第6話 御前会議
第6話『御前会議』
1941年12月10日
大日本帝国/東京府
その日、千代田区に位置する宮城(現皇居) その宮中の一角たる『東一の間』において、大日本帝国の国策を決定する重要会議――『御前会議』が行われようとしていた。その室内には、第40代内閣総理大臣兼陸軍大臣の東條英機陸軍大将を筆頭に、内閣閣僚陣、宮内大臣、枢密院議長の原嘉道、枢密顧問官、陸軍参謀総長の杉山元大将と海軍軍令部総長の永野修身海軍大将、そして連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将らがテーブルを取り囲むようにして座り、昭和天皇のご臨席を粛々と待っていた。
と、集合から数十分ほど経った頃、東一の間の襖が開け放たれ、昭和天皇は遂にその姿を現した。対して御前会議の面々は、粛然と頭を垂れた。一方、昭和天皇は厳然たる足取りで進み、金屏風の前に設けられた席に着く。そして一同を俯瞰すると、静かに口を開き、労いの辞を述べた。
安堵する暇も無く、立ち上がったのは東條英機陸軍大将だった。
「陛下。昨日の一件は、既に御承知のことと思います。本日、こうして席を設けたのは、かの国に対する処遇についての話なのです」
「ふむ……。して、その処遇とは如何に進めるのか?」
両指を組ませ、涼やかな瞳で見据える昭和天皇。その表情には覇者たる者の余裕があった。
「先日から列席者一同、熱心に意見を開陳致しまして、漸く意見はまとまりました」東條は更に言った。「時間を掛けてまとめたかったのですが南方方面の作戦もあり、事態は緊迫して居りまして全く遅延を許しません。誠に懼れ多いことでは御座いますが、ここに私共の決定を述べたいと思います」
「『イグニア』……といったかな、かの国は」昭和天皇は静かに告げた。「始めは全く驚いたものだが、話す内に彼等もまた人の子であるのが分かった。朕はかの者達を無碍に扱いたくないと考えている」
その言葉に対し、一同は頷いた。
「私共の決定もまた、陛下の御心に沿うものとなっております」東條は言った。「かの国と正式に国交を制定し、不可侵条約や貿易を執り行いたいと考えております。また南方作戦につきましては、先の御前会議でも取り決めたように、進めたいと思います」
1941年12月10日。御前会議を経て大日本帝国はイグニア帝国との正式な国交樹立を決定。また両国間での貿易や、軍事条約の締結についても言及し、その草案をまとめていくこととなった。この意思決定の背後には、連合艦隊司令長官山本五十六ら海軍関係者や、東郷ら外務省グループの尽力が大きかったとされている。また既にこの頃、英領マレー半島や米領フィリピンにおいて『南方作戦』が展開中であり、国力や内情が未知数であった『イグニア帝国』とは事を構えたくないという事実もあった。とにもかくにも両国はようやく対話の一歩手前まで前進し、その対話の時を待つこととなっていた。
1941年12月10日
イグニア帝国/ルーシア州
ルーシア州は現実世界のメリーランド州とヴァージニア州、そして首都ワシントンDCで知られるコロンビア特別区をすっぽりとカバーしたような地形と面積を有する州であり、帝国の直轄領でもあった。ここにはポーワタ川と呼ばれる河川があり、古くから同地域に住む人々の生活を支えていた。このルーシア州の東部、ポータワ川の河口付近に位置し、幾千年にも及ぶ奇妙で壮大な歴史を歩んできたのが、イグニア帝国の首都『アルヴィオン』だった。首都アルヴィオンには帝国議会、最高裁判所、内閣府、帝国軍最高司令部といった政治・立法・軍事・司法の権力が集積されている。また首都中心部には、皇帝の居住する宮殿があり、その宮殿を軸として市街地が形成されていた。人口は約100万名と見積もられている。
この日、その首都の皇帝宮殿において、帝国国相や軍部を集めたもう一つの『御前会議』が開かれようとしていた。外観はまるで『ホワイトハウス』のような白亜の皇帝宮殿だが、その内部は18世紀を彷彿とさせるロココ調に似た装飾・内装によって彩られていた。
御前会議に集う一同は、皇帝の到着を待ち侘びていた。そんな中、宮殿の奥から複数の従者を付き従わせる形で、一人の浅黒い肌をした老人が姿を現した。老人は銀の装飾を施された王笏を右手に握り、白髪の頭にもまた銀の王冠を頂いていた。服装は中世ヨーロッパの王族が着用していそうな派手なものだった。背中には長い赤色のマントを着用しており、老人はマントを翻すと装飾の施された玉座へと腰を下ろした。
「皇帝フィリップ8世陛下。本日もご機嫌――」
「要点を話すがいい……。口上は不要である」
浅黒い肌の老人――もとい、イグニア帝国皇帝フィリップ8世は起立して口上を述べようとした外務長官に対し、冷ややかに言い放った。
「では」外務長官は深々と御辞儀をした。「ようやく、世界各国の主要な要人――王族・政治家・外交関係者・軍部指導者・宗教家への特使派遣と国交樹立に向けての目途が立ちました。現在、イギリス・ドイツ・大日本帝国、カナダ、そして旧南米諸国の国々が、我が国と積極的に外交を行っていきたいとの旨を述べておりまして、イギリスとカナダに関してましては一両日中にも会談を設ける予定です」
外務長官の報告に概ね満足したのか、皇帝は頷いた。
「第一段階は完了した。次の段階に進むべきだろう」
「それに関しましては、懼れながら意見を述べたいと思います」そう言ったのはイグニア帝国軍の参謀次長だった。「昨日、本国領海にて侵犯行為を犯していた敵の軍艦を何隻か拿捕しました。これがとても興味深いもので御座いまして、後々に役立つかと参謀本部では考えております」
成程、と皇帝は言った。
「外務長官。例の問題には目途は付けておるのか?」
「は、はい。当然で御座います」突然の問い掛けに驚きながらも、外務長官は話を続けた。「例の問題ですが、派遣した特使の話によると″東南アジア″と呼ばれる地域が怪しいかと」
外務長官の話を聞いて、皇帝は静かに告げた。
「ならば万事は上手くいくだろう。我が帝国はまた幾千の歴史と同様、この異世界においても順応と繁栄を続けられるはずだ。諸君らの奮励努力に期待する。話は以上だ」
――イグニア帝国は密かな計画を抱きつつ、この世界に適応しようとしていた。