クズ、かつての親友と出会わせられる。
「…………ツ、ローレンツッッッ!!」
誰かの必死な叫び声が聞こえて、ローレンツは、目の前に迫る切先を見た。
ーーああ、ここか。
そう思うと同時に、身体が何かに弾き飛ばされる。勿論ローレンツは、その何かを知っている。
最小限の動き。あいもかわらず、鮮やかな剣技。ローレンツの命を脅かそうとしていた切先の持ち主は、鮮血を迸らせて、地面に倒れ伏した。
「鎧が薄くて助かった」
謙遜気味に言って、地面から起きあがろうとしているローレンツの元に歩いてくる。お貴族様ともあろうそいつは、たかが平民の一兵士のために地面に片膝をつき、ローレンツに手を差し伸べた。
「立てるか?」
赤い髪を無造作にくくり、夜の帳のような目に暖かさが灯るその美丈夫は。
ーーアルブレヒトォ……!!
ローレンツの頭の中は、煮えたぎる憎悪でいっぱいだった。それでも、ローレンツは、その憎悪を押し殺して、アルブレヒトの手を取った。
ーーこの時点では、俺はアルブレヒトのことを知らなかった。
その無知が手助けして、一時的というには長すぎる間、友達になれたのだ。
「ええと、君は?」
今思えば、これは幸運だった。シュレッター家の侯爵子息様に名を聞いた自分は、斬り殺されていても不思議ではなかったのに。
アルブレヒトは、少し目を見開いた後、薄い唇に笑みを刷いた。ローレンツを立たせ、戦場の澱んだ空気に似合わない、朗々とした大きな声で名乗る。
「おっと失礼、ローレンツ。私の名前はアルブレヒト。アルブレヒト・フォン・シュレッターだ。長いから、気軽にアルと呼んでくれ」
「シュレッター、って」
「この戦を任されてる将軍と、一緒だな」
照れたように言って、頬を掻くアルブレヒト。ローレンツは、顔を青ざめさせた。アルブレヒトの手を、ばっと振り払う。
「た、助けてくれたことには感謝する。だが、今後俺には近づかないで欲しい」
「どうしてだ?」
「俺は、平和に生きたいからだ!」
この頃のローレンツは、事勿れ主義だった。
そして、世間知らずだった。
「そんなこと言われたのは、初めてだよ」
ローレンツの態度に興味を惹かれたアルブレヒトは、この後ローレンツに付き纏い、ローレンツも諦めの悪いアルブレヒトに絆されていくことになる。
「……『アルブレヒトは、太陽のような男だった。戦場で散った者の名前も、生き残った者の名前も余さず覚えていたのである』」
血と泥を生ぬるい水で濯いで着替えた後。兵舎にて、周囲の者に聞こえないように、ローレンツは布団の中で呟いた。
「いつだったかな。アイツが人の名前を覚えなくなったのは」
人に期待しなくなったのは。
『最初からじゃないんですかぁ?』
ーーいかん、幻聴が聞こえた。
ローレンツは、眉間を揉み解した。久しぶりの戦場で、気が昂っているのだろう。あの役立たずの女神の声が聞こえた。
『や、役立たずなんて、えひっ、酷いですよぉ。貴方は、私の力を使って時間遡行したじゃないですかぁ』
随分具体的な幻聴である。ローレンツは、閉じていた目を見開いた。
空中に、ローレンツの顔を覗き込むようにして、女が浮かんでいた。水色の髪、紫色の瞳。病的なまでの白い肌。仄かに輝いて見えるのは、神性を伴っているからだ。
ーー何の用だ。
女神ならば、思うだけでも会話はできる。実際、女神はローレンツの考えていることに言及してきたのだから。
虚無と喋っている危ない人物の扱いをされないよう、ローレンツは、口を閉じ、じっと女神を見ていた。
ーー俺の眠りを妨げに来たのか?
『夜伽に、やめてください消さないで!』
“顕現”の逆。それをしようとしたローレンツに、女神は慌てる。だが、それに驚いたのはローレンツだ。
ーーこの頃の俺はまだ、『啓示書』を読み解いていないのに、権能を使えるのか。
『勿論です。貴方の知識は、この世界にも引き継がれます』
ーーこの世界? 時代ではなく?
『口を滑らせました』
ーー分岐した世界ということか? 俺という異物が介入したことで……。
『そうではありません。だって、貴方はまだ、人に対して権能を使っていないじゃないですかぁ。歴史を変えていない』
ーーそれなのに、そういう表現をするのか。
『いずれわかることですから、今は眠ったらどうですか? 明日も戦場ですよ! 戦場!』
むふんと鼻息荒くして、女神は言った。だが、ローレンツの眠りを妨げているのはその女神であるので、今更である。
ーーというかお前は、何をしに来たんだ。冷やかしに来たのなら帰れ。
『貴方の行く末を見に来たんですよぉ。端的に言えばぁ、えひっ、貴方に興味が沸きましたぁ』
ーー俺はお前に興味がないぞ。
『し、辛辣……仮にも上位存在の私に向かって……』
青白い顔を、もっと青白くさせた女神は、口元を引き攣らせた。
ーーこの時代に着地させてくれたことについては有能だと認めてやる。おかげで、この頃のアルブレヒトはまだ狂っていないとわかったからな。
『果たしてそうでしょうかぁ? 貴方は、見たくないものを見ていないのではないですか?』
ーーそうかもしれない。だが、それも俺の才能だ。俺は、不必要な物を振り落としてきたからこそ、『帝国史』を書けたのだからな。
いちいち、殺される者の悲哀を悟っていては、身が持たない。
だからローレンツは、アルブレヒトの側だけに立って、『帝国史』を書き上げたのだ。
ーー改訂『帝国史』は、誰の目線になるんだろうな。
『それは、私にもわかりません』
ーー使えん女神め。
『私の役割はぁ、“時間遡行”させるだけですから。貴方も重々承知でしょう?』
ーーああ、そうだな。
そうして、ローレンツは、女神との会話を打ち切った。
夢の中では、赤い髪の男が笑って、誰かに何かを頼んでいた。
その先は、考えたくない。




