第8話:再び廃屋にて
廃屋へ戻ったソルベロイは抱えていたレイチェルとアレミラの二人を床に下ろす。
レイチェルは衰弱しきっているものの、呼吸は落ち着いていて直ちに命に関わる状態では無さそうだ。だがもう一方のアレミラは失血がひどく、脈も取れない程の瀕死な状態。早急に何かしらの処置を施さなければ、僅かに残った命の灯も消えてしまうだろう。
アレミラのこの状況は、レイチェルに対する非道な行いへの代償としてソルベロイが自らの手で至らしめた行為の結果だ。
しかし、どういう訳か被害者であるはずのレイチェルはソルベロイに止めるように訴えたのだった。ソルベロイにその意図は理解出来なかったが、ここはレイチェルの意思を尊重すべきだと考えていた。
「あれだけ必死に止めに入ったんだ……死なせてしまったらレイチェルに合わせる顔が無くなってしまう。どうか入っていてくれ!」
ソルベロイは帝国衛生兵の鞄の中身を探る。
当初サバラで買い付ける予定だった青の薬液入りの瓶が並び、その横にお目当ての薬瓶を発見した。
それは赤い薬液の入った瓶。生命力を直接回復させることが出来る非常に貴重な魔法の薬だ。ただし本数は一本だけ。
レイチェルに使ってやりたい気持ちを抑え、ソルベロイはアレミラの抉れた大腿部にゆっくりと薬液を垂らしていく。
魔術による治癒と同様、内側から肉が盛り上がり傷口を塞ぐ。ただし傷が深かったため完璧な治癒とまではいかず、神聖術を使用しない限り歩くなどの本来の動作もままならないだろう。
「とりあえずはこれで良し。だけど体が冷え切ったままだな……やむを得ないか」
華奢で子供のようなアレミラの体を持ち上げ、ソルベロイはあぐらをかいた脚に乗せて上から毛布を被せた。少しでも体温を失わせないようにするための措置だ。
次にレイチェルを抱き寄せ、自身の肩口に持たれ掛けさせる。レイチェルの意識は未だ失ったままだが、傷を癒やすためにも早く魔力を回復させる必要があった。
そこでソルベロイは青の薬液を少量口に含む。
形容し難い酷い味が口の中いっぱいに広がり、ソルベロイは顔を歪めた。食人鬼の特性上、覚悟してたことなので吐き出さずになんとか耐え、それを口移しで少量ずつレイチェルに注いでいった。
時間をかけ薬瓶の半分ぐらい飲ませたとき、レイチェルに反応があった。
「んっ……ロ……イ?」
「良かった。自分で飲めそうか?」
「うぅん。もっと……ちょうだい」
物欲しそうな瞳はおかわりを求めていた。
薬液の耐え難い味が強烈過ぎて、レイチェルの柔らかい唇を楽しむ余裕すら無かったソルベロイとしては自力で飲んで貰いたいところだ。だがレイチェルの受けた苦痛を考えれば希望に応えてやりたい気持ちにもなる。
その後レイチェルは薬液を飲み干し、十分に時間をかけたおかげもあってか既に魔力は治癒魔法を発動させられる程度に回復していた。
魔法の発動に伴いレイチェルの全身が仄かに発光する。全身の火傷はみるみる内に修復され、本来の綺麗な肌へと戻っていった。
これでレイチェルの方も一安心だ。
あとは燻っている疑問を解消するためにレイチェルへ尋ねなければならないのだが、ソルベロイは中々踏ん切りがつかないでいた。やはり、レイチェルの意に沿わないことをしてしまったのではないかという恐れがある。
そんなソルベロイの悩みを知ってか知らずか、レイチェルは甘えた様子で腕に体を預けていた。
「ねぇ、ロイ? 私のために戦ってくれたんだね。ありがとう」
「あ、ああ。レイチェルの敵……で良かったんだよな?」
「ええ、そうよ。アレミラ・ヴァル・ロギナータ……覚えてない? 何度か仲間に入れてくれと直談判しに来てて、今は東の軍姫と呼ばれてたわ」
「言われてみればそんなこともあったか……それがなぜレイチェルにあんなことを?」
「嫉妬と逆恨みかしらね。私からロイの情報を無理矢理聞き出そうとしたのよ」
「……俺のせい、だったか。済まない……また巻き込んでしまったんだな」
心が痛む。
レイチェルに対する罪悪感は募るばかりだ。
「うぅん。気にしないで。誰があんなやつにロイのこと教えてやるもんですか!」
「じゃあ、なんであのとき俺を止めようとしたんだ?」
「あぁ! えっと、その……ロイには私以外の人を食べて貰いたくなくて……それでつい。……ロイ? 食べてないよね?」
「へ? い、いやぁ……」
伏し目がちに恥じらうような仕草でレイチェルは疑問に答えてくれた。
実はレイチェルを傷つけた犯人ではないとか、重要な情報を持っているとか、そういう可能性を考えていたソルベロイにはまるで想定外の答えだった。
しかもレイチェルの期待に反し、既にアレミラの肉を口にしてしまった後だ。
「……そっか。食べたんだね。うぅん、実は分かってたの。私以外の女の臭いがするから、きっとそうなんだろうなぁって」
「…………」
背筋に冷たいものが走る。
目の前のレイチェルは変わらず側にいるのに、同一人物とは思えない。
「でも、もう二度と私以外食べないって約束してくれるなら許してあげる! それで……殺したの?」
「…………いや」
女心の理解に自信がないソルベロイであっても、流石に分かる。この状況は非常にまずい。
「そう……厄介ね。執念深い女だから、私が助け出された状況から食人鬼の正体がロイだという事実に辿り着いてしまうかも。顔も見られてるのよね?」
「あ、ああ……」
「そうなると帝国全域、王国や聖教国に情報が伝わるのも時間の問題ね。まだ元の体に戻る手がかりも掴めてないのに……ロイ?! すごい汗よ! 大丈夫?」
焦りは極限に達していた。ソルベロイの判断は完全に誤りだったのだ。
アレミラを助けてしまったこと……これはまだいい。彼女を始末し、勘違いからの行き違いであることを丁寧に説明すれば解決する。
問題はその命を救うために、こうして今もあぐらをかいた脚の上で丸まっていることだ。この状況をレイチェルが知ったらどのように解釈するだろうか。想像するだけで震えがこみ上げてくる。
しかも伝わってくる感覚から、足元のアレミラは既に目が覚めている様子。機を窺ってるのか幸運にも今は息を潜めてくれていた。
ソルベロイは悟られないよう、苦し紛れの言い訳を必死に捻り出す。
「な、慣れない体で動きすぎたせいかな……実はちょっと動けそうにないんだ……」
「えっ! ごめんなさい、私全然気付けなくて……わかったわ、今度は私が看病する番ね! ちょっと待ってて。使えそうなもの探して、あとお水を汲んでくるから」
奇跡的にも千載一遇の好機がやってきた。証拠隠滅を図るなら今しかない。
少しよろめきながらも部屋を出ていくレイチェルを見送り、十分に距離が離れたことを確認したソルベロイは膝の上の毛布を払い退けた。
そこには予想した通り、目を覚まし小さく丸まったアレミラが収まっていた。見上げてくる瞳に敵意などは感じない。
改めてレイチェルを害した相手だと確証を得た今、躊躇する理由は何も無い。禍根を残さないためにもこの場で殺すのが最善だ。
頭ではそう理解していたソルベロイだったが、その小さく可愛らしい姿を前にその意志は揺らいでしまっていた。
これも感情が戻ったことで生じたソルベロイ本来の甘さなのかもしれない。
アレミラを脚の上から下ろすと、そんな内心の動きを気付かれないように声を固くし語りかける。
「……聞いてただろう。俺はお前を仕留め損なったことになっている。見逃してやるから俺達の前に二度と現れないでくれ」
「待ってください! 本当に、ソルベロイ様なのですね……」
「もう、皆が知るソルベロイはいない。さあ、俺の気が変わらない内に行ってくれ!」
こんな会話を聞かれる訳にはいかない。レイチェルが戻ってくる前に出て行ってもらいたいソルベロイの願いに反し、アレミラは動こうとしない。
「……私も一緒に連れて行ってください。必ずお役に立ってみせますので!」
「駄目だ! というか、頼むから早く出てけ!」
「嫌です! 私は貴方様の力になりたくて今まで努力して参りました。軍姫にだって、権力を持てば貴方様に近づける手段になると思ってのこと。お許し頂くまで死んでもここから動きません!」
またしてもソルベロイの想定外の事態が発生した。
情けを掛けて逃がそうとすれば、喜んで応じてくれると期待していたがその通りにはならなかった。
アレミラの瞳は真剣そのもの。純粋にソルベロイを慕う心が伝わってくる。
押し問答をこれ以上続ける時間はない。このままでは本当に最悪の状況に陥ってしまう。
にっちもさっちも行かず、もうアレミラを窓から放り出すしかないとそう思った矢先、背後で落下し床を濡らす水の音が聞こえた。
「ロイ……? どういうこと……なんでそいつがここにいるの……?」
恐れていた事態が現実のものになってしまった。
「カーライルさん、私は――」
「あなたには聞いてない! ロイ? 早く説明して」
「れ、レイチェル、落ち着いて聞いて欲しい。俺は言葉の意味を勘違いして、死なせてはならないのかと思い一緒に連れ帰ってしまったんだ。その……言い出せずにいて済まない!」
ソルベロイは勢いよく頭を下げる。
隠していたつもりはないが、今までどこに潜ませていたかなど洗い浚い全てを語れば火に油を注ぐことになるのは明らか。簡潔に伝えてレイチェルの審判を待った。
「そうだったのね……仕方ないわ、私も言葉が足りなかった訳だし、ロイだけの責任じゃない」
「レイチェル……ありがとう、分かってく――」
「状況は大体理解したわ……じゃあ、ロイ。今この場で殺して」
「えっ、そ、それは……」
「……出来るよね? まさか、その女に情が移っただなんて言わないよね?」
レイチェルに明らかな動揺が見て取れた。祈るような顔には不安の色が浮かんでいる。
視線をアレミラに移す。こちらも祈るようにソルベロイを見上げていた。ただ、そこにあった色は不安ではなく希望。
さらにレイチェルに見えないように片目を瞑り、合図を送ってくる。
「ソルベロイ様に殺されるなら本望です。ですが、その前に聞いて欲しいことがあります。お許し頂けませんか?」
レイチェルを横目で窺うが、アレミラの覚悟の前に口を挟む様子はない。
「……何だ?」
「ソルベロイ様は何らかの原因で悪魔の姿になってしまったということですよね。でしたら、元の体に戻る方法に心当たりがあります」
「ほ、本当か!?」
「まって! そんなの苦し紛れの嘘に決まってる!」
アレミラはレイチェルへ向き直り冷静な口調で話を続ける。
「私は嫉妬に狂い、貴方に酷いことをしました……この通り謝罪します。とても許してもらえるとは思わないけど、ソルベロイ様を想う気持ちは私も一緒。全てを投げ売ってでもお役に立ちたい! その気持に偽りは無いし、ソルベロイ様を騙すつもりは一切無いわ。どうか信じてください」
両膝と両手、そして額までもを床に付けてアレミラは懇願した。
「そんなの……信じられない」
「それに貴方からソルベロイ様を奪おうだなんて、もう思いません。一番は譲りますので、ほんの少しだけお情けを頂ければ私はそれで満足します」
「お、おい……」
「ちょ、ちょっと何を勝手に言ってるの! ダメよ。誰一人として、ロイには触らせないわ!」
「……束縛がすぎると男は逃げてしまうそうですよ。特に英雄は色を好むとも言いますし……ね? ソルベロイ様?」
「えっ……そ、そうなの?」
決死の覚悟の賜物か、いつの間にか話の流れはアレミラが掴み始めていた。
「ふ、二人ともちょっと待て! 話が逸れてる……元に戻る方法、あるんだな? 教えてくれ」
「はい! ソルベロイ様。実は――」
アレミラの話は一般人ではとても知り得ない情報を多分に含んでいた。
その説明を聞き終えたソルベロイは大きく頷く。
「なるほど。確かに危険もあるが、今はそれに頼るのが一番現実的か」
「その話が本当なら、でしょ」
「私のソルベロイ様を愛する心に誓って本当です!」
「何よそれ。口だけならどうとでも言えるじゃない」
「それなら私の愛が本物かどうか、この身で証明して見せますっ!」
「ちょっと! なに脱ぎ始めてるのよ! ロイも見ちゃダメっ!」
「……分かったから、二人とも少し落ち着いてくれ」
その日、辺境都市サバラは魔物襲撃事件以来の大騒ぎとなった。
そして壁外の廃屋の中でも別の大騒ぎが起き、それは夜更けまで続いたのだった。