水の町ロドイ④
町の高級住宅地に入り、植樹の林道に来た時、リディが慎重に俺たちに振り返る。
「………誰も見ていないわね? よし。ここからはこの林を越えて屋敷の裏に回りましょう。屋敷の周りは常に厳重に警護されているそうだから」
「そうね、 エキが昨日そう言っていたわね…!」
ユリアが地図を見て言う。
ずっと元気が良かった彼女も少し緊張して来ているようだ。
屋敷の裏には日に数度しか見回りが来ないとも言っていたな……。
屋敷の窓はどれも格子がはめてあり窓からは入れないという。
そこでリディたちが目を付けたのが、下水溝だった。
「このロドイの地下には海まで伸びる空洞があるらしい。それを利用して、町に張り巡らせた下水溝をその空洞に繋げて、下水を海まで流しているそうだ」
昨日の宿屋で見張りに行く前にエキと言う人がそう話していた。
「以前は糞尿は別に肥料として農民が使っていたそうだが、町が市民章を持つ金持ちばかりになってからは皆それもやめて下水に垂れ流しているらしい……」
エキは忌々しげに言う。
「まあそれは別として、町には下水溝が流れ市民はそこに汚水を流している。普通の家にはもちろん糞尿を流せるようなトイレは無いが、ボロッゾは特別に自分が住む屋敷のトイレや風呂に、汚水を直接流せる水路を通らせたらしい……。なんでも娘の要望らしいが」
その下水路は清掃も必要なので屋敷内まで人が通れるくらいの広さはあるそうだ。
エキは自分の目で調べたという。
その話を聞いて、リディの目が怪しく輝いた。
エキって人もさすがにその発想は無かったみたいでちょっと引いてたな………。
「大丈夫よ! 水は常に流れているみたいだし、そんなに汚くないかも知れないわよ!」
うう、田舎育ちの俺でもそれはちょっと抵抗あるな。
一緒に行くユリアも当然嫌がるだろうと思ったが、
「知ってるわ! 冒険に汚れることは付きものなのよね! よし! 頑張りましょう!」
何故そんなにこの人たちは前向きなんだろう。
そんなわけで俺たちはその屋敷に通じる下水溝に向かっている。
屋敷の裏に下水溝が通っているそうだが、もちろん直近だと発見される可能性があるので、屋敷から少し離れた場所から下水溝に潜る手筈だ。
静かに葉音を鳴らさないように急ぎ、屋敷の裏手から離れた場所に来た。
辺りに人の居ないのを見計らい、近付くとそれはすぐに見つかった。
「これかしら……」
ユリアが地面に敷き詰められた木の板を見て言う。
これが下水溝か、確かに人一人入れそうなくらいの幅はある。
「打ち付けられてはいないわね。板をどけましょう」
物音を立てないように蓋板をゆっくり剥がして横に置く。
俺は中を覗いた。
深さはこちらで言うと5ラン、前の記憶の基準で言うと1メートル弱くらいだ。
さわさわと水が流れていて特に汚水と言う感じでもないが、壁面は多少なりと汚れている程度だ。
これなら通れないことも無いかな。
「それじゃあ、行ってきます!」
ユリアはドレスの裾を短く切って、躊躇無く一人で中に入って行こうとした。
それをまたリディが慌てて止める。
「ま、待ちなさい!! ダメよ、こ、ここは一人では行かせられないわ!! 市庁舎とは訳が違うのよ!」
「ええー!? さっき約束したじゃない、次は絶対私が行くって!」
ユリアは怒る。
「分かってます。だから一緒に行きましょう? 危険があっても2人なら対処も出来るでしょう」
「2人……、まあそうね。分かったわお願いするわ!」
彼女はすぐ納得した。
物分かりが良いというか切り替えが早い子だな。
リディも服の裾を結んで短くする。
「それじゃあ、リックスくんは身を隠しておいてね。ケット達が来たらしばらく待機するように伝えて」
そして2人は下水溝に潜り込んだ……、
「いや、俺も行くよ」
計画には無かったが俺は言った。
「え!? ……ううん、その必要は無いわ。あなたはここで待ってて…」
「さっきの建物と違って、こっちは警備も厳重だろ。あんた達だけ危険な目に合わせるなんて出来ないよ。足は引っ張らないからさ、俺も力になるよ」
俺は有無を言わさず中に入った。
そして蓋板を閉じていく。
「リックスくん……!」
リディは困ったような声を出しているが、そこまで怒ってはいないかな。
「頼もしいわ…リックス! 共に頑張りましょうね…!」
俺たちは下水溝を進み出した。
前方が緩やかに上り坂になっている。
水の深さは直立だと膝下くらいだが身を屈めると腰が浸かるくらいはある、流れも見た目より早いので進むには手足で踏ん張る必要があった。
水の流れる音もあるので俺たちが漕ぎ進む音はそんなには気を使わなくていいと思う。
黙々と進む。
10分ほど進んだ、もう屋敷の内部には入ったはずだ。
蓋板から漏れる陽の光も弱くなった。
と、俺たちが行く先の、蓋板から漏れ入る光が、妙に強くなっているのが最後尾からでも分かった。
リディはそこの下で立ち止まり、上の様子を窺う。
そこからは小さく誰か女性の歌の様なものが聞こえた。
「この匂い…、そっか、ここは……」
リディは何か呟くと、すぐ上の板をゆっくりと開けた。
「………大丈夫そう。上がりましょう」
彼女は確認をして、俺たちにそう合図する。
そして順番に上にあがると、そこにはピンクと白のタイルを壁と床に敷き詰めた広い部屋があった。
広がる香料の匂い、ぱちゃぱちゃと水音がする。
ここは、浴室か。
「にゃーにゃにゃー♪」
間抜けな鼻歌の声が聞こえる。
部屋の曇りガラスの大きな仕切り板の向こうに、誰かが居る。
もしかして、あの壁の上でいたずらしていた、ボロッゾとか言う男の娘だろうか?
見ると着換えらしい服がある。隠してやろうかな。
「しーっ……」
リディがそうジェスチャーをして指を指し、俺たちは部屋の出口に向かった。
まさか人が居る場所から侵入するとは……まあ便器から出るよりはずっといいか。
静かに浴室から出る。
「ふー、緊張した!」
ユリアが小さな声で楽しそうに言う。
「ふふ! ……あ、先にこれを渡して置くわ」
そう言ってリディはスカートの裾の隠しポケットから何か取り出し、俺たちに渡した。
それはハンカチ程度の大きさの、ぬめった感じの不思議な布だった。
リディが説明する。
「これは海獣の毛皮よ。帰りはこれを使いましょうね! きっと楽しいわよ」
? 何に使うんだろう。
ユリアも不思議そうにリディの顔を見る。
だがリディは愉快そうにして何も教えず、先を急がせた。
「さ、ボロッゾの部屋を探しましょう」
エキの書いた地図に、重要書類がある可能性が高いボロッゾの書斎は2階にあると書いてある。
広々とした屋敷内は足音も響くくらいに静かだ。
時折り仕事をしている使用人を見かけるが、家の中に兵士の姿は見えない。
これなら強敵と鉢合わせにはならずに済みそうだと俺は内心安心した。
俺たちは静かに動いて階段を見つけ、上階に上る。
大きな廊下には沢山の部屋が並んでいるが、リディは大体の見当を付けて部屋を覗いて行く。
エキ情報では、ボロッゾの嫁は海外でバカンス中で、現在この家にはボロッゾと娘、そして10人ほどの使用人が居るらしい。
幾つかの部屋を覗いた後、一つの大きな部屋の前に来た。
その部屋の扉は開いたままになっていて、その中から微かに声が聞こえる。
先行しているリディはゆっくり中を覗く。
「はあ~、きもちえ。あ、そこもっと、もっとぐっとやるのじゃぁ~」
間抜けな声が中から漏れて来る。
一体誰だ? …………。
いや、この家でこんな声出しているのは主人のボロッゾくらいか。
リディは少し様子を窺うと、さっと扉を過ぎ向こうに渡った。
ユリアも同じく機会を窺って廊下を渡る。
俺も同じ仕草で行き過ぎようとした時、一瞬中を盗み見た。
そこでは、大広間みたいな広い部屋にポツンと置かれた寝台の上で、小さい男が屈強な使用人にマッサージを受けていた。
「はえ~~た、たまらんのぉ~~! この世の天国じゃあぁ~~!」
昼間っから娘は風呂で親父はマッサージか。まったく良い身分だ。
幸い使用人もこちらを見る様子は無い。
俺は静かに廊下を渡った。
「あったわ! 書斎はここね…!」
一つの部屋を見て彼女が言う。
俺たちはその部屋に入った。
俺は部屋の扉を少し開けたままにして、誰か来ないか見張る。
まさか自分がこんな事をする日が来るなんて………。
その間に2人は証拠になる書面を探す。
そして数分後、
「リディ、これは?」
ユリアが何か見付けたのかリディに見せている。
「………、そうね、これは証拠になるわね!」
書類に目を通したリディは納得したようだ。
その後もう少し探してもう何点か書類を持ち出していた。
そしてリディはそれを防水処理されてるらしい小物入れに小さく畳んで入れて、早々に俺たちは屋敷を出ることにした。
部屋を出て一階に向かう。
俺はすっかり上手くいったと思い込んで急ぐ足取りも軽く廊下を過ぎ、階段を降りていく。
だがそうは上手く行かなかった。
(しぃ! 止まって!)
しかしその時、先を行くリディが注意して俺たちを止めた。
俺たちは慌てて階段の手すりの陰に身を屈める。
そっと見ると、階段の下に待ち構える数人の姿があった。
鎧を着こんだ衛士が3、4人は居るようだ。
他にも長いローブを着込んだ女の姿もあった。
「隠れても無駄よ。出て来なさい、コソ泥達……」
女の声がそう言う。
!?
すでに俺たちの存在はばれているようだ。
泳がされていたのか?
屋敷の主人や娘は無防備にしていたけど、彼らは知らされていなかったのだろうか……。
俺たちは視線を通わせてどうするか考える。
ユリアはやる気満々で、正面から立ち向かう気の様だ。
でもリディは少し神妙な顔を浮かべ考える。
そして、リディは俺たちに一先ずその場で待つ様に言う、一人で彼らの前に出る気らしい。
(そんな! 危ないよ!)
俺はリディを止めようとした。
が、リディは俺を軽くハグし、安心させるように言う。
(任せて。でも、万が一の時は、ユリアちゃんをお願いね?)
俺はまだ止めようとしたが、その間も無くリディはすっと立ち上がりやつらの前に姿を現して話し掛けた。
「こんにちは~。あら、あなたは、ゴイルナのお友達の方じゃない? まあ~、もうゴイルナは見限って、こちらにお厄介になってるのかしら?」
ん?
リディはまるで知人がいるように声を掛ける。
ゴイルナの友達?
「……、ああ、あなただったの」
女が答える。
あの女が知り合いなのか?
ゴイルナの友達………、ゴイルナってあのノンビから逃げたって言う盗賊の頭だよな……。
!?
じゃあもしかして、あの女が、ティイとアルアの探してる人なのか!?