水の町ロドイ⑩
『さあ、神の裁きを始めようか。ぐっぐっぐ!!』
低く、くぐもった声でその怪物になったディールドは言った。
理性も残っているのか……。本能で動くだけなら幾らかやりようはあったんだけど……。
俺は弱気になって、仲間を見た。
しかし、ユリアもエキもダメージを受けて苦しそうにしつつも立ち上がり化け物へと構えている。ティイも同じだ。ヨダも傷を押さえつつ逃げようとはしていない。
どうやら及び腰になっていたのは俺だけだったらしい……!
俺はそれに勇気を貰った。
そうだ。負けるつもりで戦ってはいない!
俺たちはこいつを倒してこの町を取り戻すんだ!!
俺はもう一度気合を入れ直してディールドの化け物に向かい合った。
くっ、やっぱりでかいな……!!
「よお!! 面白そうなことしてるじゃないか!」
と、急に大きな声で部屋の中にその言葉が響く。みんな部屋の入口を見た。
「私も混ぜてくれ」
そこに現れたのは、
「ケット!!」
「アルア、リディも……!!」
「リディ!! ケット、アルア、助け出してくれたのね!!? ありがとう!!」
みんな口々に声を掛ける。ユリアもリディの無事に安心したようで彼女らに感謝を述べた。
俺たちの残りの仲間が来てくれた!
「心配を掛けたみたいね……。でもほんと、ゴイルナに襲われる寸前にケットとアルアちゃんが来てくれた時は、ご先祖様に感謝したわ! もちろんあなた達にもね!」
「どちらにしろお前の性根がゴイルナ如きに修正出来るわけがないがな、ははは!」
彼女らはこの場においても軽口を叩いている。まったく、頼りになるな。
『ぐっぐっぐ、わざわざ生贄の数を増やしに来てくれるとは、殊勝なことよ……!』
ディールドが余裕を見せて言う。だが俺たちの士気は確実に上がったぞ!
「………きさまか?」
『??』
細い声で小さく呟かれた声が、何故かはっきりその場にいるみんなの耳に届く。
一人のまじめな少女が、ここの状況を瞬時に的確に把握して、怒りに達していた。
一見か弱い少女から発せられる怒気に、化け物も何かを感じたのか、彼女に注目する。
「きさまが、レブワーさんをそんな目に合わせたのか!!!」
き、きさま!??
「許さない、細切れにしてロンコの餌にしてくれる!!!」
アルアが化け物に向かって叫ぶ。ちなみにロンコと言うのは家畜の一種だ。
『誰にものを言っているのだ? 小娘? この私を細切れにするだ…… ぐぎゃあああ!!?』
喋ろうとしているディールドの片目に、信じられない早業でアルアが放った鉄杭が一撃で刺さる。さすがにそこは強化されていないらしく、化け物は顔を抱え情けない悲鳴をあげた。
「口を開くな、下郎!」
アルアが凄みのある声で言う。うわーこの子怖い。怒らすのやめよう。
「ふはは! 私にも獲物を残してくれよ、アルア!!」
ケットはそう笑って、ディールドへと歩み寄る。その手には見た事が無い、身の丈ほどもある太く長大な剣が握られていた。
「え? どうしたんだ、あの剣!?」
俺は思わず素っ頓狂な声で聞く。
「ああ、あれ? なんか収監所で保管所から私の持ち物取り返してくれる時に見つけて、気に入ったみたいで勝手に取って来たみたいよ? 本当にジャリアン気質と言うか」(ジャリアンはメジャーな物語のガキ大将)
疑問に思った俺にリディが説明してくれる。
すごい剣だけど人間にあれが振れるのか!? でも何故かケットには初めから彼女の持ち物だったかのようにぴったりだ……!
「せやああぁあ!!」
すでにケットと化け物の対峙は始まっていた。
「!!!」
ケットは剣の重量など物ともせず初めての得物とは思えないほど自由自在に剣を繰り出す。
その姿に剣を使う人間はみんな息を飲んだ。
だが化け物はケットの打ち込みを腕周りのとげでいなしながら反撃を放つ。それをまたケットは大剣で受け止めまた斬り返す! その攻防はとても現実の光景とは思えなかった。
す、すごい。強いとは思っていたが得物が合うとここまで凄いとは!!
まさに水を得た魚、いきなりであんな化け物とやり合うなんて!
「私もアルアちゃんのおかげで回復したし、働かないとね!」
そう言ってリディも颯爽と駆けて戦いに加わる。
多分ろくに休めていないだろうし万全ではないだろうが、彼女も俺が測れる強さを超えているのは確かだ。
急に飛び込んだ助っ人であったが、彼女らの呼吸は高いレベルで同調していた。
素早いリディの攻撃は大きな化け物の体にヒットはするがそこまでのダメージは与えられない。
だがリディはすばやく急所攻撃に切り替え、関節や人間の主要な器官があったであろう場所を狙う、と同時にフェイントで相手を攪乱しケットが斬り込む隙を作っていった。
「な、なんだ、あやつらの強さは。我々では遠く及ばん!!?」
ケットらの戦いを見てヨダが呟く。
下手に手出しすれば返って連携を崩すのは明らかだったので彼らは下がって見守っていた。
エキも同様に見惚れるように戦いを見ていた。
「我々の様に、日々ただひたすら磨いた武芸でもなく、大義に根差して振るう剣でも無い………。だと言うのに彼女たちの強さは、あれは、」
若干の悔しさを滲ませながら彼女らの戦いを見てエキは言った。
ケット達もあそこまで行くのはかなりの苦労があったんだろうけど、ここまで違いを見せられるとな……。
俺は言うほど練習してないけどヨダ達の気持ちは分からなくもない。劣等感は前の人生でも嫌って程感じてたからな。
だが、一人見当違いの意見の人がいた。
「あれは! まさに、友情の力よっ!! 彼女たちの強さは、固く、熱い友情の誓いから生まれているんだは!!!」
キラキラした目でユリアが尊んでいる。まあ、そういう見方もあるのかなあ。
「リディさん!」
アルアが後方から何本もの鉄杭を放ちながらリディの名を呼ぶ。その鉄杭は敵の足の関節目掛けて飛び、そこに刺さった。だが杭は決して深くは刺さらずダメージと呼べる代物では無かった、しかし、その杭達をリディが全身のばねを回転させ勢いを付け、思い切り蹴り込んだ!!
「うおりゃああ!!」
『ぐお!?』
ディールドの巨大な膝の皿のすぐ後ろに、鉄杭が深く刺さる! あれは痛そうだ!
足に損傷を受け、ディールドは体を支えきれず、ぐらっと態勢を崩した!
そこに、
「もらったぞ!!」
ケットが思いっきりフルスイングで剣を振り切った! 俺なんかのへなちょこ斬りとはわけが違う完璧な斬り込みだ!
刃は化け物の胴に袈裟斬りに深く長い傷をつけた!
『ぐおああああぁぁ!!』
怪物と化したディールドの体から、勢い凄まじく黄色い血が噴き出す。
さらにケットは容赦なく、胸をその長大な剣で刺し貫いてとどめをさした。
俺たちが数人がかりで苦労した相手が呆気なく倒された事に驚いたが、
今度こそ決着だと誰もが理解した。
「アルア、早く、早くレブワー叔母さんを!!」
ティイがアルアに彼女らの探し人の治療を促す。
「は、はい! 姉さん!!」
アルアはレブワーに向かって走り出した。
『ハア、ハア、な、何故だ。神の、神の力を手にした私が、なぜ、敗れるのだ……』
床に組み敷かれたディールドは息を切らし、何かぶつぶつ言っている。
「観念しなさいディールド。あなたの逃亡遍歴もここで終わりよ」
リディが彼に言う。
姿はもう人間では無くなっているが、リディはあくまで人として彼を扱った。
『い、いやだ……俺は捕まりたくない。俺は誰よりも優れた人間なんだ……!』
ディールドの心はすでに折れてしまった様だ。
矮小にただ保身的に自分の精神を守ろうとしていた。
その男の目に、レブワーの元へと駆け寄ろうとする小さな女の子の姿が目に止まった。
アルアは叔母の元へ向かおうと、ディールドらの後ろへと脇目も振らず急いだのだ。
『うわああああ!!』
突如ディールドは何の見栄も無く無様に動く。
確かにもう怖い存在では無くなっているが、巨大な体躯を止める事はいかな女戦士でも不可能だった。
ディールドは走るアルアへと腕を伸ばし、その小さな体を鷲掴みにした!
「きゃあ!?」
「アルア!!」
『う、動くな!! このムスメを殺すぞ!! すぐに、港に向かう馬車を用意しろ、それから、金だ! 1千万エルドも用意しろ!! 早くしないとこのガキがどうなっても知らないぞ!!』
やつはアルアを人質にし、ケット達から距離を取るために少しずつ壁際へと向かって行った。
「………。救いようが無いな」
「地の底まで落ちたわね。かつては一国の警察局実働部隊長にまで登り詰めた男が」
ケットとリディが心底諦めた様に冷たく言った。
だが彼女らが諦めたのは、ディールドを一人の人間として扱うことをだった。
俺も同じ気分だから分かった。
自分でも上手く理解出来ないのだが、その元人間だったものにアルアが蹂躙されたのを見て、
自分の中で何か初めての現象が起こった。
俺は自分でも何してるのか分からないまま、一歩ずつ前に出た。
ケットとリディの横を通る時、彼女らが小声で何か作戦を立てていた様にも思えたが、俺の意識までは届いてこなかった。
俺は化け物に言った。
「おまえ、自分が何をしてるのか分かってるのか」
『? なんだお前。お前なんか相手にしていない! とっとと外に逃げて馬車の用意をさせて来い!!!』
「リックスさん! 皆さん! 私に構わず、こんなやつ、早く捕まえて下さい!!」
アルアが叫んでいる。
ティイやみんなも何か言っているが、よく頭に入って来ない。
「とっとと、アルアを離せよ。アルアに傷の一つでも付けたら、ただじゃおかないぞ!!」
俺は奴の足元まで来た。
『ぷっ!! くはははは!! ここで一番弱いお前が、何を粋がってんだ?? 今の手負いの私なら自分でも何とかなると思いあがったか!! お前など!!』
奴はアルアを掴んでいない方の手を振り上げた。
俺にはこの手を振り払えるほどの腕は無いかもしれない。それでも、今は気持ちで引くわけに行くか!!
例え殴り潰されても、絶対に立ち上がってアルアは救う!!
そいつは腕を振り下ろし、俺は自分に落ちて来る巨大な腕を見据えた。
「「リックス!!」」
「リックスさん!!!!」
だが奴の拳が俺に触れることは無かった。
その腕は宙で止まっていた。その術は何度も見たが、今のそれには嫌な魔力は感じられなかった。
「ア、アルアを…お願い!!」
初めてその人の声を聞いた気分だった。
「レブワーおばさん……!!」
拘束の魔力は弱弱しくすぐにも消えそうだ、
きっと本当に死力を尽くすつもりで魔法を使ってくれたのだ……!
『ちぃ!! 死にぞこないが! また邪魔をするのか、全く生きていても死んでも毛ほども役に立たない女だ!』
そう苛立たし気に言い、もう一つの手にも力が入ったのかアルアが苦しそうな声を漏らす。
「うぐぅ…!」
アルアの苦痛の声に俺の中の怒りが頂点に達する!
「人を…!」
その時レブワーが気を失ったのか化け物の腕が魔法から解き放たれる、またこいつが襲い掛かって来るか。しかし今の俺にはそんなことどうでもいい!!
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろおおおお!!」
俺は飛び上がった。
自分でも驚くほどの跳躍、そして、剣を奴の脳天へと突き刺した!