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第0話:かくして少年は英雄になった

 混沌とした世界で息を潜め、辛うじて生き延びる人類。

 彼らが最も欲したのは希望という名の光。

 深い闇を切り裂き、安寧をもたらしてくれる光――英雄を渇望していた。


 人が自由に暮らしていける領域は狭い。

 その限られた土地を分け合うように、実際には奪い合いの結果に残った人類の国家が三つ存在していた。

 その内の一つスラドキア王国の外れに小さな町がある。そこは主要な大都市を繋ぐ街道の中間にあったため人や物の往来が多く、付近の農村などに比べて賑わいを見せていた。


「ロイ! こいつを窓際のテーブルだ!」


 中央広場に面した酒場から威勢の良い声が放たれる。その言葉に即座に反応したのはロイと呼ばれた黒髪黒眼の少年。エールが注がれたジョッキ六つを器用に運び終えると、他のテーブルから注文を受け付け、再び出来上がった料理を指定されたテーブルに運んでいく。

 これが彼の仕事の一部であり、日常だった。


 夜もふけ、最後に残った酔い潰れた客を追い出すことに成功した少年は一日の疲れを凝縮した大きなため息をついた。

 もし、あの客がこのまま外で寝てしまったら身ぐるみを剥がされて一文無しになってしまうだろう。残念ながらこの街は貴族達が住まう一等地のように治安は良くない。

 少しばかりの心苦しさを感じる程度に優しさを持った少年だったが、今は他人の心配をしている余裕はない。洗い場に溜まった大量の食器、こぼれた酒や吐瀉物で汚れた床が待っているのだ。放置すれば染みや臭いが残ってしまう。


「先に上がってるぞロイ。戸締まりはしっかりな」

「ういっす、親方。お疲れ様っした!」


 少年に両親はいない。住んでいた村を魔物が襲い、その犠牲になってしまったからだ。別に珍しい話ではない。

 そんな行くあてのなかった彼に仕事と寝床を与えてくれたのは酒場の夫婦で、本当の親子のように可愛がってくれている。

 その恩義に応えようと、文句一つ言わず一生懸命に働いているのだ。今はまだ見習い以下の仕事しか任せられていないが、いつかは親方の様に調理場に立ってみたいと思っていた。仕入れで付き合わされた際にあれこれと教えてくれるのも、きっと親方もそんな思いがあるのだろうと感じている。


 平凡な人生ではあるがそれで満足しなければならないと、今年十四歳になった少年は理解していた。なにせ、何かを成し遂げるために必要な力――屈強な肉体や、財力、魔法の才能も、何も無いのだから。


 節約のため最小限に抑えた明かりの下、水の入ったバケツとモップでせっせと床を拭いていると異様な気配を感じ、顔を持ち上げた。

 誰も居ないはずの、しかも既に掃除を終えたテーブルに腰掛けた人影が見える。


「うわっあ!」


 思わず声を上げ、モップを前に突き出す。

 人影の正体はローブで顔を深く隠した老婆のように見えた。老婆は似つかわしいゆっくりとした動作で人差し指を口元に近づけ、静かに、という意思を伝えてくる。


「なっ、あ、あんた誰だ! どうやって入った?!」


 老婆は動じた様子もなく、もう一度同じ動作を繰り返す。


 少年が呆気にとられていると、老婆は何かを探すように懐へ手を入れた。

 取り出されたのは、目まぐるしく模様を変える水晶玉、血を吸ったかのような真っ赤に染まった大斧、緻密な装飾が施された短杖、そして見たことも無い紋章が刻まれた鞘に収まった剣。それらが次々に机の上に並べられていった。

 もちろん老婆一人の体にこれらを隠し持てるほどの大きさは無いので、不可思議な光景だった。


「……この水晶玉は大魔術師シンシディアが遥か東の地で魔王を討ったときのもの。この斧は大闘士アーモスが千の魔物の群れをなぎ倒したときのもの。この短杖は大賢者グラウスがハルバニーの奇跡を起こしたときのもの。そしてこの剣が最強の騎士ソルベロイが北の山脈を支配する邪竜を滅ぼすときのもの。お主は知っておるかのぉ」


 英雄譚として聞いたことのある話だった。おとぎ話のような英雄にまつわる話は、酒場では定番中の鉄板な話題だ。吟遊詩人が酒場を訪れたときにはそれはもうお祭り騒ぎになるほどの賑わいをみせ、酔った男達の童心をくすぐった。

 少年もまたそんな英雄に憧れる男の子。仕事の合間に沢山の英雄譚を聞いてきた。

 しかし、唯一つ初耳だったのが少年のよく知った名と同じ最強の騎士の話だ。


 目の前に並べられた偽物とは思えない伝説級の武具を前に言葉を失っていると、老婆が続けて口を開く。


「……よろしい。ではもうひとつ問おう。英雄が英雄たらしめるに必要なものは何か?」


 大雑把で突拍子もない質問にうろたえながらも全力で頭を振り絞って考える。既にこの老婆がただ者ではないことは感覚的に理解出来ていた。不真面目な回答は許されないのではないかという一種の恐怖すら覚える。


「えっ、えっと……勇気……才能……力……あ、伝説の武器ですか?」

「……ほう。ならば、お主もこの剣を振るえば英雄になれる、と。どうしてなかなか、自惚れおる」


 少年は自分の顔が赤面していくのを感じた。


「い、いえっ、そういった意味では……! 確かに憧れますが、俺には扱えません!」

「カカッ……そりゃあそうじゃ。……では代わりにこれをくれてやろう」


 老婆が取り出したのは手のひらほどの木の板だった。首から下げられるほどの紐と、何やら文字や模様が刻まれているが、それ以外は何の変哲も無いただの板だ。伝説の武具に並べて置かれると余計にその質素さが際立つ。


「これは何でしょう……?」


 少年の問に老婆は怪しい笑みのみで返答する。


「……先程の”英雄に必要なもの”の答えを教えておこう。それは……運命。掴み取るかどうかはお主次第じゃ。さらばだ、ソルベロイ少年」


 老婆は消えた。文字通り少年の目の前から瞬きする間も無く消え失せたのだ。テーブルの上に先程まであったはずの伝説の武具も一切合切無くなっていた。ただ木の板一つを残して。


 夢を見ていたのではないかと自身の記憶を何度も疑った。しかし、手にとった木の板は幻ではなく、夢ではなかったと証明している。


「運命……掴み取るかどうかはお主次第……ソルベロイ少年」


 老婆の言葉を反芻する。運命とはこの木の板のことだろうか。そして最後の言葉――ソルベロイは少年の本名だ。普段は愛称のロイと呼ばれており、むしろ本名を知る者は少ないぐらいだが、あの不思議な老婆ならそれを知っていてもおかしくない。


 喉がゴクリと音を立て、心臓がドクドクと鳴っているのを自覚出来た。

 老婆の言葉をさらに遡って思い出す。確か、最強の騎士ソルベロイが北の山脈を支配する邪竜を滅ぼした、だ。

 敢えて告げられた自分の本名と、聞いたこともない英雄の名前が符合した。

 こんな事が有り得るのだろうか。にわかに信じられないことだと分かってはいるが、もしかしたら、予言めいたそういうことなのかもしれない。


 考えはまとまり切れていなかった。しかし、若い少年の背中を押すには十分な魅力がそこにあった。逆に言えばこれ以上の我慢は不可能だった。

 少年は逸る気持ちを押さえきれず、板についた紐を掴むと勢いよく頭から首に下げた。




 極限まで高まっていた興奮が一気に冷めていく。それは単に期待した結果が得られなかったことによる失望ではない。バケツの底が抜けた様に、急激に感情が足元から失われていくのだ。

 それに伴い、目に映る全てが無価値で、色の消失した灰色の世界に佇んでいるかのような感覚に襲われた。


「……行かなきゃ」


 生きることさえ無価値に思える感情の喪失の中で、使命感にも似た直感が少年を導いた。

 やり残した掃除をほっぽり出した上に店の金庫にも手をつけ、少年は第二の実家とも言える酒場を後にした。


 その後しばらくの間、少年の姿を見た者はいない。しかし一年後、ここより西の地で彼の名は人類に広く知れ渡ることとなった。

 この先語り継がれることになる大英雄――騎士ソルベロイ伝説の幕開けであった。

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