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第5話:東の軍姫

 魔法はその力の根源により魔術、精霊術、そして神聖術に大別出来ると言われている。


 魔術は自身の内なる魔力、または魔力を有する物質を利用し、魔法という現象に転化させる。

 多くの人類に素質は備わっているものの、実際に魔術を行使するためには多大な努力と秀でた才能が必要とされた。一般人であれば一生かけて訓練し、手の平から火種を作る魔術一つ習得するのがやっとといった具合だ。


 精霊術は大地、森、空、水辺やその他環境に存在する精霊の力を借りて発現させる魔法。

 そもそも精霊を認識出来る者は極稀で、過去の記録にも精霊術の体現者は数えるほどしかおらず、殆ど知られていないのが現状だ。


 そして神聖術は天界に住まう神に祈りを捧げ、その大いなる御業の一端を借りることで起こす魔法。

 神聖術を扱う聖職者の多くは、魔法ではなく、神の奇跡であると度々主張している。魔術と違い神聖術は信仰心を持てば誰でも扱うことが出来るため、神聖術師の人口は多く、その集団が母体となってできた国がロヴィアノ聖教国だ。

 ただし、日々祈りを捧げ、神の存在を常に身近に感じていなければ、神聖術は力を授けないとされている。


 そんな神聖術の恩恵を多くの人々に与え、また神への信仰を流布する場所が神殿だった。


「カーライルさん、もうよろしいですよ。さあ、手を動かしてみてください」


 白い装束に身を包んだ初老の男性が優しく語りかける。


「はい。……素晴らしいです。癒しの神イニリヤ様に感謝を」

「それはよかった。これからも神の祝福が貴方にあらんことを祈っております。では、こちらに」


 レイチェルは差し出された小さな小箱に金貨を納める。その数は20枚。平凡な家庭の一年分の稼ぎと同等である。


 神殿には怪我や病気に罹った人々がやってくる。“神は貧しい者から多くを求めず”という聖教国の教えが一般的で、帝国領土内のサバラの神殿でもそれは同じだった。

 貧困層から奉納金を殆ど取らない代わりに、裕福層からは相場の数倍を要求する。実際には額面を提示される訳ではなく“お気持ちで”という建前が存在するのだが、ここで支払う額が面子に影響してくるため貴族などは喜んで払う場合もあった。


 普段であれば苦にもならない出費であったが、今のレイチェルにとっては懐が寒くなる思いだった。

 

「まぁ、背に腹は代えられないものね……」


 神殿を後にしたレイチェルが次に向かったのは商店が立ち並んだ通り。

 大きな通りに大きな店構えで大きな看板を掲げた高級店などではなく、庶民が利用する雑貨や衣類を販売する小さな店を物色する。お目当てはソルベロイに着せる服だ。

 旅で必要とされるのは繊細な細工や綺麗な刺繍よりも、丈夫で機能性が優れたもの。特に全身が覆い隠せて動きやすい物がいいだろう。


「んー……これだとロイには小さいかなぁ。こっちは素材がいまいち。綴り方も甘いわね。おっ……これ良いかも! 同じ色で私も良いのないかなー?」


 戦いの中で見せるような真剣な眼光を走らせるレイチェルだったが、口元は緩みっぱなしだった。こんなにも楽しい気持ちで買い物をしたことは今までの人生で一度も無かったかもしれない。


 その後も無事に食料や消耗品を買い揃え、背負い袋は満杯。衣類の包は両手で抱えて最後に薬屋を目指す。そこで買えるだけの青の薬液を調達できれば、ソルベロイの待つ廃屋へ帰るだけだ。


 しかし店を出て街道を数歩進んだとき、背後から後を付ける何者かの気配を感じた。


「失礼、レイチェル・メイ・カーライルさんですね?」


 振り返ると帯剣した男が二人。傷一つ無く磨かれた軽鎧の左胸にはベリス帝国正規軍を示す紋章がありありと見て取れた。


「……御機嫌よう。私に何か御用ですか?」

「お尋ねしたいことがあります。ご同行願いますかね」

「どういったお話ですか?」

「機密事項が含まれますので、ここでお話するわけにはいきません」


 レイチェルは逡巡する。

 まさかソルベロイについて――食人鬼へ変貌したことが知られたのか。

 いや、その可能性は低い。サバラに辿り着くまでに誰とも会っていないのだ。恐らくは単に音信不通になった英雄一行の動向を帝国として把握したいのだろう。

 ただその場合、真実を語るわけにはいかないので、どうにかしてはぐらかす必要がある。それに費やされる時間は一体どれほどだろうか。


 辺りには足を止めこちらを窺う人の目が増えてきていた。


 レイチェルなら突破し逃げることも可能だが、もしそうすれば帝国軍の追手がかかることは必然だ。

 何より荷物とソルベロイへの贈り物を手放すことになるのは絶対に避けたかった。


「……承知しましたわ。私にも急ぎの用がありますので、手短にお願いしますね」




 サバラ城壁内の駐屯地に入り、レイチェルが通された先は応接間だった。

 

「それではこちらでお待ち下さい」


 分厚い金属の扉が音もなく閉まっていく。完全防音の部屋のようだ。

 レイチェルの目から見てもそれなりの調度品が飾られ、机も椅子も上等な物のように思えた。


「一応持て成すつもりはあるようね」


 施設に入る際に荷物を預けさせられたことは不満だが、存外悪くない対応に胸を撫で下ろす。

 しかし、いくら待てども扉を開けて入ってくる者はいない。応接間に通すぐらいならお茶の一杯でも用意するのが普通だが、それも無い。刻一刻と時間だけが無情にも過ぎていった。


「無理やり連れてきて一体どれだけ待たせる気かしら……もう我慢出来ない」


 痺れを切らせたレイチェルが立ち上がった瞬間、再び扉が音もなく開いていく。


 姿を見せたのは扉を押さえ恭しく道を開ける白髭を蓄えた男と、やたらと胸元の開けた派手な格好をした少女の二人。

 男の方に見覚えはなかったが、少女の方は別だ。

 肩口で切り揃えられた青味がかった髪に紫の瞳。手には水晶が乗った長杖を持っている。帝国で皇帝に次ぐ実力を持つとされる魔術師にして東の軍姫、アレミラ・ヴァル・ロギナータだ。

 ただ、レイチェルの記憶では年が同じ十七歳のはずなのに、その発育具合から二、三歳は幼く見えてしまう。


「あらー? ちゃんと出迎え出来るなんて感心しちゃうわね。私が来るって告げてたのかしら?」

「いえ、アレミラ様。何も知らせておりません」


 アレミラはレイチェルを一瞥すると、そのまま部屋を横切り机を挟んだ反対側に腰を下ろした。


「ふーん。まあ良いわ。ずっと立ってられても目障りだから楽にしていいわよ」

「……では遠慮なく。ところで軍姫様ともあろう者が私に何の御用ですか?」

「そう急かさないでくれる? お茶が飲みたいわ」


 白髭の男は一礼すると部屋を出て行き、そして給仕台を引いて戻って来る。

 誰一人言葉を発さない部屋の中で、陶器の立てる紅茶を入れる音だけが響いていた。


 どちらの立場が上かを明確にするため、敢えてやっているに違いない態度だ。アレミラの性格を詳しく知らなかったレイチェルだったが、決して善良では無いことぐらいは理解できた。

 紅茶は一人分だけが用意された。アレミラはそれにたっぷりの砂糖とミルクを入れた後、わざとらしいぐらいの優雅さで口にカップを運ぶ。


「……ふぅ。貴方とは初対面だったわね? えーっと、レイチェル・メイ・カーライルさん。一応名乗ったほうが良いかしら?」

「いえ、それには及びません。それに以前、お会いしたことがあります。当時はまだ軍姫の地位に立っておられませんでしたが」

「あら、そうだったの? ごめんなさいね、昔から少し魔法が使える程度の有象無象には興味がなくて」


 安い挑発に乗るまいとレイチェルは作り笑いを維持する。


「……それで、どういったご用件でしたか?」

「貴方、ソルベロイ様の従者だったわね?」

「従者ではなく、ロイ……いえ、ソルベロイの仲間ですが」


 二人の間に置かれた机が音を立てて軋んだと錯覚するほどの殺気が部屋に満ちた。

 実際は白髭の男が一歩後ずさりした際に、足を給仕台に当てた音だけだったが。


「あ゛ぁ? お前ごときの実力であの御方の仲間を語るなんて百年早えーんだよ!!」

「今まで取り繕ってたのに、すぐに本性が出てしまいましたね? そういった面があるから選ばれなかったのでは?」

「てめぇ……この場で殺してやろうか?」


 しまった、やりすぎたと、レイチェルは固唾を飲む。つい売り言葉に買い言葉で応戦してしまったが、ここは相手の城の中。アレミラの言う通り魔法の実力差は歴然、例え剣があっても勝算は低い。その気になれば適当な罪を被せて平然とレイチェルを殺すことが出来るのがアレミラの立場だ。


「……悪かったわ。訂正します。私を含め既に魔術師が二人がいた事もそうですし、英雄に相応しい仲間を選定してたのは王国の上層部でしたから……本来であれば軍姫様こそ相応しかったと思います」

「ふん。今更遅いわ。でも殺すのはもう少し待ってあげる。で、ソルベロイ様は何処にいるの? 貴方が一年前に離脱したあたりから足取りが追えなくなったわ。そして合流するためにこのサバラを経由したことも分かってる。だけど、貴方は今一人でいるわね。どうして? 知ってることを全部話しなさい」


 レイチェルの思った通り、アレミラはソルベロイの行方を探している。帝国としてというよりもアレミラの私情としての割合が大きそうだ。そして間違いなくソルベロイの身に起こった出来事までは把握していない。

 問題はどこまで真実を混ぜた嘘にするかだ。


 アレミラのソルベロイに対する思い入れ――いや、執念は深い。既に死亡した事実を王国が隠していたと告げれば、諦めるだろうか。

 否、そんな素直に傷心するような性格ではないだろう。激昂し暴れる姿が目に浮かぶ。

 であれば、相手が勘違いしているだろう内容に沿って話すのが無難。


「私も彼らと合流するつもりで、この先の荒野に向かいました。しかし、いくら待っても誰も現れなかったので、王都に戻り情報を確認する予定でした」

「それで?」

「ですので、私も今彼が何処にいるか分からないのです」

「じゃあ、なんでまだサバラでのんびり神殿に行ったり買い物をしてたのかしら?」


 迂闊だった。

 レイチェルは前提として兵士に声を掛けられた時が初めて軍の警戒網に引っかかった瞬間だと思っていた。

 動向がバレていると言うことはつまり、兵士に声を掛けられる前から尾行されていたということだ。


「……荒野で魔物に襲われ負傷し、荷物の多くを失ったからです」

「そこらの魔物ごときで負傷? 笑っちゃうわね。ソルベロイ様が可愛そうだわ。こんなお荷物を今まで抱えてたなんて……貴方捨てられたんじゃない?」

「そう、なのかもしれませんね……」


 レイチェルはなるべく惨めな姿に見えるよう演技をする。少しでもアレミラの機嫌を逆撫でしないように。


「で、本当のところは?」

「……いえ、お話したことが全てです」

「その割には楽しげに物色していたそうじゃない。これから王都に戻るのに携帯食や外套を新調する必要があったのかしら? しかも貴方が着るには大きすぎる物を」

「それは――」

「黙りなさい。どうせまた嘘でしょう? その口をもう少し素直にさせる必要があるわね」


 アレミラが立ち上がると、体の周囲に小さな雷が幾つも奔った。

 励起した空気が絶え間ない発光と爆竹を鳴らしたような音を発生させる。

 

「……ッ!」

「初めて会ったときから不快だったのよ。少し可愛がってあげるから、せいぜい死なないように耐えることね」


 歪んだ笑みを浮かべながらアレミラは杖を振るう。

 その動作に合わせ、眩い閃光と雷撃がレイチェルに襲いかかった。

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