暗い心に光が灯る
中学校編の前に。
私の心を救ってくれた物の話を。
そして私の考えを。
そんな、小学校時代を過ごしていたが
人生すべてに絶望していたわけでも
すべての大人が嫌いな訳でもなかった。
唯一、私が当時 大好きになった大人達がいた。
彼らは大人ではあるが子供の心も持って、
キラキラした中にも
近寄りやすい雰囲気を持った大人。
それこそが、
お笑い芸人 であり、お笑いに関わる人達だった。
不登校になる前からも、お笑いはテレビで見ていたが
不登校になってから。と言うもの
家にいる時間が長く退屈をしていた。
かといって、学校へ行くと地獄の様な日々だった。
だから家に居るしかない。
小学生が家の回りをふらついていたら確実に、
「学校へ行かないの??」と地域の大人から言われただろうし
共働きの親からしてみりゃ
電話に出たくない
不登校の娘を家に居させて
連絡手段である携帯電話を持たせて
おけば、安心だから
テレビをみて過ごそうが、その方が安心だったんだろう。
まぁ。
そんな話はさておき
根っからのテレビっ子だった私は
普段学校へ言っていれば見れない
お昼の番組をみて楽しんでいた。
その時だけは自分の状況を忘れる事ができて、
心の底から笑えた。
辛い現実を忘れていられる時間は
今思うと
何よりも大切な時間だった。
そのうち、イケメン芸人と当時言われていた芸人を好きになり
そのコンビが出るテレビを生き甲斐に
学校へ少し足を伸ばすようになったり、
地獄の中学時代は、
一時間程度でも別室登校や相談室登校すれば、出席日数が加算される事が許され
好きな芸人の番組(数分のコーナー出演)を見る事を自分へのご褒美と位置付けをして、
他の生徒と一時間ほど登校をずらした上で、
出席日数確保の為 テレビの為 学校へ通っていた。
そう。
本当に、お笑い芸人という人達は
当時の私にとって
元気になる薬の様なものであり
生き甲斐であり
生きる意味
生きる糧になっていた。
当時、辛い現実に立ち向かうことに疲れ
「死にたい」と思うことが多くあった。
当時もいじめによる生徒の自殺が
ニュースに取り上げられていた。
考える時間だけは、沢山あったので
お笑いを生き甲斐にしていた私は
ふとした瞬間に考え方が変わった。
【もし、本当に自殺したら。テレビでお笑い好きの女子生徒が…】と報道され私の心を救ってくれた、
芸人達を悲しませる事になるんじゃないか。と。
読者の言いたいことは、わかる。
自意識過剰 悲劇のヒロイン気取りか。
って思ったと思う。
でも、この考え方の変え方もあり
そういう言葉を頻繁に発することは少なくなった。
そこまで、お笑いに陶酔するきっかけがあった。
さっき書いたように、生き甲斐ではあったし
元々お笑いが好きだったが、
中2の頃 ある芸人の討論番組で
いじめ 不登校についての討論があった。
討論番組も好きだったし、
その芸人も好き
なおかつ いじめ 不登校について
だったので見ていたのだが
そのとき、彼は頭の血管が浮き出る程顔を真っ赤にして、
理論だけで問題解決をしようとした専門家に
激論を交わしていて、
彼は私が本当にテレビで話して欲しい事を話していた。
「あぁ。血管が切れそうになるまで、話してくれてる。
こういう、大人なら信用できる。
芸人なら、信用できる。」
そう思った。
元気を彼らからテレビ越しに貰って居た時
「この人達にお礼がしたい。
私みたいな人達を彼らと一緒に、笑顔にしたい。」そう思うようになった。
まぁ。
現実は甘くないし、思ってるだけじゃ実現しない。
そんなに甘い世界じゃないのは、
薄々わかっていたが小・中時代は
絶対なってやるんだ!!
見返してやる!!
と思っていた。
夢は夢だった。長く見すぎた夢だった。
だからこそ、
今こうやってバイトをしながら
この文章を書いている。
その長い間みた夢を諦めた理由は、また別の機会に書こうと思う。
話がそれすぎてしまったが、
お笑いは好きな
お笑いに助けられている人間である、
ひとりの元当事者の意見
と言うことを踏まえて
これから先の文章は読んで欲しい。
日本にはお笑いという文化 そして、漫才という文化が100年以上続いている。
お笑いは、いじめと表裏一体だと思う。
突き詰めれば、人を馬鹿にして笑うという娯楽だ。
その文化が根ずく国で″いじめを根絶しよう。″なんて、無理だと思う
日本以外の国に、コメディアンは居るが
大道芸やパントマイムの類が主であり、
日本の様な形のお笑い文化を持つ国は少ない。
あったとしても、日本文化に触発された為が多く
元をたどれば日本の文化である。
いじめを無くそう。
いじめは根絶するべき。
など言うが無理だと、私が主張するのは、
お笑いがあるから。であり
お笑いという文化に救われて、その業界を目指した人間だから
こう思う。
いじめが無くなる事はない。と。