第9話:接触
あらゆる種族の中で人間は弱き存在である。
一度は繁栄し、数多の人間国家がひしめき合った時代もあったが、今では三国を残すのみ。
一つは人間の枠を超越し英雄と呼ばれる存在を度々輩出するスラドキア王国。
一つは豊富な資源を背景に圧倒的な軍事力と経済力を誇るベリス帝国。
一つは基礎教育として神聖術を国民に徹底させ、他の二国には真似出来ない団結力を見せるロヴィアノ聖教国。
それぞれに別々の理由があって三国は今なお存続できていた。
特に聖教国は建国以来たった一度も他者の侵略を許さず、領土も失ったことはなかった。
聖教国と名前を同じくする聖都ロヴィアノには白を基調とした建物が並ぶ。
聖都に限った話ではないが、聖教国の神殿、公共施設、商店から民家に至るまで、あらゆる建物は全て同じ壁材と屋根を使って作られている。それらは法律によって定められていた。
白一色に染まった街並みを俯瞰して見ることが出来ればさぞ壮観なことだろう。
それが唯一許される場所が街の中心にあった。
人が建てる建造物の幅は、例えば城壁であれば肉眼で見えなくなるほどの長い距離を造ることもあるが、高さとなるとそうもいかない。
高さは通常の建造物で三階建て。王城などの大規模なものでも十階建てがせいぜいだ。
しかし、聖都の中心にそびえ立つ塔の根本の幅は小さな街一個分もあり、高さは雲を突き抜けて頂上が見えないほどもある。
現在の人間の技術や魔法を駆使しても再現不可能なその塔は、神の創造物と敬い恐れられ、“天迎の塔”と呼ばれていた。
まず先に塔が存在し、それを中心に発展していったのが聖都ならびに聖教国の成り立ちだった。
揺れる馬車の中、アレミラを加えたソルベロイ一行は帝国東部の辺境都市サバラから東南に進んでいた。
「ソルベロイ様! 薄っすらと見えてきました。あれが天迎の塔です!」
「凄いな……ここから聖都まであと三日もかかるのに」
「そんなのいちいち言わなくても見れば分かるわよ」
レイチェルは不機嫌に吐き捨てる。
アレミラの示した、ソルベロイが元の体に戻るための案に渋々承諾したレイチェルだったが、内心は穏やかではなかった。
今ソルベロイが着用してる頭まで隠せる全身鎧や、聖教国に向かうための馬車。これらはアレミラが末端の兵士を言いくるめて手に入れた物資だ。もちろん、帝国軍のものとは分からないように偽装が施されている物を選んでいる。
この行為は明確な帝国軍への裏切りであり、アレミラはもう二度と帝国の地を踏むことは出来ないだろう。
彼女の見せてくれた覚悟がソルベロイ達への信用をより厚くしていたが、同時にレイチェルにとっては気に入らなかった。
車内の空気を悪くしている原因はレイチェルにあったが、そんな彼女の心境は流石のソルベロイでも察することが出来た。
ふてくされる姿は可愛げもあるが、このまま放置してもおく訳にもいかないだろう。だからと言って下手に発言を咎めたり、宥めたりするのは好ましくないように思えた。
掛けるべき言葉に詰まったソルベロイは、ただ黙ってレイチェルの頭を撫でてやることにする。
「な、何よ! 子供扱いして……」
「すまん。そんなつもりは無かったが……何かこう、愛おしいなって」
「もぅ。ロイのバカ……」
張り詰めていた車内の空気が緩んだ気がした。
「……もうじき目的の街に着きます。帝国の工作員と接触するので口裏を合わせて下さいね」
「ああ。分かった」
「カーライルさんもよろしいですね?」
「ええ。分かってるわよ」
日が沈みかけた頃、聖教国領内の街ハイケリーに辿り着いたソルベロイ達はアレミラの案内で一軒の酒場を目指した。
ハイケリーは王国、帝国の国境とも近く、異邦人が出入りしていてもさほど目立つことはない。
アレミラによると、帝国の工作員の拠点はこの街に置かれているとのことだった。
馬車から降りたソルベロイはアレミアを抱きかかえて移動する。
レイチェルの妬ましい視線が突き刺さるが、これは仕方ないことなのだ。
歩行が困難な『主人』を放おって、手を貸さない『従者』の姿を周りに見せるわけにはいかない。
「ありがとうございます。ソルベロイ様」
「元はと言えば俺の……いや何でもない。それよりもう無駄口は控えた方が良いだろう? 俺達は適当に合わせることしか出来ないから、後は頼んだぞ」
「はい。お任せください!」
その酒場は中流から上流層向けの気品のある店だった。
扉を開けて中に入ると、すぐさま小奇麗な格好をした若い店員が出迎える。
店員の目にはさぞかし異色な客に映ったことだろう。全身鎧の男に外套で全身を隠した女、そして先頭に立つのは小柄な少女だ。
「いらっしゃいませ……あの、申し訳ございませ――」
「エマ・デュ・グインセの二十六年物は置いてあるか?」
「は、はい。ございます……席はどちらで?」
「塔が一番良く見える席を頼む」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
通された場所は扉を二枚隔てた個室。なお窓などは無く、聖都の天迎の塔を直接見ることは出来ない。
「確かに外から眺めるより、よく見えるわね」
長椅子の正面には大きな絵画が飾ってあり、そこには雄大な天迎の塔の姿が描かれていた。
「俺達が目指すのはこの頂上……アレミラを疑ってるわけじゃないが、実のところ上手くいく確率はどのぐらいだと思う?」
「……そこでソルベロイ様の体を元に戻せるかは五分五分でしょうか」
「ちょっと! 話違わない?」
「ですが、直接的な解決に到らなくても、さらにそこから手がかりは掴める可能性は高いかと……」
「まあ、俺もそこまで上手くいくとは思ってないよ。手がかりが得られれば上出来だ。俺とレイチェルだけじゃあの塔に近づくことも出来ない訳だしな。頼りにしてるぞ」
ソルベロイは椅子に腰を掛けたアレミラの肩に軽く手を乗せた。
「はい! 必ずやソルベロイ様のご期待に応えてみせます!」
「ねぇ、ロイ……私には何かないの?」
反対を向くとすっぽり被ったフードの下から物欲しそうなレイチェルの瞳が覗いていた。
「も、もちろんレイチェルも頼りにしてる! 今の俺が生きていられるのも全部レイチェルのおかげだし、本当に感謝してる」
「そう。それなら良いの……んっ!」
レイチェルの要求は分かりやすかった。要はアレミラに対して行ったことよりも、もっと上の待遇を望んでいるということ。
しかしそのためには兜を外さなければならず、残念ながらその時間的猶予は無かった。
「ソルベロイ様、どうやら来たようです」
「レイチェル、すまん……」
「もぉー!!」
扉が開き入ってきたのは中年の男だった。
街に入ってからよく見かけたような聖教国教徒の格好をしたその男はアレミラの前で敬礼を見せる。
「遅くなり申し訳ございません。ヒルデルト・ガイトス少佐、参上しました」
「ご苦労。久しいな、少佐」
「はい。この様なところまでアレミラ様自らお出でなされるとは……緊急事態でしょうか? それに……」
ガイトスはアレミラの隣に立つ怪しい二人に視線を向ける。
この場にいることから軍関係者と予想出来るが、従者と言うには顔を隠したままの姿は不可解といった表情をしていた。
「彼らの存在は機密よ。詮索しないように」
「……畏まりました。それで一体何事でしょうか?」
「その前に確認しておきたいのだけど、対象に動きはあったかしら?」
訝しげな視線を送るガイトスを諌め、アレミラは話を本題へと運んでいく。
「いえ。格別動きはありません。私がこの任に就いてから十年……前任者から含めると三十年、何も状況は変わっていませんね」
「そう。“存在の大きさ”も変わらない?」
「魂器ですね。直近の報告が一ヶ月前ですが、それも成長することも衰えることもなく変化無しです」
ガイトスは草臥れたように肩を一度持ち上げて報告した。
魂器は神聖術を通して測れる存在の大きさのこと。同じ種であれば大差は無いが、強く肉体や精神を鍛えた者、深く魔法の淵源を覗いた者は魂器が大きくなる。
それを見ることで大雑把に対象の強さを推測することが出来るのだ。
「分かったわ……長期間の任務ご苦労だったわね。それでは任務の変更を命ずる! 私達は塔に登り頂上を目指すわ。あなた達は私達が潜入出来るように支援なさい」
「ッ! ま、まさか……天使を殺すおつもりですか!?」
自身の発した声の大きさに気付き、ガイトスは慌てて口を両手で抑え込む。
ガイトスの反応は真っ当なものだった。
任務が始まって以来、彼らの仕事は聖教国の内部まで入り込み、得た情報を母国である帝国に流すことだけだった。
塔の頂上に到達できる人員を育て、そこで天使の存在を知っても、任務の内容はずっと変わらずにいた。
もしそれに変化があるとすれば……帝国最高戦力の一人を送り込むのであれば、ただ事では済まされない。
「まさか。会って話をするだけよ」
「それでしたら、既に侵入に成功している者を通しても……」
「直接会わなくては分からないこともあるでしょ? ことは緊急を要するの。貴方が異を唱えることで時間を浪費し、作戦が失敗したら責任を取れる?」
「失礼致しました……直ぐに詳細を詰めたいと思います。決行までの期日はどれほどでしょう?」
「明日、ここを発って聖都に向かうわ。よって三日ないし四日後ね。さっきも言ったけどこれは緊急性が高い任務だから心してかかりなさい」
「……か、畏まりました」
ソルベロイの体を元に戻すために急ぐ気持ちもあるが、それ以上に急がなければならない理由は他にあった。
アレミラが軍を裏切った事実を知られる前に塔内部に侵入しなくてはならない。聖教国内であるため情報の伝達には時間がかかるだろうが、だからといって余裕があるわけでもない。
酒場を出た後、アレミラは神聖術を使える帝国の工作員複数によって大腿部の治療をしてもらい、その間にソルベロイとレイチェルは宿を確保していた。
久々の柔らかい寝床にありつけるからか、ソルベロイの目から見てもレイチェルの機嫌は非常に良くなっていた。
「わぁーーおひさまの匂いがする!」
「おいおい、はしゃぎ過ぎだぞ。とは言え、俺もまともな寝床は何年振りかって気がして嬉しいな」
ベッドに飛び込むレイチェルの姿は微笑ましいものがあった。
ソルベロイは盗み見する者がいないか確認した後、部屋に鍵を掛け、その身を隠していた全身鎧を脱いでいく。
「ロイ。こっちこっち」
ベッドの端に座り直したレイチェルが隣に来るようにと促していた。
「ああ、こりゃあ良い。今夜はよく眠れそうだな」
「ねぇ。さっきの忘れてないよね?」
「え? さっき……?」
「もぉ。私への感謝の証! ……んっ!」
レイチェルは目を閉じ、酒場の個室のときと同じ様に唇を突き出した。
なるほどと、ソルベロイはその意図を汲み取り、レイチェルに唇を重ねた。




