片栗男~片栗粉~
街を歩いていると、見るからに挙動不審な男がいた。年齢は30代か40代。無地のしわくちゃのシャツに、だぼだぼのジーンズ。無精ひげが伸びていて、顔には覇気がない。怪しいな、と思った俺は、その男に話しかけてみた。
「こんにちは」
「え、あ、こんにちは」
「何されてたんですか?」
「歩いていました」
そういうことじゃない。もっと具体的なことを聞きたいのだ。
「どこへ行かれるんですか?」
「え、あ、本屋に行った帰りで……その、これから家に帰ります」
「ふうん。本屋では何を買ったんですか?」
「本を買いました」
そりゃ、本屋だから買うとしたら基本的に本だろう。俺が聞いているのは、どんな本を買ったのか、ということ。
「よければ、買った本を見せてもらえませんか?」
「え、あ、その……」
「ああ、よければなので、無理だったら大丈夫です」
「そ、わかりました」
男は黒いリュックサックを地面に置くと、某本屋の袋を差し出した。中に入っている本を覗いてみる。いわゆるロリ系のエロ漫画雑誌と、熟女もののエロ本。好みの年齢が幅広いのかな?
「どうもありがとうございました」
返した。
エロ本所持は別に犯罪ではない。まあ、ロリ系のが気になると言えば気になるが、それを読んでいるからといって、犯罪者扱いするべきではないだろう。
ロリに手を出すのは犯罪だが、ロリ漫画を読むのは犯罪じゃない。それは、人を殺したら犯罪だが、人を殺す小説を読むのは犯罪じゃない、というのと同じようなもの。
ただ、彼からは怪しいにおいがする。もう少し、持ち物を調べてみたい。
「あの、リュックの中に何が入っているか、調べさせてもらっても構いませんか?」
「え、あ、え、ええ……」
露骨に挙動が怪しい。これは、何かやましいことがあるのか、それとも警察官にただビビっているだけなのか……。
リュックサックの中を軽くあさる。怪しい代物は何もなさそうだな――――ん、あれ? これはもしかして……。
「おい、あんた。この白い粉はなんだ?」
それは小さな袋に入っていた。袋に入った白い粉。これはもしかして――麻薬なのではなかろうか。
「そ、それは……」
「それは?」
「それは――片栗粉です」
カタクリコ? それって料理とかに使う、あの粉……?
「……は? 片栗粉? そんなわけないだろう! 本当のことを言え!」
「本当に片栗粉なんです」
男は必死に言う。
「どうして、片栗粉を袋に入れて持ち運んでいるんだ!? どう考えてもおかしいだろ!」
「食べるためです」
「食べる?」
意味がわからない。
「私は片栗粉中毒で、一時間に二回は片栗粉を食べないと、禁断症状が起きてしまうんです」
「片栗粉中毒だと!? そんなもの、聞いたことがない! さては隠語だな。大麻か、ヘロインか――」
「そ、そんな! 本当に片栗粉なんです。食べてみたらわかりますよ」
「いや、麻薬を食べるのはなー……ちょっと……」
「片栗粉です。食べればガンギマリです」
「おい。やっぱ麻薬じゃないか!」
俺は男を警察所へと連行した。男は麻薬の禁断症状からか、体が小刻みに震えていた。これは間違いない。同僚に、麻薬の検査キットを用意させ、調べてみたのだが……。
「うーん、これはどうやら麻薬じゃないようですね」
「は? 本当に?」
「はい」
「だったらこれは――」
「か、か、かた、片栗粉ですううう」
男は血走った目で俺を睨むと、小袋を奪い取って、口の中にさらさらと流し込んだ。恍惚とした表情を浮かべた後、男は悟りを開いたかのように落ち着いた。
「片栗粉……」
「片栗粉なら、なめてみればわかるでしょ」
同僚が指で摘まんで口の中に少量入れた。
「こ、これはっ……」
「おい! 大丈夫か!?」
「片栗粉だ」
「えっ?」
「間違いない。これは片栗粉だ」
「そ、そんな……」
俺は慌てて粉をつまんでなめた。麻薬の味はよくわからないが、片栗粉の味ならわかる。それは間違いなく片栗粉だった。
男は満足げに頷くと、警察署を出て行った。
「本当に、奴は片栗粉中毒だったのか……」
世の中には不思議な人がいるものだな、と俺は思った。
◇
非番の日。
だったのだが……俺は上司に呼び出されて警察署に向かった。麻薬の売人(?)のような奴が逮捕されたのだ。『ような』とは一体? 行ってみると、そこにいたのは片栗粉中毒の男だった。
「こいつはな、麻薬中毒者に麻薬と称して片栗粉を売って逮捕されたのだ」
「あー……つまり詐欺ですか?」
「まあ、詐欺みたいなものだな」
男は半年以上、大量の片栗粉を売りさばいてきたとか。どうして、片栗粉だと今までバレなかったんだろう? そう思ったが、話を聞いてみると――。
男は、安く麻薬を売ってくれることに疑いを持つ客の前で、自ら片栗粉をキメた。気分がハイになった男を見て、これは間違いなく本物だ、と思ったのだとか。
値段が安かったので、買った客がハイにならなくても、効果が低いんだな、としか思わなかった。後はプラシーボ効果というか、たとえそれが片栗粉だとしても、それを麻薬だと思えば、その人にとっては麻薬となりえるのだ――。
そんな馬鹿な。
片栗粉売買がバレて、警察にチクられたのは、ある客が買った麻薬(片栗粉)を使って、料理を作ったことが原因だとか。出来上がった料理を食べて、その粉が片栗粉であると気づいてしまったのだ。
阿呆くさ。
とまあ、そんなわけで、逮捕された男は刑務所にぶち込まれた。彼は刑務所で自らの罪を懺悔しながら、片栗粉中毒の禁断症状と戦う日々を過ごしている。片栗粉くらい、毎日差し入れてあげてもいいじゃない、と思わなくもない。