ターニングポイントは…
ターニングポイントとなった中学と高校の間の話です
前話の後書きで、ターニングポイントを書く
なんていったが
そんな大それたことではない。
と言うことをはじめにいっておく。
たしか中2の頃だったと思う。
私に対して母が
「学校が辛いなら、行かなきゃいいじゃん。辛い想いをしてまで、学校に行くことはないんじゃないの??」と。
学校に行く時間になると、
吐き気 腹痛 に悩まされトイレに駆け込んでいる私に言った。
当の本人は覚えていないというか、
忘れているだろうが
「無理しなくていいんだ。」と思えた。
ここまで、ある意味母が放任主義なのは、母の性格もあるが
父の性格のせいもあるともおう。
父がいわゆる昔の思考回路の人間で、
家族は可能な限り、食事は一緒に食べる
土日や休みの時は家族で出掛ける
父が帰ってきたら晩御飯が出来ていなくてはダメ
父より帰りが遅くなるのはご法度
友達の家に泊まりなんて、許してくれる雰囲気でもなかった。
女きょうだいだから とより心配していたらしいが、その心遣いが私には重たかった。
そんな風潮の父でなおかつ、
学校の用務員として働いていたせいもあり、父にはとても気を使っていた。
そして、私には姉が七つ年の離れたいるのだが、
その姉は 不登校の時期もあったが
基本的には 勉強は出来て(勉強が好き) 大人しくて
運動もそこそこできて 少ないが友達もいて 美術というか、イラストのセンスもある。
女の子らしい性格だ。
だが私は
不登校が長く
勉強が出来ない(好きではない) 活発で姉御肌 友達は姉より多かったと思う。 そして工作や技術的なセンスはあるがイラストのセンスが壊滅的
という、どっちかといえば男っぽい性格で
私と姉は反対の性格の人だ。
父いわく、姉は父に性格が似ていて
"俺の家系の血が強い"
私は母に性格が似ているので、
"母さんの家系の血が強い"とよく酒に酔った時話していた。
元々出来る姉に劣等感タップリの私は、
「あぁ。(お父さんは)お姉ちゃんの方が可愛いんだ。」と、その言葉を聞くたび
ずーっと思っていた。
話がだいぶ脱線したが何が言いたいかというと、
そんな関係性だったのにどうやって
変われたのか?と言うことであって、
それは、
"距離"だった。
"心理的な距離"もあるが"物理的距離"も大切だと思う。
さっき言った様な性格の父だが
勤務していた学校で今で言う、パワハラを受けていたらしく、
精神的に弱っていって終いには、
仕事を辞め家に居るようになった。
元々プライドが高い人なので、進められた精神科にもろくに通わなかった。
それまでの実家は
4畳の和室が二間と2畳程の台所があり、
自分の部屋どころか、一人になれるスペースなんてなかった。
そして、私と父が家にいて
父は家事をそれまでめったにする人ではなく、家に居る期間が長い私が洗濯の取り込みなどをやっていた。
そんな生活から、適応指導教室に在学し
父との"心理的な距離"が取れはじめた頃
親族関係のゴタゴタもあり、長年過ごした地元を引っ越し家族で他県に住む事になった。
地元を離れるといっても、元々県境の近くに住んでいたので電車で15分圏内だった。
だが、"物理的距離"が取れたことが幸いした。
中学校生活が残り2ヶ月というタイミングで引っ越したのもあったが、
転校もせずに済んだし、
電車通学になったので同級生に会うことも少なくなった。
そして引っ越しをしたら
6帖のフローリングの部屋が自室になり、自分のスペースが確保された。
確保はされたが、私の部屋はベランダに繋がる作りになっているため、
家族が出入りするので完全に籠れる訳ではなかった。
だけど
自分のスペースが確保されたというのは、自分の安心できるスペースが出来て
居場所が出来た。と言うことでもある。
それに加えて、
高校を選ぶときに便利だったのは、
それまで住んでいた地域だと、どうしても同級生と同じ学校になったり 遭遇する機会があるものだが
誰も私のことを知らない環境となれば
話は変わってくる。
私がいじめられていた。 なんてことは言わなければわからない事になるから。
今までは、自分が言わなくても
周りからバレてたが、
誰も私の事を知らないんだから、
どんな性格で人と接しても構わないし
自分を変えるチャンスだ!
と考えた。
だから、高校は
私立で通信制のサポート校付きの高校に決めた。
しかも、同級生と会わない様にわざわざ遠いキャンパスを選んで。
通信制の高校に進学したことのある人ならわかると思うが、
学費は年間100万程度かかってくる。
父に「学費が高い!!そんなところに行かせられない!」と
とても反対をされたが食い下って「どうしても、この学校へ行きたい!」
と号泣しながら、訴えたのを覚えている。
それが、父に反抗して自分の意見をちゃんと通した、
はじめての出来事だったと思う。
20年以上生きているが、
私の人生で父にしっかり意見を言ったのは、
この時15歳 と 18歳 そして、19歳 の3度だけだ。
また、その時の事を書くときに
反抗した理由と想いは書くとしよう。
ついに高校編
次回からスタート予定です。
まだまだ悩み 苦しみ もがいていきます