クズ、世界の意味を知る。
士官学校を主席で卒業。しかし、生まれという変えることのできない柵のせいで、結局下士官止まりだった悲劇の天才。
「それがこの俺。ローレンツ・エリアス・ディカードだ」
『自分で言っていて、恥ずかしくありませんかぁ?』
ふよふよと空中を揺蕩う女神は、何故か頬を赤らめていたが、ローレンツは一切興味がなかった。
「自分を憐れむのは馬鹿のすることだが、敢えてしてやろう。なんて可哀想なんだ俺はぁああ!!」
と、兵舎の廊下で芝居がかった動きをしていたら、上級将校に睨まれた挙句、反省しろと独居房にぶち込まれてしまった。
『事勿れ主義はいったいどこに行ったんですか……?』
「まあ見てろ。俺は、時を早く進めたにすぎない。いわゆるリアルタイムアタックだな」
『りあるたいむあたっく……?』
「これが最短ルートだ」
ローレンツが女神と会話をしていると、最近そこそこ仲良くなってきた男が姿を現した。暗闇でも映える赤い髪の持ち主は、苦笑しながらこちらに近づいてきた。
「今度は、何をやらかしたんだ? 貴公は」
『ローレンツさ、ローレンツさんのこと、貴公って言ってますよぉ。怖いですこの人』
ーー呼び方に文句をつけるな。
とはいえ、あちらは貴族で将校。こちらは平民で下士官止まり。謂れのない敬意は恐怖である。
ーー俺が独居房に入れられて、助けてくれたのがコイツなんだ。
『知ってますよぉ。友達のいないぼっちな貴方に、手を差し伸べてくれた聖人、でしょ? えひひっ』
ーー聖人だと、思っていたのだがな。
ローレンツは、遠い目をした。焼け死ぬ時の苦しさは、じわじわと喉元を絞められて、声すら出ない中で死んでいく絶望は、忘れてはいない。
それをもたらしたのが、目の前のこの男だということも。
ーーアルブレヒトに媚びを売らなければならないのは癪だが、これも、アレの為だ。
『アレって、まさか』
ーーそう、『啓示書』だ。
ローレンツは、『啓示書』のことは、『帝国史』に書いていない。なぜなら、それは、人間世界のバランスを一気にひっくり返す代物であったからだ。
「そういうわけで、アルブレヒトは当時の皇帝に申請して、エイヘン村への侵攻をしたんだ。これが、最悪帝アルブレヒト神話の第一歩だな」
アルブレヒト主体の、最初の被害者エイヘン村は、隠してはいたが、呪術信仰に厚い村だった。村には代々、神より伝わりし書物があるとの噂があり、その書物こそが、『啓示書』であったのだ。
「俺には天才的な頭脳があったからな。賢いアルブレヒトは、それを餌にして、皇帝に働きかけた。俺が『啓示書』を読み解くから、独居房から出してやってくれ、とな」
『流れるように自画自讃していきますよねぇ』
「事実だからな」
眼下で焼け死ぬ人々の悲鳴を聞きながら、ローレンツは地面に座り込んで、昼飯を食べた。天才的な頭脳はあるが、それについていく体がないので、「あ、ああ。大丈夫だ、貴公は動く必要はない」と言われてしまった。なので、ここでひっそりと、アルブレヒトを観察しているのである。
逃げ道を塞いで、死体自体を障害物にする。なるほど、木よりも石よりも、複雑な形をした人は、障害物にぴったりだ。複雑な形をしているゆえに、なかなか崩れることはない。腕や足を複雑に絡ませておけば、尚のことよろしい。
「もしも家族が肉盾になっているのを見たら、それだけで士気が削れる。良い戦法だな」
『自分が焼死したのに、よく見れますねぇ』
「所詮は他人事だからな」
もぐもぐと弁当を貪るローレンツ。
『そういえばぁ、本来の歴史は、どうだったんですかぁ? 貴方が奇行をして、リアルタイムアタックとやらをしなかった場合の話ですけどぉ』
「そんなこと、説明しなくてもお前ならわかるだろう」
『貴方の口から聞きたいんですぅ』
「つまらない話だよ。ただでさえ頭脳明晰の俺は、アルブレヒトという誰もが羨む友人を得たことで、嫉妬の的にされた。そして、冤罪をふっかけられて、独居房行きになった」
そして、心身ともに弱っている時に、アルブレヒトに助けられたというわけだ。
「アルブレヒトの好感度は、あの時と同じくらいに高められていた。むしろ、高すぎるくらいだったな。だから、奇行をすることで、手っ取り早く独居房に入れられて、助けてもらうことにした」
『冤罪って?』
「兵舎内での殺人事件だよ。結末は簡単だった。俺と、被害者をよく思わない少尉が、被害者を殺して俺のせいにした。少尉は死刑。これで終わりだ」
その容疑が晴れたちょうど同じ頃、ローレンツは、『啓示書』の解読に成功したのである。
どれくらいの時が経ったのだろうか。
「ローレンツ」
呼ばれて振り返ると、アルブレヒトが、背後に立っていた。手には、見覚えのあるものを抱えている。
「不思議と焼けなかった。これは、本物なのかもしれないぞ」
当然のように、ローレンツに手渡される『啓示書』。久しぶりに感じる重み。ローレンツは、ぱらぱらとページを捲った。当然そこには、見覚えのある文字が……
「読めない……」
「古代語を使っているらしいからな。読めたら困る」
ーーおい、女神。
『なんですかぁ?』
ーーこれは、どういうことだ。なぜ『啓示書』が読めなくなっている。
『ふふっ、あはははは』
女神は、面白おかしそうに笑っていた。ローレンツの周りを、くるりくるりと飛び回る。
『だから、言ったじゃないですかぁ。この“世界”って』
つまり、つまりだ。
ーー『啓示書』の内容が違う世界。だから、俺は前の世界の知識を引き継げた。そういうことだな?
『ごめいとーですぅ。ふふっ、解読のやり直し、学者魂がたぎってくるでしょぉ?』