第5話 空母エンタープライズの死闘
第5話『空母エンタープライズの死闘』
1941年12月8日
イグニア帝国/オアフ島近海
米海軍第8任務部隊の旗艦『エンタープライズ』には、同任務部隊を指揮する米海軍の提督、ウィリアム・F・ハルゼー海軍中将の姿があった。『ブル・ハルゼー』の渾名で知られるその気性激しく勇猛果敢な男は、史実においては『真珠湾攻撃』から終戦に至るまで、太平洋戦争の海戦を戦い抜いた。レイモンド・A・スプルーアンス提督とよく比較される名提督だった。1941年12月8日、『真珠湾攻撃』当時は空母『エンタープライズ』を旗艦とする機動部隊――第8任務部隊を率いてウェーク島からの帰投中で、本来は同日の正午に真珠湾の海軍基地に到着する予定だった。
史実ではこの後、真珠湾の西370kmの地点で米海軍司令部から『真珠湾攻撃』の報を聞く。ハルゼーは帰投を中断し、帰投する帝国海軍機動部隊の索敵任務に務めるのだが、これは捕捉失敗に終わっている。だが今やアメリカという国家が消失し、新たに『イグニア帝国』と称する国家が台頭するこの歴史においては、ハルゼーはそのアメリカ消失や『真珠湾攻撃』の事実すら知らず、基地への帰路を急いでいた。
何故急いでいたかというと、実は随伴の駆逐艦1隻が帰投途中、荒天に遭遇して艦体に亀裂が発生。修復を行ったがこれは一種の応急処置であり、真珠湾の海軍工廠で本格的な修繕を必要としていたからだ。またハルゼー自身、何らかの″不吉な予兆″を感じ取っており、不気味に思って帰路を急いでいた。
第8任務部隊司令官のウィリアム・F・ハルゼー中将は振り返った。太陽は艦隊の真上に上りつつあり、鋭い日光が窓ガラス越しに差し込んできていた。ガラス越しに映る光景もまた、湾内に浮かぶ艦影の他、オアフ島の輪郭が徐々に浮かび上がってきていた。――峠を越したか。ハルゼーはふと胸に呟き、拳を握り締めた。
「閣下。重巡『ソルトレイクシティ』から入電です」
現地時刻午前11時頃、『エンタープライズ』艦橋に一つの報告が届いた。それは前方海域に展開中のペンサコーラ級重巡洋艦『ソルトレイクシティ』から発せられたものだった。
「内容は?」
「はッ!『ワレ未確認機発見セリ。数100ナイシ200』」
ハルゼーの隣で報告を聞いていた艦隊参謀長マイルズ・ブローニング海軍大佐は、首を振った。「きっと真珠湾の友軍機でしょう。問題ありませんよ」
だがハルゼーは不安をあらわにして、水平線上に現れたオアフ島の島影をじっと見つめている。
「ミートボール(日本軍機)という可能性は無いか?」ハルゼーは言った。「俺の艦隊は昨日からずっと不運続きだ。駆逐艦が損傷を受けたかと思えば、本国との通信も不調。止めにジャップの奇襲が起こっても不思議じゃないと思うね」
「少し心配し過ぎでは?」ブローニングは言った。
「生憎と俺は偏屈な爺さんなんでね。イエスと言われればノーと言いたくなるお年頃なのさ」ハルゼーは皮肉っぽく言った。「そもそもパールハーバーでそんな大規模な空戦演習をするなんて報告、俺は聞いてないぞ。お前は聞いたのか、ブローニング大佐?」
そう言われてブローニングも思わずたじろいた。
「……もういい」何も言えないブローニングに見切りを付け、ハルゼーは言った。「どっちみち、味方の基地に戻る必要があるんだ。敵なら撃ち落として、味方なら唾でも吐いてやればいいさ」
そんな問答が繰り広げられる中、艦橋にまた別の電文が届いた。
「閣下。重巡『ソルトレイクシティ』から再度入電です」報告する通信兵の顔は、電文の内容を読むとみるみる青ざめていった。「『ワレ、敵機ト交戦ス……』」
「何だとッ!?」
その報告に思わずハルゼーは怒鳴った。「相手はやはりミートボールか!?」
怒気迫る様子で通信兵に詰め寄るハルゼー。今にも掴み掛かる勢いであったが、彼の脳裏には既にけたたましい警鐘が鳴り響いていた。
「対空戦闘用意ッッ――!」続け様にハルゼーは下命する。命令は艦橋から伝声管を通じて艦内を駆け巡った。数分後、荒々しいサイレンの音とともに甲板が騒がしくなった。駐機されていたF4F『ワイルドキャット』艦上戦闘機部隊がまず『エンタープライズ』飛行甲板から出撃。艦の上空を旋回、艦隊防空任務に従事する。出撃機数は計12機、同戦闘機部隊を指揮するのは、クラレンス・w・マクラスキー海軍大尉だった。
「気を引き締めていけ! ミートボールに遅れを取るなッ!」
史実では後に『ミッドウェー海戦』で活躍する彼だが、この頃は戦闘機パイロットとして『エンタープライズ』の第6戦闘飛行隊を指揮する立場にあった。甲板で景気の良い号令を掛ける彼だが、ハルゼーと同じように得も言われぬ″不吉な予兆″を感じ取っていた。不安は募るばかりだったが、タラップを駆け上ってF4Fのコクピットに乗り込むと、それも今や逃げ場が無いと腹を括って気にしないことにした。
F4F『ワイルドキャット』が全機発艦し終えた数分十後、重巡『ソルトレイクシティ』から黒煙が立ち上った。遠目ではよく確認出来なかったが、どうやら艦の上空に無数の機影があり、猛攻撃を受けているようだった。『エンタープライズ』艦橋から命令が下り、マクラスキー率いる第6飛行戦闘隊は『ソルトレイクシティ』の仇を討つべく、北に針路を定めた。
数分後、『エンタープライズ』から10キロと掛からない空域で、両陣営は初めての空戦を開始することとなった。先手を取ったのはマクラスキー大尉率いる第6飛行戦闘隊だった。
「迎撃するぞ!」
マクラスキーはF4Fを駆り、敵の航空部隊に立ち向かう。パールハーバー近海で対峙した双方はようやく、相手の正体を知るに至った。一方はМ2ブローニング12.7mm機関銃を咆哮させる、鋼鉄の山猫。もう一方は耳が張り裂けんばかりの咆哮を轟かせ、大空を舞う漆黒のドラゴン。驚く暇もなく、ここに空戦が始まった。
マクラスキー以下エンタープライズ戦闘機隊は卓越した戦闘技術により、数で勝るドラゴン側に対して有利な状況を作り出した。マクラスキーは2機の僚機と協同し、12.7mm機関銃によって敵のドラゴン1体を撃墜した。右翼に無数の穴が開いたドラゴンは、耳障りな金切り声を発しながら落下する。途中、複数のドラゴンが密集して飛翔する空域を何とか潜り抜けながら、同時に12.7mm機関銃で敵のドラゴンを撃ち抜いていった。
「くそッ! くそッ! この薄汚い化物共めッ!」
マクラスキーは、頭上から降り注ぐドラゴンの肉片や灰塵に悪態を吐きながら、鈍重なドラゴンを次々と屠っていった。その時は″全く、ワイパーが欲しいぜ″などと余裕を吐けていたのだが、事態はどんどんと悪化していく。
途中、悪態のタネとなっていたドラゴンの肉片が凶器と化す場面もあった。重く鈍い衝突音が彼の頭上に轟き、風防の破片が粉となって降り注いできた。肉片は風圧で洗浄されたが、ヒビの入ったF4Fの風防からは、隙間風が容赦無く吹き込んできていた。
そんな折、機体前方を先行していたF4Fの1機が、明後日の方向から飛び込んできた″火球″――炭のような黒い塊の周りに焔を纏っていた――の直撃を食らい、一瞬で機体右翼を吹き飛ばされた。F4Fは鈍重で、同時期に零式艦上戦闘機とその性能を比較されることも多いが、機体の頑丈さだけはピカイチだった。『グラマン鉄工所』などという渾名も付けられた程である。それが今の攻撃では、瞬時にF4Fの右翼をもぎ取ったのだ。その威力の程がよく分かるだろう。機体制御を失ったF4Fはそのまま墜落した。
鈍重なドラゴンの中にも、比較的筋肉質でガッチリとした風貌の異種個体がおり、どうやらその個体があの火球攻撃を繰り出したようである。迫り来るドラゴンの群れと降り注ぐ火球の雨がセットになって襲い掛かってきた。しかしそれでも退くことは出来ず、マクラスキー達の死闘は続いた。
数分の死闘の末、先に根を上げたのは第6飛行戦闘隊の方だった。機体に装備された12mm機銃4挺の弾薬が尽き、マクラスキーは焦っていた。出撃した12機中、既に8機が撃墜されていたし、矢継ぎ早に投入されたTBD『デバステーター』艦上雷撃機と、SBD『ドーントレス』艦上爆撃機もその数を減らしている。これらの機体は敵機邀撃と敵母艦撃滅のために出撃していたが、敵機――いや敵竜というべき存在の母艦など見当たらず、F4F以外の機種・パイロット達は空戦には必ずしも向いていないため、敵の恰好の標的となっていた。
その内、空戦から数十体の敵が離脱したが、これは僚艦の駆逐艦を襲っていた。第8任務部隊は空母『エンタープライズ』、重巡『ソルトレイクシティ』『ノーザンプトン』、そして駆逐艦6隻から編成される。その内、『ソルトレイクシティ』は沈黙。『ノーザンプトン』や駆逐艦達も必死の抵抗を続けていたが、恐ろしいことに敵のドラゴン達は緩やかに降下すると駆逐艦の艦上に乗り移り、そこから甲板の乗組員を蹂躙していたのである。艦内は地獄絵図と化した。鋭利な牙と強靭な鍵爪を剥き出しにした化物達が、駆逐艦の艦橋から機関室までに侵入し、乗組員を文字通り喰らっていたのだ。
「くそッ……。何て日なんだ」
マクラスキーは呟き、母艦への帰投を始めた。
その頃、『エンタープライズ』では必死の抵抗が続けられていた。マクラスキー達が撃ち漏らした敵の十数体が飛行甲板目がけて殺到していたのだ。しかもあの火球を吐くドラゴンの姿もあった。ドラゴンの群れはまず、20発ほどの火球を飛行甲板や艦橋に向けて発射し、続いてマクラスキー達が想像し得なかった攻撃を繰り出した。深紅の業火を放射、艦体をその熱で溶かし始めたのだ。
空母『エンタープライズ』は戦慄に包まれた。紅い閃光が迸り、それが空一点に向けて放たれる。
「一体、何事だ!」
「あの化物は一体何なんだ!」
「応戦しろ! ありったけの鉛弾を奴らに向けて撃ってやれ!」
そんな声が次々と、ドラゴン達の猛攻撃を最初に受けた飛行甲板上に広がる。最初は誰もがぽかんと口を開けて頭上を飛翔するドラゴン達を見上げていたが、第8任務部隊司令官にして空母『エンタープライズ』を指揮するウィリアム・F・ハルゼー海軍中将の指揮統制処置が入ってからは、対空砲手以外、誰も空を見なくなった。血も凍るような警報の嵐と怒号、そして対空火器の咆哮に水兵達の足音は掻き消されていた。
「キンメル司令官からの連絡は?」
「はッ! 依然応答ナシ。通信が繋がりません」
ハルゼーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。「何て日だ。チクショウ……」
「右舷より敵影接近! 数6」
続け様に見張り員より報告が轟く。ハルゼーは我に返って、この状況打開に務めた。
「弾幕を形成しろッ! 敵の接近を許すな! 奴らを地獄に叩き返してやれぇッ!」
艦長のポール・B・テイラー海軍大佐が騒音に負けじと声を張り上げる。
「もう遅い」双眼鏡を掲げ、ハルゼーは荒っぽい口調で言った。「間合いに入られた……火の玉の雨が降り注ぐぞ」
そうこうしている内、ハルゼーの読み通り敵のドラゴン達は6発の火球を次々と艦橋に向けて撃ち込んできた。火球の雨だ。次の瞬間、鉄板の張り巡らされた艦橋壁部がまるでせんべいかなにかのように砕け散り、抉られた貫通痕から黒煙と火の粉が舞い上がった。艦橋に居たハルゼー以下、司令部要員はその爆風に吹き飛ばされ、宙を舞った。
朦朧とする意識の中でハルゼーは、この世の地獄とも言うべき光景を目の当たりにした。そこには、腸を抉られて無残な最期を遂げた幕僚達の遺体があり、自身がその当事者としてまだ生かされていることを悟った。と、床に倒れ込むハルゼーの耳元に擦れた悲鳴にも似た声が飛び込んできた。彼が力を振り絞って顔を上げると、そこには末期の声を上げる参謀長ブローニングと、彼を屠るドラゴンの姿があった。
拉げて風通しのよくなった艦橋からは、飛行甲板の様子がよく確認出来た。数十体のドラゴンが我が物顔で闊歩している様と、そのドラゴン達に囲まれても一際目立つ巨大なドラゴンの姿があった。そして恐ろしいことに、そのドラゴンを手懐けているような人影が、ハルゼーの視界に映り込んでいた。
刹那、彼の意識は――完全に途絶えた。