俺の主張
誰かの人生を変えるような作品を描けるようになりたいとただ思う。
『青春』それは高校生が理想とする学校生活だ。
朝、寝不足気味の体を起こし、学校へ行く。
学校につく頃には眠気もなくなり、仲の良いクラスメイトと会えば笑顔になる。
昼休みになると、机をくっつけ向かい合い、談笑しながら弁当を食べる。
憂鬱だった授業が終り、部活仲間と今日の出来事を報告しあいながらグラウンドに向かう。
チームメイトと試合に勝つために練習し、汗を流す。
練習を終え、待ち合わせをした場所に向かう。
そして、好きなった人と日が暮れる中、寄り道しながら帰る。
普段の何気ない日常、それが青春。
学生ならともかく、高校生なら誰もがこんな青春をしたいはずだ。
でも、俺はふとこんな疑問を感じた。
『青春を心からしてる人なんているのか?』
こんなことをいきなり聞かれても、意味が分からないと思う。
俺は即答しよう。
『存在しない。』
なぜなら、みんなそろいもそろって、学校ではキャラを演じているだろ?
いわゆる表裏ってやつだ。
学校には、他人に認めてもらいたいために、自分の個性を捨てたキャラがあふれかえっている。
そこにはホントの自分なんて存在しない。
遅いか早いかの違いで、みんな薄々気付き始めてる。
誰だってそんなことは否定したくなる。
結局は、肯定も否定もせず、考えることをやめる。考えたら楽しくない。
グループには、個人に役割が与えられる。
それが、ツッコミ役だったりいじられ役だったりするわけだ。
いじられキャラがボケのツッコミを入れる。役割分担することで、輪に笑いが生まれる。至って単純な仕組みだ。
どんなコミュニティであろうと役割は存在する。
自分の役割を見つけられず、果たせないものは弾かれ、無理やりでも入ろうとすれば拒絶される。
究極的にボッチとなる。
ボッチになれば、周りから空気として扱われたり、空気であることを利用して、他人の笑いにされることもある。
だから、誰もがボッチにならにためにキャラを演じ続けているのだ。
もしかしたら、これに延長して人間社会もできているのかもしない。
そろそろ聞き飽きたて来る頃だろう。
もう少し待ってほしい。
俺が、今からいうことはただの当てつけかもしれない。
自分がただ抗いたいだけかもしれない。
嘆いたところで、何も起こらないのも知っている。
ただ少しでも共感してもらいたいという自分のわがままだ。
つまり言おう。
『高校生は青春に囚われている。』
以上。