これからも、心の傷は今でも私を苦しめる。
恐らく
こうやって、私の過去の話をしたりという活動をしている時点で、完全に過去の出来事を忘れることはできないだろう。
それでも構わない。
最近そうやって思える様になってきた。
心はガラスの様だとか比喩で言うことがあるが、
そうだとしたら、私の心はヒビだらけなんじゃないだろうか?
…そういえば、昔家にあったヒビの模様が入ったガラスコップがお気に入りだった記憶がある。
赤と黄色のツートーンカラーで、下3分1の辺りにヒビがデザインされていたコップ。
もしかしたら、なんだかシンパシーを感じていたのかもしれない。
…何が言いたいのか。と言うとガラスもそうだが
心も一度負った傷は中々治らない。
昔の方が酷かったが
今でも精神状態が悪いと 人の笑い声(女性特有のやつ)が怖い。
自分を見て笑ってるんじゃないか?と錯覚してしまうからだ。
恐らく
見ず知らずの通りすがりの人が、私を見て笑ってる…そんなことはなんだろうだが、
ふとそのタイミングで目線が合った様に感じてしまったら最悪だ。
完全に自分を見て笑ってると、思い込んでしまう。
それと、小学校の音も怖い時がある。
特に、休み時間のあの子供たちの声だったり、運動会の声援だったりあの盛り上がっている雰囲気。
あれが怖い時がある。
なんだか、その声を聞いていると小・中時代の運動会の色々な出来事が…私の心を締め付ける。
だが、このことを気にしすぎると
家の外に出て生活なんて出来ないので、
そこはどうにか自分の感情と付き合っている最中だ。
こう言うことをいうと、大半の人が
「辛かったね」「大変だったね」と言うが、
辛かった や 大変だった。そんな感情を持てる余裕すらなかったので、
今ですら、あの当時確かに「辛かった」とは言っているが
絶望する程ではなかったし、
大変だったなぁ。なんて思ったことはない。
色々な家庭事情がある今も、それは変わらない。
今までの20数年の人生のなかで、
とりあえずどうにかやっていけてるからだ。
でも、最近色々な悩んでいる人たちの話を聞いたり、人前で過去の事を話す事が増えれば増えるほど
私は『客寄せパンダ』で構わないと思う。
なぜかと言うと、
人前で過去の事を話しても、
私みたいな性格の人間が、あっけらかんと過去の事を語るより、
そんな過去がある様に見えない人間が、語った方が
断然聞いている人は感情移入しやすい。
だからこそ、後者のタイプは『悲劇のヒロイン』みたいに扱われるが、
前者の様な私は人の興味を引き付ける為の『客寄せパンダ』みたいに扱われる事が多いのかもしれない。とある日気付いた。
その時私は誓った。
『私が話すことで誰かが、何かを感じてくれるなら私は、
道化だろうが 客寄せパンダだろうが
なんだってなってやる』と。
最近は人前で話す時も
依頼者が望むモノを話す事を心がけている。
それがいくら綺麗事であっても。
それが望まれているなら…。
ここまで色々と書いてきたが、
最後にひとつだけ言いたい事がある。
私はあの時いじめられた事を後悔したことはない。
いじめられなければ、見えなかった世界もあっただろうし、
いじめられなければ、お笑いだってここまで好きじゃなかったと思う。
それに…いじめられなければ、出会って居ない人も沢山いる。
そしてなにより、こんなエッセイなんて書いていないと思う。
だから、後悔はしていない。
あの時いじめられなかった後の自分は、全く想像がつかない。
何をしているのか…生きる希望があるのか。
それすら想像ができない。
もし、過去をやり直す機会を与えられたとしても。
私は当時と同じ行動を取ると思う。
この経験こそが今の私の根底にある出来事だし、
忘れてはならないことなんじゃないだろうか。
そして、私はこの心の傷とこの先もずっと
苦しめられるだろうが…
この傷と共に生きていく。
とりあえず、私のエッセイはこれで終わりです。
まだ、心の傷は完全に消えませんが…それでも好きなことをやっていきます。




