クズ、ユリアン・シーデ・フックス
よく若白髪と言われる彼の髪は、返り血の画布にはもってこいだった。
「ああ、君が、ローレンツ君?」
ゆったりとした言い方は、彼の余裕の証拠。血気盛んな民族において異質な彼の名前は、ユリアン・シーデ・フックスという。
曇り空の下、若き革命家である彼は、夥しい屍の上に立っていた。
どちゃりと音がして、ローレンツらの足元に、なにかが投げられた。投げて寄越されたそれは勿論、皇帝陛下より派遣された男の首である。
生ぬるい風に白髪を靡かせながら、彼は、場違いに微笑んだ。
「使者殿は丁重に扱おうと思っているのだが、もう、私たちの意志は伝えたからね。必要ないだろう。それでも君たちが来たのは、私に殺されたいからかな?」
「はっ、戯言を」
血気盛んなアルブレヒトが、ローレンツに「下がっていろ」と言って、剣を構える。ユリアンは屍の上を滑り降り、アルブレヒトは、地を蹴って飛び上がる。ローレンツの目には到底見えない、達人同士(二人とも若者のくせに)の戦いが始まり、ローレンツは、よっこいせと近くの屍に腰掛けた。
「まさに、頂上決戦って感じだな」
『ローレンツさん、ローレンツさん。あの人、アルブレヒトと一人称被ってますよ』
当然のように着いてきていた女神は、ふわふわ漂いながら、どうでもいいことに言及してきた。
『私被りです。私も私ですけど!』
「別に良いだろう。普段から一人称を私にしておくとな、皇帝の前で俺だの僕だのと言わなくて済むんだ。そういうライフハックなんだよ。日常生活から修行をしている奴らなんだよ」
『はぇ〜そうなんですか。じゃあローレンツさんが頑なに俺って言うわけは?』
「皇帝は、どうせ死ぬから」
『やだ、かっこいい……!』
両手で口元を押さえた女神は、目をうるうるさせてローレンツを見た。
『もっとかっこいい人が言ったらもっとかっこいいと思います』
「喧嘩を売ってるか貴様」
そんな、くだらない話をしていると、アルブレヒトとユリアンが、同時に飛び退った。両者とも、なぜか笑顔を浮かべている。
ーーアイツらは、基本的に戦闘狂だからな。
そして、似た物同士だ。いや、今のローレンツとしては、ユリアン贔屓なのだが、“強い”と認めた者に敬意を払うところは、だいぶ似ている。
「時期はズレたが、ファーストコンタクトの時と、だいたい同じだな。両者、実力が伯仲していることを悟り、一旦戦闘は止む」
『実力が伯仲してるなら、アルブレヒトについてもユリアンについても同じですね。やっぱり、ユリアンにつくんです?』
「そうだな……」
少し悩んで、ローレンツは、隠し持っている本を、服の上からなぞった。
ユリアンは、『啓示書』を持っていると手紙を送ってきた。それを確認すべく、ローレンツとアルブレヒトは派遣された。もしもユリアンが持っていた場合、殺して奪って、本物かどうかを、『啓示書』に多く触れているローレンツが確認するためだ。
「あの皇帝、俺を平気で戦場に派遣しやがって」
余計なことまで思い出してきた。どうせ死ぬと思っても、対象が今生きてる限り、別に怒りは収まらないのだと、ローレンツは知ってしまった。
息を吐く。
「ユリアンは、馬鹿正直に『啓示書』を持っていると思うか?」
『貴方が考えている通り、嘘だと思います。むしろ、これは罠。啓示書を手に入れるための』
「そうだな」
それなら、こちらの持っている『啓示書』にも価値が生まれようものだ。
ローレンツは、屍から降りて、安全策をとることにした。
「ユリアン・シーデ・フックス。お前は、本当に『啓示書』を持っているのか?」
睨み合う両者の間に、歩を進めていく。「来るな」というアルブレヒトの言葉を無視して、ローレンツは、ユリアンの前に立った。
「だとしたら、お前は『啓示書』で何を願う?」
「決まっている。君たち、帝国の破滅だよ。君たちは、無関係な人の血を流しすぎた。その報いを受けるべきだ」
ユリアンの瞳は、悲しみに沈んでいた。ふと、帝城のある方を仰ぎ見る。ここより高地にあって、どんな住宅よりも、高級な石が使われている絢爛豪華な帝城のある方を。
「一度更地にしてしまえば、違いも差も生まれないだろう。このような殺し合いも、生まれないはずだ」
「そのために、人を殺すと?」
「ああ、そうだ」
どこまでも、まっすぐな目だった。アルブレヒトが失った目だった。
「『啓示書』もまた、血塗られた力だ。彼女のことを思うと、胸が張り裂けそうになる」
「だが」と、ユリアンは言う。
「犠牲を積み上げて、私は生きてきた。今更、その生き方を変えられるわけじゃないし、変える意思もない。私は、ただ、更地になったこの国に、新しく花を植えたいだけなんだ。話しすぎたな」
ユリアンは、アルブレヒトが放った一閃を軽々と避けて、儚く笑った。
「そんな、馬鹿なことをしたいがために、両の手を血に染めているんだ。ローレンツ、君の一番知りたいことを教えてあげよう。『啓示書』を持っているなんて、嘘だ」
「あっ」
ローレンツが服に隠し持っていた本は、一瞬のうちに抜き取られていた。ユリアンは、ぱらぱらと本を捲りながら、優雅に笑う。
「今度は、本物を持ってきてほしいな」
そう言って、革命の貴公子は、走ってきた馬に飛び乗った。
「また会おう、ローレンツ! 私の考えを訊いてきた君とは、良き友人になれる気がするんだ!」
放られたのは、今度は生首ではなく、『啓示書』と同じ厚さ、同じ大きさの本だった。破られることなく、丁重に扱われたそれを持って、ローレンツは、ポカンと口を開けてしまう。
「ローレンツ、帰ろう」
平坦なアルブレヒトの言葉を聞いて、ローレンツは、かくんと首を縦に振った。
「まさか」
ーーまさか、こんなに情に脆い男だったとは。
浮かぶ笑みを本で隠して、ローレンツは、アルブレヒトの後についていく。
ーーおい女神、こいつの生首が見られる日は、そう遠くないかもしれないぞ?
ローレンツの横を浮いている女神もまた、非常に嬉しそうに言った。
『すっごい、期待以上のクズですねぇ!』