを見回した。
大小長短、さまざまな木の墓標は、青空の下、村のあちこちに立っている。
「大きいのが大人で、小さいのが子供だろうか」
『いえいえローレンツさん。これは、教会が好感度稼ぎのために立てたものですから、大きさとか、長さとかはテキトーですよ』
「それはそうだな」
女神の言葉には、一部誤りがあるが、ローレンツは否定しないでおいた。それくらいの感傷は、自分にも備わっている。
前の世界で、ローレンツはエイヘンに行ったことがない。独居房の中で、アルブレヒトに『啓示書』を与えられて、それを解いただけである。
だから、エイヘンの土を踏むのは、これが初めてなのだ。前の時とて、高所から弁当を食いながら、アルブレヒトによる殺戮を見下ろしていたにすぎない。
辺鄙な村だ、建物もあまり上等ではないし、金があるようには思えない。
だが、この村は、『啓示書』にとって、もっとも重要な情報が眠る村である。
「教会は馬鹿だな、証拠を消しにくるなんて」
『……』
木の棒で作られた墓標は、慈善で建てられた墓は、実は悪意の塊だ。
あの夕暮れ皇帝は、今回ばかりは正しいことをしたと、ローレンツは思う。
「ローレンツ」
アルブレヒトが、とある建物の前で、立ち止まった。
辺鄙な村にしては、立派な佇まいの家屋。
当然焼けてしまっているが、この建物こそが、『啓示書』の隠されていた場所である。
この家屋の庭だったと思われるところにも、見境なく墓標が建てられている……否、此処こそが、今は亡き教会関係者が、墓標を立ててしまいたかったところなのだ。
「教会の最大の誤算は、皇帝陛下の慈悲の無さだな。まさか、墓を立てて殺されるとは思うまい」
アルブレヒトが、夜の帳の目を細めて、皮肉げに笑う。
そういえば、アルブレヒトが、皇帝を討ったのは……
「ローレンツ?」
「何でもないよ。掘り返そう」
エイヘンは、呪術の村だ。
帝国でありながら帝国ではないというのが、エイヘンの評判であり、この村には、独特の成人儀式や、独特の医療儀式が存在した。
民俗学者の中には、エイヘンの村を焼き討ちにしたことで、貴重な資料が失われたと抗議する者もいたが、それもあの夕暮れ皇帝によって一族郎党殺されてしまったので、いまや抗議する者はいない。
ローレンツも、医療儀式には興味を持っていたが、死人一人生き返らせられない村である。そんなに上等な医療ではなかったのだろうと思うことにした。
だが、成人儀式にせよ、医療儀式にせよ……その方法が、ろくでもないものだったことは、確かである。
アルブレヒトが、木の墓標を地面から抜きとり、剣をスコップがわりにして掘っていく。やっと追いついたローレンツは、そのそばの地面に座りながら、掘り返し作業を見ていた。
『いやローレンツさん全然役立ってないじゃないですか。なんで来たんですか』
「どうだ、アル。見つけたか?」
「ああ」
アルブレヒトは、硬い面持ちで頷いた。
腐敗している遺体は、大人のものではない。
「……酷いな」
アルブレヒトが、顔を歪めた。
石でできた重い棺桶の蓋には、何度も引っ掻いた爪痕と、歯型と、血痕がこびりついていた。
「こう言ってはなんだが、貴公の解読が、間違ったものであってほしかった」
「俺もだよ」
エイヘンは、呪術の村だ。
「エイヘンの村人も、そして教会も。『啓示書』を読み解いていたらしい……“その昔、女神は造られた。生きた人の子を地に埋めて、神としたのである”」
「女神というからには……」
「ああ、この死体は、女だろうな。どんな容姿だったのかはわからないが」
言いながら、ローレンツはわかっていた。
『……』
じっと、死体を凝視する、空中に浮いている女。少女とも言える外見の、女神クロノ。
ーーお前は、もとは、人間だったわけだ。
少女の遺体を手厚く葬った後、アルブレヒトは、ローレンツを見た。
「ここに死体があったことで、貴公が『啓示書』を解読した証となった。早速、皇帝陛下に報告に行こう」
歩き出すアルブレヒトの揺れる髪を見ながら、ローレンツは、彼に伝えなかった部分を、心の中で唱えていた。
“その昔、女神は造られた。生きた人の子を地に埋めて、次の世界の神としたのである”。