クズ、魂を震わせる。
ベルンハルト・フォン・シュレッター。言わずと知れた、アルブレヒトの父親で、この戦場を任されている将軍である。
あの夕暮れ皇帝の信頼厚く、此度の戦争を任されているのだが……。
ーーどういうことだ。これでは、面子が潰れるという話ではなくなってくるぞ。
ローレンツは、認識を改めなくてはならなかった。
そもそも、アルブレヒトがアインホルン中尉の捜索にあたっているのは、恐れ多くも皇帝より賜りし兵士を、敵の刃以外で、いたずらに死なせてしまったからである。いわゆる責任問題というものだ。将軍の座を追われるどころか、一族郎党の首が飛びかねない。
だが、第一発見者がベルンハルトとなると、話が違ってくる。
ーー隠蔽。
ローレンツは、真っ先にその言葉を思いついた。
人の口に戸は立てられないが、自分の口に戸は立てられる。要は、ベルンハルトは、黙っていれば良かったのだ。そうすれば、余計なリスクを負わなくて済んだというのに。
自分の口を塞いで死者を見逃すことと、皇帝に馬鹿正直に兵を死なせたことを報告し、名門貴族であるアインホルン中尉の捜索(見つからなければ死)をすること。どちらが楽かは一目瞭然だろう。
ーー流石は、アルブレヒトの父親といったところだな。
大方、胸の内にある正義感を抑えきれなかった、というところだろう。
だが、呆れ半分感心半分のローレンツを前に、アルブレヒトは、表情を暗くして。
「そうして、私は、父を疑っている」
「どうしてだ?」
ただの、馬鹿がつくくらいのお人好し……という話ではないのだろうか。前の世界の歴史を知っているローレンツには、理解はできないが、すんなりと受け入れられるのだが。
当のアルブレヒトは、苦悩に顔を滲ませていた。
「どうして父が、誰もいない時間帯に、修練場に行ったのかわからないからだ」
『あ、ローレンツさんの疑問、ちゃんとアルブレヒトさんもわかってたんですねぇ』
女神が感心したように言う。ローレンツは心の中で同意しておいた。
人のいない時間帯で、偶然そこを通りかかる不自然。身内といえども、引っかかることはあるのだろう。
「理由を聞いたのか?」
「……偶然だとしか聞かされていない。偶然、アインホルン中尉殿が、カステマ少尉の遺体と共にいるところを見かけた……とのことだ」
カステマ……誰のことだろうかとローレンツは思ったが、女神が呆れながら教えてくれた。死んだ少尉の名前だそうだ。
アルブレヒトは、膝に置いた手を握った。
「この殺人事件は、何かがおかしいんだ。アインホルン中尉殿が明確に殺害したという証拠は、何一つない」
それはそうだろう。なにせカステマ少尉とやらは、別のところで殺されて、“顕現”で修練場に現れたのだから。
大方、絶命しているカステマ少尉を心配して揺さぶっているところを見られでもしたのだろう。アインホルン中尉もまた、ローレンツという悪人に菓子を振る舞うお人好しなのだから。
「アインホルン中尉殿は、逃げる前、何か釈明をしたのか?」
「釈明もせずに逃げたと聞いている」
それもおかしな話だ。相手は将軍とはいえ、アインホルン以下の貴族。脅しはしないだろうが、あの中尉なら、真っ向から否定して、むしろ犯人探しに乗り出すはずなのに。
「このことを、他の人間は知っているのか?」
「ごく一部の人間は知っている。だが……父を疑っている話をしたのは、ローレンツ、お前がはじめてだ」
縋るような表情。アルブレヒトには珍しい表情だった。いや、この表情、どこかで一度見た気がする。
ーーどこだったか。ああそうだ。
ローレンツは、記憶の片隅から思い出を掘り起こした。
『帝国史』に着手する前。田舎の村に隠居することを告げに行った時である。その頃には皇帝になっていたアルブレヒトは、今と同じ表情をした後に、『そうか』と一言。そして、ローレンツに激励の言葉を送ってくれたのである。
なぜ、同じ表情をしているのかは、ローレンツには全くわからないが。
事態は極めて、悪い方向に向かっていることだけは理解できた。
ーーベルンハルト将軍が怪しいことは結構。だが、アルブレヒトに実父を売らせるのはまずい。
なにせ、最悪帝アルブレヒトの歩みを早まらせたのは、夕暮れ皇帝に反旗を翻したベルンハルトの討伐。
あの空気の読めないルドウィン二世は、アルブレヒトにたくさんの褒美を取らせたが、遺恨は残り、遂には自分が討ち取られてしまった。
ローレンツの『帝国史』にも、それは書いてある。
ルドウィン二世のあまりにも残虐なおこないについていけなくなった将軍ベルンハルトが起こした内乱。長期間の戦の決着は、親子同士の殺し合いという最悪の事態に発展した。
そしてのちに、ルドウィン二世とアルブレヒトの間には、とある出来事が起こってしまい、それが決定的な決裂となった。
ちなみに。ベルンハルト将軍の名声は聞こえ高く、あのアインホルン中尉が生きていて加勢していたら、反逆は成功していただろうというのは、有象無象の歴史学者の見解である。もちろん、その歴史学者たちはルドウィン治世に殺されている。なので、有象無象というわけだ。
そしてその、有象無象の歴史学者が、ベルンハルト将軍の反乱を振り返って記していたのは、もう一つ。
追い詰められたアルブレヒトが、一語一語、まるで知らない単語を絞り出すように言う。
「なぜなら、これは、国を揺るがす、一大事だからだ。ユリアン・シーデ・フックスを覚えているか?」
「ああ。あの、白髪の」
ーーカモにしやすそうな人間。
心の中でだけ、ローレンツはそう付け加えた。
「その男と……父が、繋がっているかもしれないんだ」
ーーだろうな。
ベルンハルト・フォン・シュレッターの反逆に、ユリアンの影があったというのは、ユリアン側の動き的にも、誰もが考えていたことであるからだ。
ーーだが、証拠がなかった。だから俺は書かなかったんだ。
憶測だけで書けば、正史で無くなってしまう。それくらい、ベルンハルト将軍は、協力者について、一切悟らせなかった。
ローレンツの学者魂が、ぶるぶると震えてくる。隠されていた歴史のページが表れるのだ。興奮しないでいられようか。
「その、将軍が、ユリアンと繋がっているという証拠は、あるのか?」
アルブレヒトは、ゆっくりと頷いた。




