第7話:悪魔の所業
雷撃の直撃によるけたたましい音が鳴り響く。
それと共に現れた少女は怒りに震えていた。
「あんた達……たかが雑魚一匹になんて被害出してるのよ!!」
「し、しかし! あの悪魔、我々の知る食人鬼と訳が違います!」
「言い訳してるんじゃないわよ! あぁぁーーもう! 私の滞在中に、しかも基地内で! あの御方にも会えずじまいだし本っ当に最悪!!」
「ぐ、軍姫様……」
「何よっ! 私機嫌が悪いの。わからない?!」
「い、いえ! こちらに向かってきてます……」
軍姫アレミラは兵士の指差す方向に振り返る。そちらは死んだ兵士と丸焦げになった悪魔しか居ないはずだった。
「お前だな……」
ゆっくりと、正面から歩いてくる悪魔に損傷を受けた様子は無い。
「なるほどね。確かにただの食人鬼では無さそうだわ。あんた達少し離れてなさい」
「軍姫様が戦われるぞ! 退避ーーッ!!」
兵士達は怪我人を引きずり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「私の雷撃を耐えたのは褒めてあげるわ。死体を食べて回復したのかしら? 食人鬼の回復力って凄いのね。だけど、次はそんな隙き与えない。この落とし前しっかりつけてもらうわ!」
アレミラの体は青白い放電の輝きに包まれていく。さらに体の周囲を旋回するように大蛇を模した稲妻が三本出現した。
「本来、食人鬼ごとき一匹にここまでするのは大袈裟だけど、サービスだと思って受け取って頂戴ね」
アレミラの杖を振るう動きに合わせ、大蛇の内の一体が地面を這う。大蛇を模しているのは姿だけで、その速度は目で追いきれる速さではない。当然、それを避けることは不可能なはずだった。
しかし、悪魔は横方向に体を反らすことでこれを回避する。
「なっ! でも、まだよ!」
予想外の事態に驚きを隠せなかったアレミラだったが再び杖を振るうと、大蛇は進路を変え悪魔を追従していく。
切り返し切り返し、悪魔は避け続けた。だがそれも長くは続かず、遂に大蛇は悪魔を捕らえ、内包した雷撃の爆発とともに光りを撒き散らす。
「やった!」
アレミラにとってもここまで大蛇を避けられたことは無かっただけに、安堵の声を漏らしてしまった。
しかし、それもつかの間。
目の前に立つ悪魔からは皮膚の焦げた煙が少し立ち上るだけで、憎しみの籠った瞳は未だアレミラを見据えたままだった。
「うそ……でしょ」
「レイチェルをやったのは、お前で間違いないな」
「えっ……あの女と悪魔に何の関係が……まさか、悪魔召喚をしたとでも言うの?」
「答える必要はない。お前に……地獄を見せてやる」
悪魔は一歩一歩、力強い足取りでアレミラとの距離を縮めていく。
「調子に乗るなよ、悪魔風情がっ!!」
放電が一際激しさを増し、大蛇が追加で五体出現する。さらにアレミラの頭上には拳大の雷の球が形を成していった。
アレミラは杖を振り大蛇を悪魔に向かって次々とけしかけていく。
直撃による爆発が立て続けに起きるが、悪魔の歩みは止まらない。
「……なんで倒れない! 来るなっ! 止まれっ!!」
大蛇を全て失っても悪魔は止まらなかった。彼我の距離はもう半分以上縮まっている。
「ば、馬鹿め! こっちが本命だっ!!」
アレミラの頭上にあった雷の球は、拳の大きさから人の頭ぐらいの大きさまで膨張していた。
それを杖で操作し、悪魔に向かって放つ。
雷の球がアレミラの杖を離れて悪魔に接触した瞬間、膨大な光が吹き上がった。
どんな暗黒も白く染まるようなその光の奔流は、その夜、サバラ全域を昼間のような明るさに包み込んだ。
荒れ狂う熱と光の中、アレミラは残った魔力を全て防御に回す。放った魔法が消失し、生き残ればそれで勝ちが確定するからだ。
それにも関わらず、嫌な予感を禁じ得ないアレミラは白く染まった視界が明けるのが怖かった。
直後、その予感は的中することになる。
光を背負って現れた影は腕を伸ばし、アレミラの上腕を捕らえて持ち上げた。
「ひゃあっ! このっ! 離せっ!!」
光は消失し、悪魔の腕も顔も全身の皮膚がただれていることがわかる。
それでもなお悪魔は生きていた。
もう魔力の残っていないアレミラは杖で殴ったり、足をばたつかせて抵抗を試みるが悪魔はなんら痛痒も感じている様子は無い。
悪魔はもう片方の腕でアレミラの脚を掴むと、両腕を上げて顔の前まで持ち上げていく。
その姿はまるで邪神に生贄を捧げる狂信徒の様だった。
「お、おい! 何をし……まさか、やめろぉぉお!」
悪魔は目の前の肉――アレミラの太腿に歯を立てた。
薄く色白の皮膚はその歯の鋭さに耐え切れず、すぐに赤い鮮血を吹き出した。
言葉にならない絶叫を発しながらがむしゃらに藻掻くが、強く握られた腕から逃れることは適わない。
まるで手羽先肉を食すように骨だけを残し、悪魔は肉を削ぎ取り食べていった。
肉を飲み込む度に悪魔のただれた皮膚は修復されていく。腕も脚も、そして顔も。
あまりの痛みに痙攣し、意識を手放しかけていたアレミラの目にもその様子は映っていた。
「な……んで、ソルベロイ様のお顔が……?」
「俺を知っていたか。そうさ、俺はソルベロイ……英雄と呼ばれた男の成れの果てだ。大切な俺の仲間を傷つけたお前の罪……その身で以て知ってもらおう」
口元を真っ赤に染めながら悪魔は答え、再び血の滴る肉へと食らいつく。
「ぐあっああ! うそ……嘘よ! ソルベロイ様の……ような方が……悪魔に、堕ちるは……ずが」
「別に信じてもらう必要はないんだがな……」
「たす、け……て……そる、べろい……さ……ま」
洞窟でレイチェルと再開したときのやり取りに似ている気がした。
激情に任せ、本物の悪魔のような非道さで食い殺そうと思っていたソルベロイの熱は次第に冷めていく。
しっかりと人間の心が戻っていることの証左なのだろう。
見るに忍びない無残な姿はソルベロイに憐憫の情を抱かせた。
「……ならせめて、これ以上の苦痛から解放してやろう」
ソルベロイは腕を掴んでた脚から首に持ち替える。そのまま力を込めれば、抵抗する力も残っていないアレミラの首を落とすことは容易だ。
「ロイ……! だめっ……!!」
掠れた小さな声。
されど必死な思いを込めた声がソルベロイの耳に届く。
その声の出処はレイチェルを隠した建物の屋上方向。振り向けば、レイチェルが建物の屋上から身を乗り出していた。
その言葉を言うのが精一杯だったのか、体勢を崩して落下を始める。
「レイチェル!」
ソルベロイはアレミラを離し、落下するレイチェルの下へ駆け寄るとその身体を受け止めた。レイチェルは再び気を失っていた。
「駄目って、どういう……あいつが仇じゃないのか!?」
アレミラも既に失神し、その問に答えるものは誰も居ない。
ソルベロイは焦った。勘違いから重大な失敗を犯してしまったかもしれないと考えたからだ。
しかし、のんびりと考え込んでいる暇はない。
アレミラの失血量は既に死んでもおかしくない域に達している。それに加えて、戦闘を見守っていた兵士達が再度集まって来るのも時間の問題だ。
そこでソルベロイの出した結論は、二人とも連れて逃げる、だった。
帝国の衛生兵が戦いの場に残した薬瓶入りの鞄を背負い、両手に一人ずつ抱えて走り出す。
十分な肉を摂取出来たソルベロイの体は更に超越的な力を発揮し、城壁を軽々と乗り越えた。
そして、追手も付かせぬまま壁外の廃屋へと逃げ帰ることが出来たのだった。