真っ暗闇の心の中
まだまだ中学生編続きます。
中学生当時、
よくやっていたことを、まず書こうと思う。
今思えば、
完全に精神異常だったと思う。
我が家の方針というか
母親の方針として、精神科の病院には行かなかった。
「病院に行って
もし、病気だ。って言われたら
病気のせいなんだ!!だからダメなんだ。って、思うでしょ??」と。
いわゆる、病は気から の考えで
確かに、私の性格からするれば
病気を理由に向き合わないと思われたんだろう。
まぁ。その通だと思う。
話は逸れたが…
当時携帯の辞書機能や、辞書とかでよく調べていた言葉がある。
「友達」 「仲間」 「親友」
この3つの単語の意味を、よく調べていたのを覚えている。
純粋にこの3つの言葉の意味が解らなくなった。
意味を調べては「そんな存在が周りに居ない。」と、へこんでいた記憶がある。
相談室登校や別室登校になったが、
そこでも仲間外れにされた。
まぁ。簡単に話すと、不登校の生徒の同級生に女子3人が居たことだった。
後に書くとするが、
特別学級の先生にも言われたのだが、
「3という数字は難しいんだよ。」と、言われた事がある。
奇数(3.5.7など)の人数のグループはどうしても、あまりの人が出でしまうらしい。
そして一番難しい数字の3は、
2対1になると。
どうしても、なかよしこよし
3人で居るって事が難しくなるらしい。結局は、2対1になってしまうんだとか。(例外はあるが。)
前話に書いていた話もあり人を信じられなくなった、矢先の出来事だった。
前回書いた、
テスト期間中のいじめ運動会のクラス旗の件よりも、
辛い出来事が起こってしまった。
同級生のイタズラで、
家庭科室に私とクラスメイトの男子と2人きりで、
閉じ込められた事があった。
クラスメイトが来るより早く家庭科室へ移動したら、
変なことや嫌な思いもしないんじゃないか??と思ったから。…だったと思う。
因みに、家庭科の担当教師は生徒から嫌われている、怖い女性の先生だった。
その私と一緒に閉じ込められた男子は
家庭科室のドアを開かない様に、
他のクラスメイトが必死に押さえていた。
そのドアを閉じ込められた男子は、本気の力で開けようとしていた。
それを私はただただ
見守る事しかしなかった。
それしか出来なかったの間違いだったんだろう。
鬼気迫る表情で助けを求めていたのが、記憶にこびりついている。
この世の終わりを見ている様な表情だった気がする。
その場は、怖い家庭科の先生がおさめてくれたが
閉じ込められた男子と目があった時のなんとも表現しにくい顔と、
私の感情は
当時の記憶がおぼろ気になった今でも、
話していたり、書いていると途端に
心に染み付いているのか…精神的に不安定になってくる。
その男子の表情を見たとき、
「私は、こんなに嫌われているのか。」とも思ったし
その瞬間
私の表情や目には、光もなかったと思う。
もはや無だった様にも思える。
家庭科の先生が準備室の様な所から出てきて、
クラスメイトを一喝したのは覚えて居るが、
なんと言ってくれたか覚えていない。
とにかく「助かった…。みんな嫌いな先生だけど、悪い人じゃないんだ。」と、思ったのは、確かに覚えている。
この一件から、学校もより良く対応してくれた気がするが、
もう…家族以外の人は信じられなくなってしまっていた。
そして、学校での記憶がおぼろ気だし、
精神不安定になりながら書いているこの文章。
そろそろ、いかにして私が不登校を脱していったのか…
そこに纏わる
希望の光の話をしようと思う。
このあとちゃんと
不登校から復帰する過程をゆっくりですが、書きたいと思います。